青江(@sinkontora0919)さんの人気ツイート(新しい順)

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家康が駿河支配を氏真に任せたいと言い出したのは、唐突なことではなく、高天神城攻めで氏真を諏訪原城の名目上の城主にするといったことをしているからです。今川家の力は意味があるんですね。 その件を信長との手切れを家康が決心するための腹芸と繋げたのが脚本的に巧いですね。 #どうする家康
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「信長を殺す」は衝撃的な言葉ですが、信長への恨みと取るのは早計でしょう。その後に続く「天下を取る」に比重があり、「愚かな妻と子の不行状」として二人を死なせた自分自身の不甲斐なさへの絶望と怒りが根底にあるでしょう。恨むべきは自分自身だからこそ、この表情かも。 #どうする家康 #松本潤
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家康が海老すくいを踊り周りから嘲笑されましたが、これは後年、聚楽第で開かれた秀吉の能楽の宴で太った家康が「舟弁慶」で義経を舞い、笑いを取ったという逸話の引用ですよね。 この逸話は、バカな振りをして相手を油断させる家康の老獪さとして評されることもあります。 #どうする家康
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「信長公記」にもある富士遊覧を中心に据えた回があるのは、家康にとっての東国支配の重要性を示唆する #どうする家康 らしさ(甲州征伐絡みで後北条氏が出たら完璧)ですが、この遊覧の返礼が安土城接待と光秀叱責になるので #本能寺の変 の幕開けとしても相応しいんですよね。 #松本潤 #岡田准一
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家康の優しさと弱さの象徴たる木彫りの白兎は瀬名の願いと共に託されたが、瀬名だけが知る「泣き虫弱虫洟たれ」という家康の一部は彼女と共に永遠に彼岸へ旅立ったかもしれない。瀬名の「いつか必ず取りにきてください」が叶うのは、家康が「戦のない世」を実現し彼岸へ旅立つ時か。 #どうする家康
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家康の後半生では重要な阿茶局の配役が未発表ですが、築山事変の1979年には家康に召されているんですよね…まさか…勝頼の元を去った望月千代女が名と素性を変え、阿茶局として家康に力添えする展開とか?伊賀越えにも付き合い、交渉術にも長けた人ですし…考え過ぎですかね😁❓️❓️ #どうする家康
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信康自害という結末は哀しいことだけど、当時、二十歳の五徳がその後、再嫁しなかったことまで哀れなことにせずに救ったのが #どうする家康 流ですね。信康の別れで見せた穏やかで幸せな笑顔が、五徳の全て。彼女は一生分の恋をしたのでしょう。それが不幸かは他人には決められません。 #久保史緒里
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五徳が岡崎殿と呼ばれ続けた史実を、五徳自ら望んだことだとすることで、終生、再嫁しなかった理由も、後年、2000石近い化粧料が与えられたことも、信康への一途な想いの結果と全て説明。五徳本来の優しさを引き出しただけでも、慈愛の国構想は意味があったか。 #どうする家康 #久保史緒里
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遂に家康の俗説評「たぬき親父」への道が開かれた瞬間。腹芸の出来る複雑な人物像への転身を演ずる #松本潤 くんの芝居は、実はこれからこそ真骨頂となるのでしょう。 #どうする家康
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家康が瀬名と信康を逃そうとするくだりは、瀬名を斬首した野中重政に 家康が「おなごの事なれば計らひ方もあるべきを」と命を助けなかったことを責めたという「実紀」(徳川実紀)の記述を受けてのもの。史料を踏まえた秀逸な脚色でしたね。 #どうする家康
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やっと「私はもう、誰も殺したくはありません」と上に本音を言えた信康が、その後、元来優しい家康と夢に向かい、様々に語らう場面の二人の表情。ようやく父子として打ち解けた自然さが良かったですね。 #どうする家康
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勝頼は戦いこそ武田家の本懐ゆえ「戦って滅ぶことを選ぶ」言いますが、信玄の言葉を履き違えていますね。信玄は民が家臣が生きるために覇道を選んだのであり、自身の名誉や思想のためではなかった。穴山信君が「人心が離れまする」の言葉と共に真っ先に離れる人心になるのは宜なるかな。 #どうする家康
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いや…だから…そこで六条御息所の別れ(野宮の別れ)とか藤壺を出すなって。 愛しい光源氏との未練を絶つため伊勢に下った六条御息所、桐壺帝の死後、春宮(息子)を守るため光と縁を絶ち出家した藤壺…どちらも瀬名の行く末を暗示していますね。 せっかくの源氏物語オタクトークなのに…← #どうする家康
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「まな板の鯉」とは、直前シーンの信長の怒りを買った家康の状況と、その直後シーンの信長に勝手に婚姻を進められている亀姫の立場、その二つを指しているのでしょうね。 相変わらず小道具が象徴的に使われますね。 #どうする家康
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望月千代女の密書の押さえ干し柿なのは意味深。日本における砂糖の国産化は17世紀以降ですから、干し柿は貴重な甘味源。宮中で栽培され、信長もフロイスに贈答品として与えています。 密約の内容は分からずとも、それが武田の甘言と端的に示しています。だから弥四郎は口にするのです。 #どうする家康
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家康の摩利支天信仰も数正に「いつも懐に忍ばせている摩利支天のおかげ」と言及されましたが、これを彫り上げたにもかかわらず家康の三方ヶ原合戦での傷心は消えはしない。 #どうする家康 に神仏はいない。あくまでその時代を足掻き生き抜こうとする人間ドラマなのですね。
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瀬名によるお万の折檻→お万の自作自演でした(ただし瀬名にはお見通し) 小豆餅と銭取、焼き味噌→家康をバカにした遠江の民の流言でした 有名な逸話をことごとく #どうする家康 流に組み込みましたね。
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以前、三河一向一揆編で不問とされたときの #夏目広次 のこの表情を「温情への感謝」と「許されてはならないという悔恨」の葛藤と読み解いたものの、後者の感情が強すぎると感じていましたが、実は二度目の許しと分かり腑に落ちました。 #甲本雅裕 さん、芝居巧いと改めて。 #どうする家康
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何故、一次史料は「広次」しかないのに、一番流布され、碑が残るのは「吉信」の名なのか。 この疑問を「家康が竹千代時代に慕った男の真の名前を残すため」(更に改名せざるを得なかった汚名を濯ぐ)と組み換えたシナリオか秀逸。 #どうする家康 #夏目広次
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家康と目線を同じくしての #岡田准一 信長の #一心同体 発言が話題なのは当然ですが、重要なのはそれを聞いた #松本潤 家康が半歩進んで信長に膝を着くところです。 家康は心から信長の弟になることを選んだ瞬間。ここを見逃してはいけません。 #どうする家康
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知っていますか? 暫く活躍していなかっ人物が突然、目立ち始めるのは死亡フラグだということを… 一番の台詞で場を締めた夏目広次といい…久々に瓢箪酒を呑んだ本多忠真といい…ああ… #どうする家康 #夏目広次
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#稲垣吾郎 くんが #安倍晴明 を演じた #NHK 版『 #陰陽師 』について書いた読みものが、ネット公開されました。以下のリンク先で読めます。前半は原作、後半がNHK版の話です。ご興味ありましたら是非。 「稲垣吾郎の安倍晴明が一人前になるまで」 chukyo-u.repo.nii.ac.jp/index.php?acti…
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遂に #松本潤 家康が徳川姓になりましたが、この改姓の特徴は「家康たった一人のみに許された」ものということ。 つまり、三河守の任官だけでなく、改姓もまた他の松平との格の違いを示すものだったのです。まさしく「戦をせずに済み」(瀬名)、「民のため」(登誉上人)になるわけです。 #どうする家康
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空誓と #松本潤 家康の対談 「目を反らす(逡巡)→君主として初めて意図的に嘘をつく→少し潤む(嘘を真実に見せるため目に力を入れ過ぎた)」 この一連で空誓は、嘘をつかねばならない君主の力量、嘘をつき切れない誠実さの両方を家康から見出だし、人間として彼を信用したのですね。 #どうする家康
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#三河一向一揆 当初から本證寺側の鉄砲に苦しめられ、更に正信に #松本潤 家康が狙撃される今回の #どうする家康 の背景は鉄砲。前回描かれましたが本證寺は商業的性格が強く、その中心が鉄砲の生産売買。上手くドラマに組み混みました。因みに火薬の元、硝石は本願寺の仲介で国産化に成功しています。