子どもたちには “適応しないほうが良いコミュニティ”があるということを伝えることがある。 適応してしまうと自分を守ることが難しくなるコミュニティは確かに存在するからだ。そんなとき不登校が唯一自分を守る手段になることすらあるわけで。
これ、私達の業界の関連学会にこそ出してほしかった声明… “文部科学省は、ゲームをプレイすること、インターネット、スマホを使用すること、新聞を読まないことによって発達障害「的」な児童が増えると主張していますが、これは、科学的エビデンスに基づかない記述です” jssba.org/?p=1459
不登校状態になっている子に必要なのは「嫌いだけどみんながやってることに取り組ませる」ことではなく「子ども自身が自分に必要だと思ったことを少しずつ取り組む」ことをソッと支援することだと思う。周囲が支援可能な活動は、子ども自身が必要だと思ったことだけ。
自閉スペクトラム症を持つ子が激しい癇癪を起こしている姿を「この子は思うようにならないと怒る」でなく「この子は想定外の事象に対して圧倒されている」と考えて癇癪という現象を子どもだけの課題・責任に押し付けず環境との相互作用として理解するのが支援者・教育者・医療従事者の矜持ってもんです
「勉強キライ」と言ってる子の中にかなりの割合で「書字がキライ(しんどい)」な場合が含まれていて、切ない悪循環を生み出している。書字活動を最小限に抑えて勉強できるシステムを構築したほうが絶対良いと思う。
児童思春期の臨床で出会う希死念慮。それ自体を思考や感情の異常というよりは「過酷な状況における当然の反応」として受け止めるべきケースが後を絶たない。
ルールが嫌いなのではない。「子どもを守るため」といいながら実は大人自身を守るために設定されたルールが大嫌いなのだ。
子どもの幻聴にはしばしば解離性のものが含まれるし、子どもの不安抑うつとトラウマの関連はしばしば。子どもの多動・衝動性はトラウマ性障害に伴う反応性の異常が関連することも。これらの現象に抗精神病薬と抗うつ薬とADHD治療薬を投与するだけが児童精神医学の仕事みたくならないようにしないと。
子どもの臨床をしていると、学校や家庭で起きている問題が「こころの病気」というよりも「こころの怪我」によるケースがとんでもなく多い。怪我には加害者がいる。それを「病気」や「発達」のせいにしようという動きには全身で反論・抗議したい。
部活、受験、習い事、どれも子ども時代の貴重な体験になりうる活動ですが、本来「子が大切にされて→子ががんばる」の順序であるべきところが「子ががんばると→子が大切にされる」という逆転現象が起きるリスクに注意です。
僕は自分のことをずっとダメな親だと思っているのだが、このマンガを読み「ダメな親で良い」の下りで涙腺崩壊し、そして少し元気になった。不登校の子を持つ全ての親御さんにこのマンガをオススメしたい。明日から同じメッセージを臨床でもシェアしたいと思う。がんばろ。 twitter.com/imagineko_/sta…
飛び抜けた能力を持つ子も持たない子もみんな大切にされてほしいんだけどな…
おっしゃるとおりと存じます。自閉スペクトラム症やADHDを持つ子らは多かれ少なかれ強い関心を限局的な分野に向け並々ならぬリソースを投資するのでこれは神経発達症を有する子ら全般の教育に関わる話ですよね。飛び抜けた能力を持つ神経発達症の子だけに支援を「選択と集中」させるというのなら怖い。 twitter.com/izumillion/sta…
不登校。「多様な学びの確保」はもちろんありがたい。一方で学び自体が難しいほど生きてるのがやっとの子たちが一定数いることも知ってほしい。休むリスクを伝えるより「生きることにゆとりが生まれたときにいつでも学び直せるよ」と伝えないといけない子達が少なくないのです。生き残るための不登校。
親は「子に何をするべきか」ばかりを追いかけがちだけど、本当に大切なんは「子に何をしてはならないか」を絶対に守ることのほうが尊いのかもしれん。足し算より引き算の育児。
あぁ…もぅ…これ。これですよ。学校を“理不尽耐久訓練所”にしてはならない。 twitter.com/kawahara_shogo…
子どもに向かって「努力が足りない」って言う人いるけど、努力って測定できたっけ…これって、その子が観察者の期待どおりに振る舞っていないと観察者が判断したときに発してしまう言葉であって、結局は「期待に満たない」→「努力が足りない」の言い換えなのだよね。
この子、クラスメートとは別室で学習を余儀なくされているようなのですが、その理由が「他の生徒に悪影響を及ぼす」とのこと。子どもの学習権よりも髪を染めることを禁じた校則の存在が重要だとする世界線は私にはもうよくわからない。 bunshun.jp/articles/-/537…
子どもたちの夢を聞くときに「何になりたいか」ではなく「大人になったときにどんな休日を過ごしていたいか」を聞き、それも立派な夢として話し合っているとすごく楽しい。そして私も10年、20年後にどんな休日を過ごしていたいかをずっと考え、思いついたらすぐ始めようと思う。自転車も良いよw
「幼児期までに療育しないと大きくなってからは手遅れ」的な発言をはじめ、成人期の行動の問題の原因を小児期の対応に求めるのは誰も幸せにならないからホントやめてほしい。上手く行ったら療育の手柄で上手く行かないのは家族のせいだとでも言うのだろうか。ただでさえ家族は自責的になりやすいのに。
子育て中は「あの時こうしていれば、今頃状況はもっと良かったのではないか」と思いそうになったら全力で腕立て伏せ20回するくらいイマココの活動に集中するように(助言)してる。これほど生産性がなく心身ともに有害な思考パターンは他にないと思うもん。
学校に行く子も行かない子も、義務教育の間に身に着けてほしいことは「基礎的な知識や技能」よりも「自分は(自分のペースでなら)学ぶことができる」という信念だと思うのです。
自分が親としてしんどくなったら、なんどでもこの記事を読もうと思う。 futoko.publishers.fm/article/25327/
子どもへの向精神薬は悪だ!いや、善だ!みたいな1要因2水準の答えを得ようとするのは誰も幸せにならず。実臨床では、感情・行動に困り事を抱える子の①特性に配慮した環境の最適化を目指し②経験豊富な医師又はチームに出会い③子の願いを最大限取り入れて④副作用に留意した処方しか意味ないもの。
学校に行く子も行かない子も、義務教育のうちに ○いじめとは何か ○差別とは何か ○虐待や暴力とは何か ○これらをされた、見た、聞いたらどう行動するか を知って欲しい。不登校状態にある子を受け持つ担任の先生にはこれらをその子に伝えてほしい。教科学習以上に「必須科目」だと思う。