寝子(@necononegot)さんの人気ツイート(いいね順)

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機能不全家庭に育つと、クリスマスやお正月は、「楽しいイベント」ではなく「苦しみ」であり、世の中は皆が楽しそうにしているように見えてすごく孤独感を強めてしまうことがある。。でも苦しみは声にできないから目立たないけれど、この時期が苦手なことはおかしいことじゃない。独りじゃない。。
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トラウマ的状況を生き延びるとは、異常な体験をしながらも、何事もなかったかのように日々の課題をこなしながら日常を過ごすことである。それがどれほど過酷であることか、まして子どもに背負えることではない。。それでも大人にたどり着くことができた。。なんて凄いことだろう。。。
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「構ってほしいから」「働かないで済むから」等という『疾病利得』の見方は不適切であることが多い。そもそも「病気」はどれほど苦しいか…普通に過ごせるなら過ごせるに越したことはない。仮に利点があるなら、病気で居ることに利点がある状況は異常な環境。だから他者が安易に使っていい言葉じゃない
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自分の存在に無条件の肯定感が持てないと間違いを許せない完璧主義になることがある。他者からの些細な指摘を人格否定かのように受け止めたり、嫌なことを何度も反芻してしまったり苦しみを抱えることがある。それは無力な子ども時代に大人の役割を求められ必死に応えようとした懸命さの証かもしれない
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傷つきの中でも羞恥心を伴うものは心に深く刻まれ、その後にかなり影響する。「喜びの否定」や「嘲笑や見下し」「心身への暴力的な侵入」などは、受けた側は「恥」の意識を持つ。恥は自己嫌悪や存在否定に繋がりうる。何より「人に隠さなくてはいけない」と思うから癒しにくくなり、傷のままになりがち
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幼少期から苦労が多いと「好きな物事」が少ない。趣味を聞かれても困る。。好きなことというポジティブな探索よりも、しんどい状況を生きるだけで必死だったから。。「好きなこと」は安全な環境で初めて広がる。今は少なくても、それを大切に味わっていく中で喜びの深さも増し、他にも見つけていける
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精神疾患は基本的に「治った」と明白に実感できる時が現れることは少ない。「また悪くなった…」というショックや不安を抱え続ける。「もう治ったの?」と聞かれてもそれがいつか一番知りたいのは本人。「治った!」と言えない思えないツラさを抱え、病との「付き合い方」を見出すことはものすごい努力
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よく「お互いさま」とか「人を責めても仕方がない」とか言いますがそんなことはない。理不尽な被害に遭った場合は、一度ちゃんと被害者にならないと回復が妨げられてしまう。逆にいえば、ちゃんと人のせいは人のせいとできると次に進める。。自分のせいじゃないことを理解するってすごく大事。。
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心理に関するブログ書いてます。 『人の不機嫌さに深く傷つくのはなぜ?』『トラウマが奪う人生の選択権』などなど、自己理解に役立つ心理学的知識を綴っています! ご興味がありましたらぜひ✨ psychologist-neco.com
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親との間に起きた感情が「この人が必要だけど嫌い」であったり「一番身近な人だけれど恐ろしい」等といった相反する感情を多く体験すると、それが大人になってトラウマ反応として現れる。他者に親しみを感じると、かつて「親しみ」と同時に起きた不安や怒りなどの苦しい感情も連れてくることがある。。
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理不尽を受け入れ我慢することを「メンタルが強い」というように良しとする風潮に惑わされないようにしたい。理不尽な苦しみで強くなることなんてない。尊重され、心身が安全であることが健康の最低限の条件。自分だと分からなくなるので「知人だったらどうか」と考えた答えを頼りにしたい。
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精神疾患は基本的に「治った」と明白に実感できる時が現れることは少ない。「また悪くなった…」というショックや不安を抱え続ける。「もう治ったの?」と聞かれてもそれがいつか一番知りたいのは本人。「治った!」と言えない思えないツラさを抱え、病との「付き合い方」を見出すことはものすごい努力
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無意識の衝動が行動化することを「アクティングアウト」というが、それが内に向かうことを「アクティングイン」という。強い自己否定感や自己嫌悪、厳しい内省などを指している。それはトラウマ反応ともいえ、内面を傷つけ続けることでなんとか生き延びた現れかもしれない。今からしっかり癒したい。。
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「わがまま」は呪いの言葉。言った側の言うことを聞かせたいためだけで、「わがまま」と責めた方がよほどわがままである場合は多い。自分の思い通りにしたいために相手に自己否定感を抱かせるのに強力な言葉。。自分がどう感じ考えるかは自由。行動を選べばいい。「わがまま」かどうかは判断根拠がない
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トラウマがあると「ほどよく覚醒する」ことが難しくなり、抑うつなどの「低覚醒」と、イライラや衝動的な行動などの「過覚醒」という両極端を行き来するために、表面的な行動量は少なくても疲労感はかなり重くなる。「何もしてないのに…」ではなく、体は一生懸命調整しようとしている証ゆえの疲労かも
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「許すのは自分のため」「親を許すことは自分を許すこと」とかって、過干渉な親が「あなたのためを思って!」って叫ぶのと似てるな…
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すごく大事だと思うことは『思考の歪み』や『過剰適応』傾向があろうと、それが「悪いこと」ではないということ。「それだと自分が苦しいから変えた方がいいかも」ということであって、むしろ自分にストレスを課しながらすごく頑張って生きてきたということ。変えようとする前にものすごく褒めてほしい
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「もっとつらくても頑張ってる人もいるんだから」と自分に言い聞かせるときは、かなり危険な状態。心も体も限界だから「根性」に頼るしかなくなってる証。自分を救えるのは自分だけ。「もっと辛くても頑張ってる人」なんて全く同じ人は居ない。今の自分のツラさは誰と比べることはできない大事なサイン
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機能不正家庭に育つと、大人になってからも意見や気持ちを聞かれても、「何でもいい」と思う。本当に「何でもいい」ことが多い。何か思っていても、自分の気持ちや意志はとっさに言葉に出てこない。とにかくその場が穏便に済むことを自分の気持ちより優先しがち。。
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トラウマの傷は深いほど自分の感情からは遠ざからないと生きていけない。「自分の気持ちを大事に」「自分に優しく」ということは、かつては被害の危険性にすらなったかもしれない。だから自分を否定し優しくできないとしたら、その能力がないのではなく、かつて精一杯自分を守った強さの証であることも
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トラウマは重層化する。幼少期の体験がトラウマ的であれば、その後はその影響を受けながら自分の力では環境を変えられない時代を過ごすため、安全な環境でなければさらにトラウマを重ねてしまう。渦中に居るとどれほど過酷であったか分からないからこそ「今」まで辿り着いてくれた過去の自分を労いたい
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虐待など理不尽な暴力に遭うと、注目されることを無意識に恐れるようになり「目立たないように居る」ことが生存スキルになることがある。そのため人前に出る機会では強い恐怖や不安感に襲われてうまくできなかったり、皆の前で褒められるという注目も恐怖を喚起するため、"成功"を自ら避けていることも
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本当にしんどくて、もう無理ってときは「何がつらい?」と聞かれても分からない。何がツライかも分からなくなるほどツラくてどうしていいか本人も分からない。だから「わからない」ことは変なことじゃない。それくらい苦しさを我慢してたということ。いろいろなことは少し休んでからできっと大丈夫。。
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機能不全家庭に育つと、誰かが褒められていると責められてる気がしてしまうことがある。かつて家庭で「それに比べて」と貶められたことで大人になっても遠回しの自己批判と反応してしまうことが少なくない。そんな自分に更に嫌気が差すことも…。でもそう感じることは無理もないことかもしれない。。
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無力な子ども時代に、暗黙のうちに何かの役割を課せられて「それを果たさないと居てはいけない」というような体験をしていたら、子どもにとっては生命の危機的恐怖になる。そのトラウマによって大人になって他者からの些細な指摘が「全否定された」「自分は価値がない」等と存在の否定感が伴ってしまう