1958年11月27日、上皇陛下と美智子様が婚約を発表しました。 テニスコートでの自由恋愛により結婚に至り、初の平民出身の皇太子妃として世間の注目の的となり「ミッチー・ブーム」とも呼ばれました。 昭和のシンデレラと呼ばれた美智子様を真似てミッチースタイルといったファッションも流行りました。
今から約100年前に政府が発行した、スペイン風邪に対する感染予防を求めるポスターです。 日本では1918年から1921年にかけて計3回流行し、第一波では2,116万人が感染、25万人が死亡、第二波では241万人が感染、12万人が死亡しました。 世界全体では、1億人が亡くなったともいわれています。
1958年12月1日、初の1万円札が発行されました。 当時は、そもそもこのような高額紙幣は発行する必要があるのかという議論がなされましたが、発行されると高度経済成長とともに順調に流通量は増え、日本の発展を支えました。 表面は聖徳太子、裏面は鳳凰、透かしには法隆寺夢殿が描かれています。
斎藤春子は、二・二六事件で暗殺された斎藤実の妻です。事件当日、彼女は将校達の向ける機関銃の筒先を持ち、 「斎藤の命は国家に捧げました。時期が来れば差し上げます。しかし、まだその時ではありません。斎藤を撃つなら私を殺してください。」 と叫び、身を挺して斎藤を庇い続けたそうです。
1893年12月5日、幕末の会津藩主であった松平容保が亡くなりました。 会津戦争後しばらくは朝敵として蟄居の身にありましたが、1872年には許され、その後は日光東照宮の宮司を務めました。 容保の曾孫にあたる徳川恒孝が徳川宗家に養子に入ったことで、現在の徳川宗家は容保の男系子孫となっています。
1941年12月8日、真珠湾攻撃が行われました。 日本海軍がハワイ真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と真珠湾基地に対して奇襲攻撃し、戦艦8隻を撃沈させます。 真珠湾攻撃を契機に、太平洋戦争が始まります。 しかし、アメリカ側は日本の暗号を解読しており、奇襲は筒抜けだったといわれています。
1916年12月9日、夏目漱石が亡くなりました。 漱石は肺結核、糖尿病、胃潰瘍など多数の病気を抱えていました。 胃弱にも関わらず、ステーキや中華料理など脂っこい食事を好んだほか、大の甘党で、療養中にアイスクリームを欲し、無断で業務用アイス製造機を取り寄せ、妻と大喧嘩をしたといいます。
1867年12月10日、坂本龍馬が暗殺されました。 龍馬は午後8時頃、中岡慎太郎と近江屋で話していたところ、十津川郷士を名乗る数人に襲撃され、ほとんど即死に近い形で殺害されました。 旧暦にはなりますが、龍馬の誕生日と命日が同じ11月15日になってしまいました。
明治時代に撮影された東京 上野の風景です。 上野の桜の歴史の始まりはで江戸時代、3代将軍徳川家光の時代に、わざわざ奈良の吉野山から桜を移植したといわれています。 当時まだ娯楽の場が少なかった江戸では、人々は上野の山に咲き乱れる桜に夢中になったそうです。
1867年12月12日、中岡慎太郎が亡くなりました。 坂本龍馬とともに襲撃され、龍馬が即死してから2日後の死でした。 中岡は幕末では珍しい笑顔の写真が残っています。隣に女性がいると想定されますが、中岡の頬に当てられた手と膝にかかった着物を除いて塗りつぶされてしまっています。
1481年12月12日、一休宗純が亡くなりました。 一休さんの愛称で知られる幼少期の虎退治などの逸話は創作といわれていますが、破天荒な人物で、後にとんち話を生むことに繋がりました。 飲酒、肉食、女は当たり前で、男色も好み、大きな木刀を腰に差して街を歩くなどだいぶ人間臭い人物だったようです。
日露戦争で外国の観戦武官を交えて撮られた日本軍司令部の集合写真 100年以上前から、集合写真の最前列で寝そべる人がいたことが分かります。
今日は赤穂浪士討入の日です。 1884年(明治17年)に発行された『赤穂義臣伝』より、赤穂浪士討入の様子です。 明治維新によって幕府が崩壊して以降、公儀に対する反逆者であった赤穂浪士に対して、明治天皇が泉岳寺に勅使を派遣するなど公式に顕彰する動きが出始め、赤穂浪士人気はさらに高まりました。
1941年12月16日、戦艦大和が竣工されました。 当時世界最大の戦艦と称されるほどの大和でしたが、「大艦巨砲主義」から「航空主兵論」へ移行していく時代の波には逆らえず、輝かしい成果を上げることなく、1945年4月7日に鹿児島県の坊ノ岬沖で沈没させられました。
1933年12月23日、上皇陛下が生まれました。 昭和天皇の子は4人続けて女子であったため、皇位継承者の誕生に国中が湧き上がったといいます。 魚類学者としても知られており、ハゼの研究者として論文も執筆、退位後の2020年にもオキナワハゼ属の新種を発見するなど活躍されています。
1914年12月24日、第一次世界大戦において、一部の地域で独軍と英軍がクリスマス休戦を実施しました。 英独の将兵らは品物の交換や記念撮影などをして、互いにクリスマスを祝いました。 一方、当時従軍していたヒトラーは「戦時中にこのような事をするべきではない」と仲間たちを叱りつけたようです。
今日はクリスマスイブです。 日本では明治初期の1875年に、自宅でクリスマスイブを祝うパーティーの記録が残っています。 欧米に比べ日本では恋人と過ごす日という認識が強く、約100年前から銀座や渋谷では、クリスマスディナーを用意し、店員もクリスマスの格好をして客を出迎えていたといいます。
クリスマスは明治時代後半にはすでに年中行事として定着していました。 現代と同じ赤い服を着たサンタクロースが広まったのは大正時代からで、サンタ人形は人気のプレゼントとでした。 大正天皇が1926年12月25日に崩御し大正天皇祭として休日になったことから、日本でクリスマスが一気に普及しました。
1975年12月25日、子門真人の「およげ!たいやきくん」が発売され、空前のヒットを記録しました。 トータル売上は450万枚以上で、「日本の最も売れたシングル・レコード」としても有名です。 ちなみに子門はこの曲に関して、5万円の買取契約を結んでおり、印税契約は交わしていませんでした。
1974年12月28日、カルピス創業者の三島海雲が亡くなりました。 モンゴルで瀕死の状態にあった際に乳酸菌と出会い命拾いした経験から、日本初の乳酸菌飲料「カルピス」を発売しました。 「カル」はカルシウム、「ピス」はおいしさを表すサンスクリット語です。 水玉のデザインは天の川を表しています。
1884年12月30日、東條英機が生まれました。 東條は三男でしたが、長男と次男はすでに他界しており、家督を継ぐ長男として扱われました。 戦争指導者のイメージが強いですが、実務能力に秀でた優秀な軍官僚で、天皇に対する忠義も人一倍あり、昭和天皇も東條に全幅の信頼を寄せていました。
今日は元日です。 戦前までは法令で祝日とは定められておらず、紀元節、天長節、明治節と並び、四方節として今までの慣習から祝日とされていました。 宮中では早朝に、天皇陛下が天地四方の神祇を拝する儀式である四方拝が行われます。
1915年1月5日、新選組隊士の永倉新八が亡くなりました。 永倉は鳥羽・伏見の戦いなどで活躍しますが、のちに近藤勇らと意見衝突し新選組を離れます。 その後、出身の松前藩への帰参が認められました。 晩年は妻と子供がの営む薬局がある小樽へ転居、北海道大学剣道部の指導にもあたりました。
明治時代に撮影された日本の風景
安政6年1月7日、秋山好古が生まれました。 「日本騎兵の父」として、世界最強のコサック騎兵隊を破る快挙を成し遂げました。 陸軍大学校で、学生達に騎兵の特徴(高い攻撃力と皆無に等しい防御力)を説明する際、素手で窓ガラスを粉砕。 血塗れの拳を見せ「騎兵とはこれだ」と示す逸話が残っています。