家人(皮膚科医)が外来の机のわきにこれを印刷して貼っていますがダメマスクがだいぶ減ったようです。 twitter.com/Noboru_Hagino/…
基本Twitterは、何かを信じるためよりかは、健全な疑いや批判精神を維持するために使うほうが健康に良い気がする。
DVとは「親密的領域において相手の個的領域を奪うこと(宮地尚子)」。「個的領域」には時間、空間、尊厳、個人情報、安全などが入ります。大声の威嚇、締め出し、スマホを無理に見る、土下座の強要などはすべてDVです。あ、あと「殴るフリ」も暴力ですね。#DV急増
1990-2000年代に隆盛を極めた「心理主義」(わからんことは心理学者か精神科医に聞け!)が、2000年代以降は「脳科学」と看板をかけかえて流通していることがよくわかる記事。mylohas.net/2020/04/209713…  内容? うん、なんかめっさアレ。
「脳科学的には〜」という車輪の再発明かな? 「脳科学しぐさ」と命名。あっこんな嫌味書いてるヒマがあったら「自分のこと」をしなくちゃ。
おお。これは生活保護の水際作戦中止勧告だ。「申請あればすぐ開始せよ」というのはプッシュ型支援に向けて一歩前進と評価したい。mhlw.go.jp/content/000619…
炎上覚悟で旗幟鮮明にしておく。 僕はこの保健所長に共感する。同情じゃなくて。 談話の内容は初期から言われてた話。 「病院あふれるのが嫌」と悪意のある要約を真に受けて ゲロった白状したと騒々しいことで。 君らの軽々しい罵詈雑言が最前線の疲弊を助長している可能性については考えてみた? twitter.com/livedoornews/s…
誰かみたいに「責めるな」とは言わない。 でも病院だけじゃなく保健所も最前線だ。 その修羅場ぶりをちょっとだけ知る立場としては 批判するなら、もう少し現場の状況や文脈を理解してからでも遅くはない思う。できればエールとセットでね。
有名な政治家のお歴々が非常にダメなのに 日本が驚異的に低い死亡率を維持している事実を説明できるのは BCGでもケガレ文化でもマスク好きでもアビガンでもなくて 無名な現場の人々の知恵と工夫と頑張りと考えるのが最も合理的な解だと思う。
最前線の緊張に耐えられる心理的限界は40日前後という説がある。 それ以降は疲弊の果てに「全てどうでも良くなる」らしい。 だから現場の専門家には敬意と感謝しかない。 冷笑や批判は現場から力を奪っていくだけだ。それは結局、自分自身に返ってくる。 いまエンパワーしなくていつするのですか。
驚愕。愕然。この専門家集団が無報酬? ホテル自前? ありえない。マジであり得ない。きっと今からじゃ受けとっていただけないだろうから、成功報酬に一兆円ほどとっといてくれ。NYの前線の看護師の日給20万円という報道とのこの落差。 buzzfeed.com/jp/naokoiwanag…
ちょっと訂正。「現場の人々の知恵と工夫と頑張り」は「薄給ないし無報酬でも人知を超えた努力をしてしまう現場の人々の知恵と工夫」に訂正します。
無報酬問題、使命感で動ける専門家は報酬を提示されるとモチベーションが下がるという「アンダーマイニング効果」を悪用しているとしか思えない。 しかしまあ政府はたぶんそこまで賢くも考えてもいまい。前例踏襲と甘えの帰結だろうな。これじゃ海外の専門家は呼べないから「日本独自」になるわけだ。
不安と怒りは混在するけど同時には意識しにくい。あの動画をみると不安がパッと消えて全部怒りに変わる効果だけはすごい。政府はこの怒りの総量を攻撃ではなく不安の総量と考えて欲しい。
今朝のマイあさラジオで話したついでに、内容も更新しました。「健やかにひきこもるために」 note.com/tamakisaito/n/…
COVID-19がもたらした新しい”倫理観”が「他者に触れるべからず」。すべての人間は潜在的な感染者であることが「親密さ」への禁欲主義を生む。なぜならいまや親密さは、挨拶(ハグやキスを含む)はおろか対話ですらも「体液(エアロゾル)の交換」として再定義されたからだ。
梅毒の流行がピューリタニズムをもたらし(諸説あります)、HIVが粘膜への禁欲をもたらした以上の、はるかに厳格なタブーの身体感覚が、ポストコロナ時代に継承されてしまうことへの懸念。
10万円給付問題。給付金を親などに強制的に没収される子供(ただし成人)が続出する懸念。DVや虐待のある家庭でも適切に使われる仕組みはないか…あと精神科病棟に超長期入院中の高齢患者とか、老健施設の入居者などに適正に支給されたことをどう確認するか…
蓮實さんはアニメは観ない、とおっしゃる。「生きた被写体を撮っているという緊張感が欠けている」からと。観ずに批判している時点で問題外なのだが、その「生きた被写体さえ撮っていれば緊張感があるはず」という怠惰こそが、実写映画が興行でアニメの後塵を拝している原因じゃないですかねえ。
4.15のツイートを発展させて投稿しました。「コロナ・ピューリタニズムの懸念」。note.com/tamakisaito/n/…
「コロナに感謝」とか「ウィルスとの共生」といった逆説っぽい言辞はどうにも居心地が悪い。「震災は天罰」とどう違うのかもよくわからない。
「ピンチはチャンス」は要注意。これ言っていいのは自身ピンチを切り抜けられた当事者だけだと思う。ピンチの渦中で言われた人は傷つき腹も立つだろう。為政者や非当事者が言えばそれは生存者エゴだったりショックドクトリンで火事場泥棒だったりするかもしれない。
「悪いことばかりじゃないよ」という意味のことを言いたい時には「それは不幸中の幸いでしたね」と言うようにしている。
天然痘撲滅という成功体験は忘れよう。今後のウィルスとの戦いは免疫力と医療システムを駆使して終わりのない戦いを戦い続けることになる。戦いの持続可能性を設計すること、それがすなわち、ウィルスとの共生だ。まあ言うたら生命そのものが「持続可能な戦い」(=動的平衡)ではあるけれど。