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「もっとつらくても頑張ってる人もいるんだから」と自分に言い聞かせるときは、かなり危険な状態。心も体も限界だから「根性」に頼るしかなくなってる証。自分を救えるのは自分だけ。「もっと辛くても頑張ってる人」なんて全く同じ人は居ない。今の自分のツラさは誰と比べることはできない大事なサイン
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「1回逃げるとこれからも逃げ続けることになる」という言葉、ただの脅迫かと。むしろ若いうちに「合わなかったら辞める」という経験をすることはものすごく大事で、将来の助けになる。「逃げられなくなる」方がよっぽど人生に悪い…。
「恐怖」「罪悪感」を与える助言は有益でないことがほとんど。。
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「トラウマを繰り返す無意識の傷つき行動」である『再演』について、加筆修正しました。
「どうして危険な人や場所に関わってしまうのか」といった苦しみを理解する助けになれば幸いです。
psychologist-neco.com/trauma-reactio…
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無理し続ける状態が小さい頃から日常であると「無理しない」が分からない。「無理しない」ためには自分を知ることが必要。でも自分より他人を気遣わないといけない環境であったら、自分のことも何が無理かも分からない。だから「病」は懸命な知らせで、自分で自分を助けようとしたからであることも。。
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「怒り」をその場で感じるには身の安全や体力や慣れなどいくつも条件が必要。だから深い傷ほど怒りは遅れて感じられることがある。「なんで言い返さなかったのか」等と悔しい思いを強めることも。でもその時は身を守るために最善を尽くしたはず。。そこから少し回復し、やっと怒りまで辿り着けたのかも
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一般的な「怒り」について整理した上で、トラウマなど深い心の傷のときに生じる「遅れた怒り」に注目して整理しました。
「どうしてあの時やり返さなかったのか」
「以前の出来事に対する怒りが湧いて治らない」
などの「遅れた怒り」の理解に繋がれば幸いです。
psychologist-neco.com/delayed-anger/
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「人のせいにしてはいけない」と教わりましたが、自分のせいではないことがほとんど。特に理不尽な目に遭ったらしっかり「この傷は人のせい」とすることが回復には必要。自分の人生だけど自分だけで回ってないしコントロールできない。自分に起きることの全責任を自分に課してしまうのは苦しい間違い。
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幼少期から苦労が多いと「普通になりたい」「普通にならなきゃ」と強く思うことがある。「普通」って基準がないから頑張っても報われない。そのうち許容範囲を超えて頑張る「過剰適応」が自分の「普通」になってることがある。それがおかしいのではなく、世の中の「普通」圧力がとてつもないということ
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「大人への支援」も子ども支援と同じようにすごく大事。大人になったからって子ども時代のことがリセットされるわけじゃない。子ども時代の延長で大人になってる。「大人なのに」ではなく、なんとか生き延びて「大人」になったからこそやっと支援に辿り着ける、やっと治療が始められることはとても多い
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すごく大事だと思うことは『思考の歪み』や『過剰適応』傾向があろうと、それが「悪いこと」ではないということ。「それだと自分が苦しいから変えた方がいいかも」ということであって、むしろ自分にストレスを課しながらすごく頑張って生きてきたということ。変えようとする前にものすごく褒めてほしい
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機能不全家庭に育つと、クリスマスやお正月は、「楽しいイベント」ではなく「苦しみ」であり、世の中は皆が楽しそうにしているように見えてすごく孤独感を強めてしまうことがある。。でも苦しみは声にできないから目立たないけれど、この時期が苦手なことはおかしいことじゃない。独りじゃない。。
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「頑張ってるかどうか」ということよりも「食べたい物は浮かぶか」「今日の天気はどうだったか覚えているか」といった感覚を気にしてあげる方が大事なことがある。「物の味がしなくなっていないか」「気温が分からなくなるほど思い詰めていないか」など、何か分からなくなっていたらかなり危機的サイン
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毒親やDVする人ほど被害者意識が強く、被害に遭ってる人ほど「自分が悪い」という罪悪感や加害意識が強い傾向がある。だから、それぞれがどう思ってるかに従ってしまうと危険。。加害者ほど被害意識が強いこと、罪悪感で動かされる関係性は健全ではないこと、知人が同じ立場だったらどうかを気にしたい
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幼少期から苦労が多いと「好きな物事」が少ない。趣味を聞かれても困る。。好きなことというポジティブな探索よりも、しんどい状況を生きるだけで必死だったから。。「好きなこと」は安全な環境で初めて広がる。今は少なくても、それを大切に味わっていく中で喜びの深さも増し、他にも見つけていける
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「共感」とは、その人の気持ちを精一杯想像する営みであって「私もそうだよ」というのは共感ではない。なので「私もそうなることあるよ」と言われてモヤっとするのは当然の反応。共感されたのではなく、話題をもっていかれただけ。しんどい時だと流せず傷つくことはおかしいことじゃない。。
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幼少期に親の機嫌を伺っているような日々を過ごすと、大人になって他者の機嫌の悪さに深く傷つきがちで「私が何かしたからかな?」と自分のせいだと思ってしまうようになる。幼少期に誰かの不機嫌さにとても傷付き、なんとかしなきゃと思ってたということ。「自分は人を傷付ける」というのは誤解。。
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精神疾患の方に必要だとされる「休養」は、健康な人の休養とは全く違う。「意識のある重体」のような状態。ツラくて苦しくて自己否定で心はいっぱい、身体は動きたくても動けないし痛いし眠れないし起きれない。。それでもそう過ごすことが治療となる時がある。「健康な人の休養」とは全く違うんです…
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よく「お互いさま」とか「人を責めても仕方がない」とか言いますがそんなことはない。
理不尽な被害に遭った場合は、一度ちゃんと被害者にならないと回復が妨げられてしまう。逆にいえば、ちゃんと人のせいは人のせいとできると次に進める。。
自分のせいじゃないことを理解するってすごく大事。。
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「自分で選んだんだから」といって、合わないのに我慢し続けなくていい。また選べばいい。一度選んだら変えちゃいけないなんてことはない。誰かに「自分で選んだんでしょ」と詰められたかもしれませんが、未来予知などできないんだから、やってみて違うというのは何も悪くない。1つの経験になった。
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トラウマがあると、不快な出来事が起きたときに自分の感情をその場で感じることが難しくなっていることがある。出来事からタイムラグをもって違和感や不快感がようやく感じられる。感覚の遅れに不信や自己嫌悪などを抱いてしまうけれど、その感覚は大切に拾ってあげたい大事なサイン。。
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感受性が強い人は「他人の感情がそのまま伝染する」から「気にしない」では済まない。場合によっては本人以上に痛みを感じている。感情の中でも「不機嫌」「攻撃性」は特に波動が強いから近くにいるだけで傷ついてしまう。でもそれは自分のせいじゃない。痛みが分かるから優しさも人一倍なことが多い。
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トラウマがあると「乗り越えないと!」「あの時に比べたらマシ」等と、どうしても自分を酷使してしまうようになる。自分の痛みに鈍感なために病気になるほど頑張っても「大したことじゃないのに…」と自己否定を強めてしまう…。「大したことない」という思考より微かな不快感を信じていいかもしれない
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「自分を守る」のは簡単ではない。ある一定程度以上の体力や「自分は蔑ろにされていい存在ではない」と思える自尊心や、自己主張が許される「構造」など、実はいくつも要因が必要。だから自分を適切に守れなかったとしてもおかしくないし、それ以上自分のことを自分で責めたり否定することない。。
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「体調崩さないように自己管理して」とたまに聞きますが不可能です。自分の心身だからといって自分一人で成り立ってるわけじゃないし、コントロールなんてできない。その日の体調に精一杯合わさる位がコントロールの限度。体調崩したからといって自己管理できてないなんて暴論だから華麗にスルーしよう
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親の機嫌の悪さに傷つく経験が多いと、「不機嫌は人を深く傷つける」と心に刻まれて、自分の負の感情を少しでも出すことができなくなる。。いつも笑顔で明るくいようと頑張り続ける。。でも、八つ当たりではない「負の感情」は出していい。。拒否しても相談してもいい。全世界の機嫌を伺わなくていい。