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今日というか昨日は卒論中間発表でした。学生さんはしばしば文献のページ数を記すのに「p12」とか「pp24-35」とかピリオド抜きで表記しちゃうのですが、それ「私は素人です」感がハンパないのでしっかりこまめにp.12とかpp.24-35って表記しようね!オッちゃんとの約束やで!
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「そんな細かいことはどうだっていいだろう問題は中身だ」。いかにもその通りです。でもねえ中身以前にそういう「儀式的配慮」をどれだけ達成できてるか、が割と卒論教育の評価では重要で、しかも残念なことに表記が行き届いている学生の論文ほど中身も面白いのです。ほぼ例外なく
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たぶんp.とか引用の作法とかに意識的で、表記が行き届いている学生の論文の方が中身も面白いのは「学術研究という営み」を、ぼんやりと「何かについて語ること」ではなく、思考に基づいた具体的な技法の集積として捉えて実践しているからだと思う。教員が見て評価しているのもその意識の濃淡なのです
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gendai.ismedia.jp/articles/-/843… 学科の一回生向け授業のレポートでこれを読ませ「自由に論じよ」という課題を課した。皆とても面白いレポートを出してきた。この記事に批判的な主張が多数だったのはまあ目論見通り(若い学生さんには140字でなく長い文章で他人の主張を批判する訓練してほしかったのです)
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いろんな指摘があり面白かったのですが「若者が批評を忌避する理由」について(自己)分析したレポートがあって興味深かった。それによれば「自分の好きな作品への批評を忌避する」若者の心性の背景には「多様性の尊重」という理念があるとのこと
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「多様性の尊重」という理念は彼ら彼女らに「自分と違う他人を否定せず受け入れよ」という規範として教えられてきた。その論理は容易に「他人と違う自分が否定される謂れはない」に転化する。であれば、自分が感動し「推す」作品や対象を上から目線で批評する他人の言葉は倫理的に許し難いものとなる
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「多様性の尊重」のためにはそれを保障するための原理的土台があって、というのがリベラリズムの理念なのだが、それもまた「他人と違う自分の考えを否定される謂れはない」という彼ら彼女らの個人史に強固に染み付いた「(自分の)多様性の尊重」という身体的理念の相対化には足りないのかもなと思った
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首相や名古屋市長を見てると、政治家が「品格」を必要とせずそれを憎んですらいることがわかるが、ある意味でそれは権威や品格や儀礼を無根拠なものとして批判し「実質的なこと」をよしとしてきたオレたちの社会の帰結でもあります。苦い思いで眺めている
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換言するなら、この発言にせっせとクソリプつけに来てるような「品格を欠いた反権威気取り」は、品格ある対話ではなく「文句ゆうて自分がスッキリする」といった類のチンケな「実質的なこと」にしか関心がない。そういう人を抱え込んだ社会でオレたちは生きています
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オレ80年代の子供だから「ルサンチマンを根拠にする思想はやがて滅ぶ」という空気を吸って育ってきたんだけど(それは60年代の思想的反省だったことを後で知る)21世紀の今になると人々がルサンチマンを根拠にした思想に駆動されて恥じないことに逆に驚く。おいお前ら最初から滅んでるけどええんかと
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偉い人も偉くない人も自分のルサンチマンの強度を競うのが思想だと思ってるけどオレにはそれは集団自殺にしか見えないけどなあ。オレは皆が呑気に楽しく生きるにはどうすればいいか、しか真剣に考えてないけど、彼ら彼女らは「お前より自分は辛い」ことをアピールするのが思想だと勘違いしている
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「いい大人なら自分のルサンチマンくらい自分で面倒見れや」というと反感を感じる人は多いと思う。しかしその自分の「反感」をこそ疑うのが知性の仕事である。学者や知識人でもその自分の「反感」を正しく文脈づけ批判的に用いることができる知性は少なくなり、皆「自分のしんどさ」に全面降伏している
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この閉会式のブツ切れでいろんなものが次々に脈絡なく出てくる感覚はとてもドメスティックに日本的だと思うけど、その辺がよその国々にどのように映るかについてどこまで企画者が自覚的に考えているのかについては知りたい
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とってつけたようにアイヌや沖縄含む日本の民俗舞踊を出すのも同じで、「目配りはしています」というアリバイ以上の「なぜそれがそこにあるか」の構成原理がないのが日本文化の本質的特性の一つです。で最後に東京音頭(まあポップスです)で〆るのが象徴的。東京音頭がどういう曲か調べたらわかるよ
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「マスク2枚配ったらパーっと不安は消えます」「オリンピックで金メダルがバンバン決まれば支持率も上がります」とか適当なことゆうてたらしい幇間はちゃんと粛清されたんかな。そういういい加減な姿勢で政治に関与してる連中が政府に巣食って、結果も明らかなのに排除されてないなら統治がマジヤバい
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大人になるとキレイゴトばかりでは済まなくて手を汚すことも時々あるわけですが、だからといってその手を洗わなくていいわけじゃないのよ。ましてや汚れた手を自慢げに振りかざして「これが大人だ」とかゆうてるバカは論外
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オレはオリンピック開催反対だったけど競技は熱中して見ていた。フジロック一度も行ったことないけどYouTubeで楽しく見ている。大学の授業もオンライン継続仕方ないと思うけど対面でやる方がいいよねと思う。まあそんなもんで現実の人間は原理主義で生きてない。批判する人も自分の人生生きたらいいよ
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原理主義を貫いて他人の「ダブスタ」を過剰に批判するばかりの生き方はあまり良くない。なぜならそれは生身の人間の複雑さを一貫して理解することに失敗するので細部をぼかしつつ陰謀論のような一貫した粗雑な思考に傾きがちだからです。コミンフォルムや軍産共同体が全ての悪の元締め的な粗雑な思考に
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「稼げる大学」へ外部の知恵導入 意思決定機関設置、来年法改正:時事ドットコム jiji.com/jc/article?k=2… また国賊が国力衰退政策を勝手に決めている。こういうの20年やって明らかにダメだったことが判明してるのに無視してまたやっている。大学にではなく政府にこそPDCAが今すぐ必要だと思う
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「稼げる大学」とかいった政府の愚策に対しては「大学は稼ぐところではない」と正論をちゃんと言うのが国民の仕事
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大学は異論を自前で作れる心身を育てるところです。今儲かることを考えたり教えたりするところと違う
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前田さくら「aikoが描く恋愛の特別性―『二人だけの世界』とあたしの感覚の表象について―」lit.osaka-cu.ac.jp/shared/uploads… 公開されました。昨年度のうちのコースの優秀卒論です。aiko好きな人はとにかく読んでくれ。同僚の先生は感動して泣きながら読んだという
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大学では毎年大量の卒論が書かれている。その多くは本人と指導教員以外にごくわずかな読者しか持たないまま大学で死蔵されていく。しかし学生が4年間かけて書いた知的成果ですから、オレできるだけ広く読まれるべきやと思うねん。入試問題が新聞に載ってるけどむしろ卒論こそ新聞に載せるべきだと思う
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いま菅さんがテレビに出てたけど憑き物が落ちたような穏やかな顔になっていた。最近のトランプもすっかり別人になっている。逆に普通の人が政治家になって一気に悪人顔に変化するケースもわれわれは多々見慣れている。政治家ってほんまに細胞レベルで独特のストレスがのしかかる職業やなあと思います twitter.com/Austen/status/…