R774@まとめ屋(@kendou774)さんの人気ツイート(古い順)

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スレッドにします。 『この集落は生きているのか?』航空写真で見た時、ここには人の気配がした。四国山地には、地図上にその存在はあっても、無住化している集落は少なくない。では、この集落はどうなっているのか。その答えを求めるために、平家落人伝説の残る徳島県の『祖谷山』へ行ってみた。
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その集落は西祖谷山村(現・三好市)の『坂瀬集落』という。ネット上に情報は皆無で、現状も分からない集落なのだ。それ故、坂瀬の存在は以前から気になっていた。実は、2015年にも一度向かったが、道中の険しさから引き返していたのだ。それから4年が経過した今、再び『坂瀬集落』へと向かった。
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徳島県西部の『祖谷山』地域には、1000mを超える山々が聳え、河川は深い峡谷となって流れている。このような厳しい環境下でも集落が存在し、平家落人の伝説が残るのも頷ける地域である。その祖谷山を流れる松尾川流域は『中祖谷』と呼ばれる。目的地の坂瀬集落は、中祖谷にある集落のうちの一つである
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『小祖谷集落』 中祖谷の中心的集落である小祖谷集落。しかし、多くの家屋は廃屋と化し、住人の姿はない。そもそも、今も中祖谷に残る住人は極めて少ない。少なくとも、小祖谷、坂瀬以外の集落は全て消滅集落と化している。幸いにも、"とある"お宅でお婆さんにお話を伺うことができた。
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『小祖谷に住んでいるのは2世帯3人。でも、私のお爺さんが入院しているので、今は2人』、『今も(元住人の方が)ちょくちょく帰ってきている』そして、お婆さんはこうも仰った。『みんな山から出ていった。親族からも、山を降りてきたらと言われる。それでも山の方がいい』
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ひび割れた石碑。学び舎で旧友が再開することはもう無いだろう。お婆さんから学校の話を聞いたので、学校跡に行ってみた。雑草の生い茂る校庭。講堂と職員室が残るが、朽ちる過程に入りつつあった。多い時で約100人いた生徒は、現在0人。この地域は子供だけでなく、住人すらいなくなろうとしている。
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『馬岡五社神社』 斜面の上には立派な神社があった。集落の規模と同様に大きな神社だ。建物はくたびれつつあるが、綺麗に手入れされていた。現住の方、或いは元住人の方が手入れされているのだろうか。その手間暇を考えると本当に頭が下がる。神社でお参りを済ませ、小祖谷集落を後にした。
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『たったの10年』で住人は随分と少なくなった。紀伊半島南部、古座川町最奥部にあたる小森川集落。現在の住人数は高齢者が3名。神事を行うことすら困難になった。美しい川の流れに、風格ある神社。そして人々の営み。深い山奥に残るこの美しい風景も、いずれは過去のものになっていく。
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スレッドにします。 『車道の無い集落』その存在には不思議と惹かれるものがある。現代において、離島を除く全国津々浦々の集落には、車道が通じていると言っても過言ではない。それでも、地図上には今も車道の無い集落がある。そんな地図上の集落の一つである西条市『李集落』に行ってみた。
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『車道の無い集落』 そこには昔ながらの営みが残り、桃源郷のような風景が広がっている。そう期待してしまうのだ。だが、それは幻想に過ぎない。今、車道の無い集落の殆どでは、住人だけでなく集落の姿すら消えようとしているのだ。地図で夢見た桃源郷。そこにあったのは『消滅』という二文字だった。
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担がれなくなった神輿。この神社に人が参りに来ることはない。航空写真を見た時、ここに住人はいないと思っていた。ネット、航空写真、ストリートビュー等々、世の中には情報が溢れている。それでも、現地でなければ分からない情報がある。
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天まで続く石垣。過去には、彼方此方で見ることができたであろうこの光景。その多くは森へと還り、今ではすっかり少なくなってしまった。
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観光地も名勝も何も無い。それ故、この地区を訪れる人は少ない。深く険しい渓谷の奥には、穏やかな地形が広がっていた。そんな不思議な地区の住人数は8世帯10人。ここ20年で半減した。その住人も殆どが70歳以上だ。地区の未来は決して明るくないが、それでも山に残り、生活を営む方々がおられた。
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スレッドにします。 『人の営みが消えていく』山々に広がる耕作地が醸し出す美しい風景。それが僅か40年で消えてしまった。緑に埋もれたこの地域に、人の営みは残っていないように見える。人は何処へと消えていったのか。地域の現状を確かめるため、美郷村(現・吉野川市)の『中村山』へ行ってみた。
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山の中にポツンとある集落。そこにはどんな風景があるのだろうか。たったそれだけのことだけど、旅のきっかけには十分なのだ。
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『赤瓦の美しい家屋が立ち並ぶ』 航空写真で見つけた山中に孤立した集落。現住は一世帯二名。しかし、集落は多くの人に支えられ、昔ながらの姿が残る。航空写真、ネット上では分からない風景がそこにはあった。
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長い道程の先に集落があるという。しかし、そこあったのは、大量の土砂に呑み込まれた集落だった。それは、まるで集落の存在を隠すかのようであった。
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スレッドにします。 『幻の集落』静岡県の山深く、人里から離れた場所に二つの集落がある。既に住む人はいないが、集落に残るいくつもの伝説は、今もなお多くの人を魅了する。しかし、最近になってそのうちの一つが崩壊したという。幻とも言える集落の現状を確かめるために『小俣集落』へ行ってみた。
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二つの集落は小俣京丸と呼ばれ、名だたる秘境集落として知られている。また、古い歴史を誇る隠れ里としても知られている。以前から小俣京丸は憧れの地であり、当初は京丸集落を目的地としていた。しかし、下調べの過程で、小俣集落が崩壊したとの情報を目にしたのだ。斯くして、小俣へと向かった。
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小俣集落は、春野町(現・浜松市)を流れる気田川の支流、小俣川沿いに位置する。近隣に集落は無く、一番近い人里からは約4km離れている。先の京丸集落にいたっては、約8kmも離れている。小俣川の形成する谷間は深く険しく、地理院地図を見るだけでも、小俣の隔絶性を容易に想像することができる。
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小俣集落へのルートには、杉地区からの車道と、石切、京丸集落からの古道がある。過去には石切からのルートが多く利用されていたが、この古道を歩く人は既に無く、現在は杉地区からの車道が利用されている。ただ、車道は一般車通行止なので、4kmは歩く必要がある。今回は杉地区からの車道を利用した。
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『杉峰集落』 陽当りを求めて尾根上に集落が存在する。この地域でよく見られる茶畑の広がる集落だ。ちょうど住人の方を見かけたので、小俣集落について伺った。『小俣への道は崩れていて集落へは行けない』、『住人がいなくなったのは50年前くらいだった』、『(小俣は)とんでもないところだ』
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杉峰集落から4.5km地点に頑丈なゲートがある。車で入れるのは此処までで、先は歩くことになる。林道は未舗装だが、国有林が絡むためなのか、異様なくらいに立派である。また、岩獄山への登山道にもなっているので、所々に案内標識があり迷うことはない。約4kmほど歩くと、小俣集落への分岐が現れる。
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分岐からは、急に道が荒れ出した。車両が通った形跡は全く無い。その理由はすぐ先にあった。路面を支えていた鉄骨が落ち、道がごっそり無くなっているのだ。脇の斜面は急斜面で登れず、川床までは高さがあり降りることもできない。僅か数十メートル先に小俣への橋が見えている…万事休すか…
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実は知っていた。この広場の何処かに小俣集落への迂回路がある。それは、まるで隠し通路のようであった。先述の小俣集落への分岐には、広場といくつかの建物がある。そのうちの一つ、青いプレハブ裏に斜面を下る迂回路があるのだ。ただ、迂回路と言っても、一瞬躊躇してしまうような頼りない山道だ。