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機能不全家庭では、子どもが親に「合わせる」という逆転現象が起きる。そうすると、子ども側は常に「自分の在り方はどこか間違っている」という思いを抱きつづけることになる。自然な感覚を否定して親に合わせ続けたことが、根深い自己否定感の根底であることも。自己否定は過酷な環境を生き抜いた痕跡
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機能不全家庭で育つと、誰かが困っていたり不調を訴えていると「何とかして」と責められているように感じたり、「自分が何とかしないと」と誰かの負担を負おうとし過ぎてしまったりする。。でも、今はもう何もしなくても誰も責めないかもしれないし、肩代わりしなくていい。そもそも自分のせいではない
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精神疾患の方に必要だとされる「休養」は、健康な人の休養とは全く違う。「意識のある重体」のような状態。ツラくて苦しくて自己否定で心はいっぱい、身体は動きたくても動けないし痛いし眠れないし起きれない。。それでもそう過ごすことが治療となる時がある。「健康な人の休養」とは全く違うんです…
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親の機嫌を伺って育つと「場の空気の悪さ」や「人の機嫌の悪さ」に耐えられないほど動揺しがちで「自分がなんとかしなくては」と、攻撃的だったり不安定な人の機嫌を取ろうと自分から関わることを繰り返すことがある。「人の機嫌を直す役目は自分」は呪い中の呪い。。人より自分を1番大事にしていい。
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親の機嫌を伺って育つと「場の空気の悪さ」や「人の機嫌の悪さ」に耐えられないほど動揺しがちで「自分がなんとかしなくては」と、攻撃的だったり不安定な人の機嫌を取ろうと自分から関わることを繰り返し、トラウマ記憶を行動として再現していることがある。「今は大丈夫」と自分を安心させてあげたい
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親の機嫌を伺って育つと、大人になってからもまず真っ先に不機嫌な人に気づき、不穏さを受け取ってしまいながらその人のことばかり考えて対人関係がすごく苦しいものになりがち。穏やかな人や優しい人に気持ちを向けたくても、関われば傷つく人ばかりに心を遣いがち…
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「1回逃げるとこれからも逃げ続けることになる」という言葉、ただの脅迫かと。むしろ若いうちに「合わなかったら辞める」という経験をすることはものすごく大事で、将来の助けになる。「逃げられなくなる」方がよっぽど人生に悪い…。
「恐怖」を与える言葉は有益な助言ではないことがほとんど。。
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「1人で抱え込まずに相談しましょう」とよく聞くけれど、相談できなかったから行き詰まったのではないことがほとんど。助けを求めても助けてもらえなかったから、相談したらもっと傷ついたから行き場がなくなったケースの方が多い。相談する側よりされる側である支援者や親などが注意されなければ(自戒
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子ども時代が苦しい環境であると「耐える」ことしか選択肢がない。そのため、自分の人生の選択意識をしっかり持つことができず「自分の人生は自分以外の他者次第」と無意識に刻まれることがある。意識的には選んでいるかのように「今の環境に耐えてなくては」と自分を叱咤し我慢をし過ぎてしまうことも
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「精神的健康のためには依存先をたくさん持つ」と聞くけれど、人それぞれ「適度な刺激の量」は異なる。「依存先」を複数持てるほどの気力体力がなければできないしトラウマがあると「楽しむ」ことそのものが難しくなる。だから頼れる他者や趣味がなくてもなにも悪くない。助言が呪いになりませんように
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機能不全家庭で育つと、親との間に起きる感情は「この人が必要だけど嫌い」であったり「一番身近な人だけれど恐ろしい」等といったアンビバレンスな感情を抱く。それが大人になって他者に親しみを感じると、かつて「親しみ」と同時に起きた苦しい感情も連れてくるため強い怒りや不安などが生じてしまう
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親の機嫌の悪さに傷つく経験が多いと、「不機嫌は人を深く傷つける」と心に刻まれて、自分の負の感情を少しでも出すことができなくなる。。いつも笑顔で明るくいようと頑張り続ける。。でも、八つ当たりではない「負の感情」は出していい。。拒否しても相談してもいい。全世界の機嫌を伺わなくていい。
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精神疾患の全てが誰にでもなる病気とはいえない。けれど「適応障害」と「うつ病」は、本当にどんな人でもなる病気。どんなに自信満々でも。どんなに人生うまくいっていても。優しい人もそうでない人も。敏感な人も鈍感な人も。
だから、「なった人が弱い」とか「適応能力がない」とかでは全くない。
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精神疾患の方に必要だとされる「休養」は、健康な人の休養とは全く違う。「意識のある重体」のような状態。ツラくて苦しくて自己否定で心はいっぱい、身体は動きたくても動けないし痛いし眠れないし起きれない。。それでもそう過ごすことが治療となる時がある。「健康な人の休養」とは全く違うんです…
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「心の病はメンタルが弱いから」は大誤解。適応障害やうつ病になる人はメンタルが弱いのでなく「我慢強過ぎて、自分にだけやたら厳しい」ことが原因であることが多い。だから「メンタルを強くしなきゃ」は逆効果。「癒し方」や「耐えないスキル」などの「自分への厳しさの緩和」が必要なことが多い。。
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精神疾患は基本的に「治った」と明白に実感できる時が現れることは少ない。「また悪くなった…」というショックや不安を抱え続ける。「もう治ったの?」と聞かれてもそれがいつか一番知りたいのは本人。「治った!」と言えない思えないツラさを抱え、病との「付き合い方」を見出すことはものすごい努力
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「もっと人の気持ちを考えろ」「そんなつもりじゃない」「真面目過ぎる」等と言ってくる相手の主旨は「黙って言う通りにしてくれればいいのに」ということがほとんど。こちらを思うようにコントロールするために罪悪感や自己否定感を抱かせる言葉をいう。だから事実じゃない。相手より自分を信じたい
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感情を認めてもらえない環境下で過ごすと、気持ちがあやふやなまま蓄積され、言語化する機会も少ないためによく分からないモヤモヤが心を占めていることがある。そのためいざ出そうとすると端的な言葉では追いつかないほど複雑でたくさんの苦しい気持ちが雪崩を起こし、コントロールできないことがある
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真面目に一生懸命やって苦しくなってしまったとき「手を抜けばいい」「真面目過ぎるのが悪い」と言われると更に傷ついてしまうことがある。何も悪くなんてない。そこまで真摯に頑張った自分をまず褒めて労いたい。真摯な姿勢で病んでしまったなら、まず疑うべきは自分ではなく環境であることが多い。
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機能不全家庭では、子どもが親に「合わせる」という逆転現象が起きる。そうすると、子ども側は常に「自分の在り方はどこか間違っている」という思いを抱きつづけることになる。自然な感覚を否定して親に合わせ続けたことが、根深い自己否定感の根底であることも。自己否定は過酷な環境を生き抜いた痕跡
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人に嫌われることを非常に恐れてストレスを抱える場合、子どものころに親の機嫌に振り回されていたからであることも。親に嫌われたら生きていけない。「そこに居るためには好かれないと」という切迫した生存スキルが対人関係全般で反応していることがある。「気にしない」という軽いレベルでないことも
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機能不全家庭では、子どもが親に「合わせる」という逆転現象が起きる。そうすると、子ども側は常に「自分の在り方はどこか間違っている」という思いを抱きつづけることになる。自然な感覚を否定して親に合わせ続けたことが、根深い自己否定感の根底であることも。自己否定は過酷な環境を生き抜いた痕跡
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「もっとつらくても頑張ってる人もいるんだから」と自分に言い聞かせるときは、かなり危険な状態。心も体も限界だから「根性」に頼るしかなくなってる証。自分を救えるのは自分だけ。「もっと辛くても頑張ってる人」なんて全く同じ人は居ない。今の自分のツラさは誰と比べることはできない大事なサイン
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家族療法では、不適応を示した人を「家族内の病理を代表した人」と位置付ける。家族の病理を背負って家族全体のSOSを体現した人。だから「まともだから病んだ」は真実である場合がある。「弱いから病んだ」わけでも「自分の病気のせいで家族が」でもなく、「一家の病理を1人で背負った」ということ。。
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機能不全家庭に育つと、大人になってからも意見や気持ちを聞かれても「何でもいい」と思う。本当に「何でもいい」ことが多い。自分の気持ちを感じ大事にできる体験が少なかったために、自分の気持ちや意志はとっさに言葉に出てこない。とにかくその場が穏便に済むことを自分の気持ちより優先しがち。。