家康が水野信元と会った頃(1561年2月頃)の登場人物の年齢(満年齢) 徳川家康 18歳 瀬名 19歳前後 石川数正 28歳 酒井忠次 34歳 本多忠勝 12歳 鳥居忠吉 71歳前後 大久保忠世 29歳 水野信元 39歳前後 久松長家 35歳 於大の方 33歳 武田信玄 39歳 織田信長 26歳 今川氏真 23歳 #どうする家康
今日は「カレーの日」です。 1982年に全国学校栄養士協議会で、1月22日の給食のメニューをカレーとすることが定められ、全国の小中学校で一斉に出されたことが由来です。 カレーが給食に導入されたのは1948年が最初で、戦前から家庭に広まりつつあったカレーは一気に国民食となりました。 #カレーの日
慶応2年1月21日(1866年3月7日)薩長同盟が結ばれました。 同盟の内容は、長州藩処分問題に関し、長州藩の状況が悪くなっても薩摩藩は長州藩を支援するというものであり、倒幕へ向けて積極的に動き出そうとするものではありませんでした。 軍事対決の相手も、幕府ではなく会津藩が想定されていました。
今日は『玉の輿の日』です。 アメリカの実業家J・P・モルガンの甥のジョージ・モルガンが、祇園の芸妓・お雪と結婚したことが由来です。 モルガンは約8億円の見請金を支払い、お雪は「日本のシンデレラ」と呼ばれました。 その後アメリカに渡りますが、排日法により帰化は許されませんでした。
1951年1月19日、実業家の星一が亡くなりました。 それまでは輸入に頼っていた、外科手術に不可欠なモルヒネの国産化に成功するなど「東洋の製薬王」と呼ばれました。 また、彼が創業した星製薬は「チェーンストア」という販売方式を日本で初めて確立しました。 ちなみに、長男はSF作家の星新一です。
1899年1月19日、勝海舟が亡くなりました。 風呂上がりにトイレに寄った後に倒れ、侍女に生姜湯を頼みますが、間に合わないとしてブランデーを渡されたといいます。 それを飲んだ直後に脳溢血により意識不明となり、75歳で亡くなりました。 最期の言葉は「コレデオシマイ」だったとされます。
1889年1月18日、石原莞爾が生まれました。 関東軍の参謀として満州事変を起こし、約1万人の兵力で23万の敵軍を相手に立ち回り、満州を占領しました。 東京裁判では、連合国が日清、日露戦争の頃まで歴史をさかのぼり戦争責任を問うと言った際、だったらペリーを連れてこいと反論した逸話もあります。
1995年1月17日午前5時46分に、マグニチュード7.3を記録した阪神・淡路大震災が発生しました。 死者は6,434人に達し、東日本大震災が発生するまでは、戦後では最も大きな被害をもたらした自然災害となりました。 近代都市で起きた災害としては世界最大級で、諸外国からも救援隊が派遣されました。
1919年1月16日、酒の製造や販売などを禁じた禁酒法がアメリカ議会を通過し、翌年に施行されました。 しかし、飲酒を完全に規制することは難しく、秘密の酒場(スピークイージー)が繁昌し、密造酒も高額で売買されました。 写真は禁酒が徹底されていない様子を皮肉った広告です(1926年頃)
1959年1月14日、南極大陸に置き去りにされた南極観測隊の2頭のカラフト犬・タロとジロの生存が確認されました。 死んだものとして扱われ慰霊碑も建てられていた2頭の生存は日本中に衝撃をもたらします。 その後ジロは南極で亡くなりますが、タロは1961年に日本に生還し、北海道で余生を過ごしました。
今日は『尖閣諸島開拓の日』です。 1895年1月14日に尖閣諸島の日本領への編入が閣議決定されたことにちなみ、石垣市が2010年に条例で定めました。 写真は中華民国駐長崎領事が「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」で中国人遭難者を救助したとして、沖縄県石垣村の漁民へ送った感謝状です。
明治時代に撮影された清水寺の様子
1946年1月13日、高級たばこ「ピース」が大蔵省専売局によって発売されました。 ピースの名前の由来は、第二次世界大戦後の混乱期に夢や希望、平和な未来を願ったものとされています。 値段は10本入りで7円(現在価値で800円ほど)で、日曜、祝日限定で1人1箱限りの販売とされました。
1872年1月13日、幕末四大人斬りの一人である河上彦斎が亡くなりました。 片手抜刀の達人で、佐久間象山を暗殺したことで知られています。 明治以降も攘夷を主張したことから新政府に危険視され斬首されました。 『るろうに剣心』の緋村剣心、『銀魂』の河上万斉のモデルとしても知られています。
今日はスキー記念日です。 1911年1月12日、オーストリアのレルヒ少佐が新潟県で陸軍青年将校にスキー指導を行ったことに由来します。 陸軍は八甲田山雪中行軍で事故を起こしたばかりで、スキーに注目しており、レルヒ少佐に白羽の矢が立ちました。 現在も新潟ではレルヒさんとして親しまれています。
1982年1月11日、ゼロ戦の設計者である堀越二郎が亡くなりました。 海軍からのあまりにも高い性能要求に対し、堀越は格闘性能、航続力、速度の全てを満たすように努めました。 ゼロ戦の防弾性能については「戦闘機には優先順位があり、防弾がなかったのは当然」と語っています。
1835年1月9日、三菱創始者の岩崎弥太郎が生まれました。 弥太郎は日本で初めてボーナスを出した人物です。 英国海運会社との競争で、社員は給与1/3を返上し経費削減を実行し勝利したため、年末に賞与を支給しました。 また弥太郎は 「年下や後輩に奢ること」を習慣とし、これを家訓として残しました。
桶狭間の戦い時点での登場人物たちの年齢(満年齢) 徳川家康 17歳 瀬名 18歳前後 石川数正 27歳 酒井忠次 33歳 お登与(忠次妻) 31歳 大久保忠世 28歳 本多忠真 29歳 本多忠勝 12歳 平岩親吉 18歳 今川義元 41歳 今川氏真 22歳 織田信長 25歳 武田信玄 38歳 #どうする家康
1932年1月8日、昭和天皇の暗殺を狙った「桜田門事件」が起こりました。 4つある大逆事件の最後の1つです。 犯人は大韓民国臨時政府の抗日武装組織「韓人愛国団」に所属していた李奉昌(イ・ポンチャン)で、天皇に危害を加えようとした罪などで大逆罪に問われ、死刑となりました。
1989年1月7日午前6時33分、昭和天皇が87歳で崩御されました。 そして憲法と皇室典範に基づき、皇太子明仁親王が皇位を継承し、即位されました。 2月24日に大喪の礼が行われ、当時の天皇陛下は弔辞の中で「激動の時代を歩まれた御姿は永く人びとの胸に生き続けると存じます」と述べられました。
明治時代に撮影された日本の風景
1915年1月5日、新選組隊士の永倉新八が亡くなりました。 永倉は鳥羽・伏見の戦いなどで活躍しますが、のちに近藤勇らと意見衝突し新選組を離れます。 その後、出身の松前藩への帰参が認められました。 晩年は妻と子供がの営む薬局がある小樽へ転居、北海道大学剣道部の指導にもあたりました。
明治時代末期に撮影された東京の風景
今日は元日です。 戦前までは法令で祝日とは定められておらず、紀元節、天長節、明治節と並び、四方節として今までの慣習から祝日とされていました。 宮中では早朝に、天皇陛下が天地四方の神祇を拝する儀式である四方拝が行われます。
1884年12月30日、東條英機が生まれました。 東條は三男でしたが、長男と次男はすでに他界しており、家督を継ぐ長男として扱われました。 戦争指導者のイメージが強いですが、実務能力に秀でた優秀な軍官僚で、天皇に対する忠義も人一倍あり、昭和天皇も東條に全幅の信頼を寄せていました。