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幼少期に親の機嫌を伺っているような日々を過ごすと、大人になって他者の機嫌の悪さに深く傷つきがちで「私が何かしたからかな?」と自分のせいだと思ってしまうようになる。幼少期に誰かの不機嫌さにとても傷付き、なんとかしなきゃと思ってたということ。「自分は人を傷付ける」というのは誤解。。
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機能不全家庭に育つと、誰かが褒められていると責められてる気がしてしまうことがある。かつて家庭で「それに比べて」と貶められたことで大人になっても遠回しの自己批判と反応してしまうことが少なくない。そんな自分に更に嫌気が差すことも…。でもそう感じることは無理もないことかもしれない。。
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「もっとつらくても頑張ってる人もいるんだから」と自分に言い聞かせるときは、かなり危険な状態。心も体も限界だから「根性」に頼るしかなくなってる証。自分を救えるのは自分だけ。「もっと辛くても頑張ってる人」なんて全く同じ人は居ない。今の自分のツラさは誰と比べることはできない大事なサイン
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回復していく最中に「良くなりたいけど良くなるのも怖い」というジレンマを抱えることがある。それは「病気でいることにメリットがあるから」ではなく「良くなった状態がわからない」という「分からなさ」ゆえの不安や不慣れさからの恐怖であることが多い。矛盾する気持ちを抱えられることはすごいこと
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精神疾患の方に必要だとされる「休養」は、健康な人の休養とは全く違う。「意識のある重体」のような状態。ツラくて苦しくて自己否定で心はいっぱい、身体は動きたくても動けないし痛いし眠れないし起きれない。。それでもそう過ごすことが治療となる時がある。「健康な人の休養」とは全く違うんです…
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逆の思考をした方が良い世間の教え
●3年は辞めるな
→合わない所は即日退社!
●人のせいにするな
→何もかも自分のせいにするな
●終わったことは仕方ない
→今も痛む傷は終わってない進行形
●「普通はこう」
→自分の考えを勝手に一般化するな
●人に迷惑かけるな
→生きることは迷惑のかけ合い
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虐待的な環境で育つと、否定的感情に圧倒されるだけでなく喜びや休息などの肯定的な感情もトラウマになる。喜びや笑いは罰せられ、リラックスは攻撃される隙になってしまったかもしれない。そのため自分の楽しい感覚に気づくことすら傷ついていることもある。肯定的な感情に恐れを抱くことは無理もない
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機能不正家庭で育つと、誰かが困っていたり不調を訴えていると「何とかして」と責められているように感じたり、「自分が何とかしないと」と誰かの負担を負おうとし過ぎてしまったりする。。でも、今はもう何もしなくても誰も責めないかもしれないし、肩代わりしなくていい。そもそも自分のせいではない
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「人のせいにしてはいけない」と教わりましたが、自分のせいではないことがほとんど。特に理不尽な目に遭ったらしっかり「この傷は人のせい」とすることが回復には必要。自分の人生だけど自分だけで回ってないしコントロールできない。自分に起きることの全責任を自分に課してしまうのは苦しい間違い。
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精神疾患の方に必要だとされる「休養」は、健康な人の休養とは全く違う。「意識のある重体」のような状態。ツラくて苦しくて自己否定で心はいっぱい、身体は動きたくても動けないし痛いし眠れないし起きれない。。それでもそう過ごすことが治療となる時がある。「健康な人の休養」とは全く違うんです…
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「人の気持ちがわからない」という中には自分の気持ちがわからないことが原因であることがある。決して自分のことだけ考えているわけではなく、自分の気持ちが耕されなかった環境だったために、他者の気持ちに実感が伴わないことで自然に共感できず、思考でカバーしていることも。冷たいわけじゃない
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「言葉で助けを求めても助けてもらえない」という経験を重ねると、人は助けを無意識に言葉ではなく行動で表すようになる。それが衝動的な行動だったり抑うつ状態であったりする。「不適応的行動」とされるものは、かつて周囲が助けられなかったことが原因であると捉える視点が必要であることが多い。。
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自己評価が低いと「断ったら必要のない人間になってしまうんじゃないか」という恐怖心からかなりの負担を引き受けてしまいがち…。できなければ「自分がダメなんだ」とさらに自己否定してしまう。。無意識に「自分には断る権利がない」と思っていることもあり、慢性的な過労状態になりがち。。
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「人のせいにしてはいけない」と教わりましたが、自分のせいではないことがほとんど。特に理不尽な目に遭ったらしっかり「この傷は人のせい」とすることが回復には必要。自分の人生だけど自分だけで回ってないしコントロールできない。自分に起きることの全責任を自分に課してしまうのは苦しい間違い。
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「やりたいこと」なんて、なくたっていい。自分を好きになれなくても、自己肯定感が高くなくても自信が持てなくても、人に感心されるような目標などなくても、何も悪くない。「今よりも苦しみが少なく穏やかに生きていきたい」「現状維持」だって充分に素晴らしい方向性。
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自己評価が低いと「断ったら必要のない人間になってしまうんじゃないか」という恐怖心からかなりの負担を引き受けてしまいがち…。できなければ「自分がダメなんだ」とさらに自己否定してしまう。。無意識に「自分には断る権利がない」と思っていることもあり、慢性的な過労状態になりがち。。
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理不尽なストレスで心が強くなることはない。心が強くなるのは自らの意志で前向きにがんばったという場合のストレス。そして理不尽な痛みに麻痺することはあっても慣れることはない。「つらくても耐え続ける」ことが心が強いということなら、強くなる意味はない。そもそも強弱に価値を置くことはない
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「愛情が欲しければ親の基準を満たさなければならない」という評価的な環境下で育つと、自身の弱さを嫌悪し間違いが許せない完璧主義になることがある。弱さや間違いは「見捨てられ」の恐怖を喚起するため認めることが難しい。「完璧主義はやめよう」としてもできないことで自己不全感が増すことも
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トラウマとなるような出来事を繰り返してしまうことを「再演」という。性被害に遭った場合や毒親との人間関係などでよく起きる。自ら危険な場所や関係に向かっていくように見えるけれど、それこそがトラウマである証。「同じ体験をして打ち勝たなければ」「危険で怖い関係の方が安心よりも慣れている」
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無理し続ける状態が小さい頃から日常であると「無理しない」が分からない。「無理しない」ためには自分を知ることが必要。でも自分より他人を気遣わないといけない環境であったら、自分のことも何が無理かも分からない。だから「病」は懸命な知らせで、自分で自分を助けようとしたからであることも。。
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「共感」とは、その人の気持ちを精一杯想像する営みであって「私もそうだよ」というのは共感ではない。なので「私もそうなることあるよ」と言われてモヤっとするのは当然の反応。共感されたのではなく、話題をもっていかれただけ。しんどい時だと流せず傷つくことはおかしいことじゃない。。
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無理し続ける状態が小さい頃から日常であると「無理しない」が分からない。「無理しない」ためには自分を知ることが必要。でも自分より他人を気遣わないといけない環境であったら、自分のことも何が無理かも分からない。だから「病」は懸命な知らせで、自分で自分を助けようとしたからであることも。。
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精神疾患は基本的に「治った」と明白に実感できる時が現れることは少ない。「また悪くなった…」というショックや不安を抱え続ける。「もう治ったの?」と聞かれてもそれがいつか一番知りたいのは本人。「治った!」と言えない思えないツラさを抱え、病との「付き合い方」を見出すことはものすごい努力
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大切な親が酷いことをしてきたり、して欲しいことをしてくれなかったりすると、子どもはそのショックをコントロールするために心理的に距離を置くことで「大丈夫な自分」でいようとする。そのことが大人になっても自分の悲しみや喜び等の感情を感じにくくしていることがある。過酷な環境で適応した証
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大切な親が酷いことをしてきたり、して欲しいことをしてくれなかったりすると、子どもはそのショックをコントロールするために感情から距離を置くことで「大丈夫な自分」でいようとする。そのことが大人になっても自分の悲しみや喜び等の感情を感じにくくしていることがある。過酷な環境で適応した証…