黒川 駿哉 / 児童精神科医(@shunya5)さんの人気ツイート(リツイート順)

これを「家族は助け合わなければならない」と堂々と憲法に盛り込み、今後さらに強要していくつもり満々の今の自民党さんはガチで国を壊しにきている(そしてQ&Aで質問に全く答えてない)。子どもの育ちを守らず、子どもに未来の責任だけ押し付けるような政治を僕は推せません。constitution.jimin.jp/document/draft/
「プレミアム分は洗って出す予算があるけど普通席分は無理」はわかる。だけど元々あったサービスの、一般の人のマイナスを、プレミアムのプラスみたいに、わざわざ一言添えて特権感を出すのをマニュアル的?にやって、客が喜ぶと思ってるとしたら、僕は不快。上級国民ってそういうのが嬉しいの?
効果があるかどうかは別として、感染対策のゆるさはプレミアムで差別化するところじゃないでしょ。こういう特権意識みたいなのが根強いからうまくいかないんじゃん。ウイルスは忖度しないんだよ。って言いたかったけど言えなかったよ。毛布ぬくぬくして寝たよ。ここで言うのが一番ダサいね。知ってる。
今取り組んでいる、思春期の発達障害の子たち向けの「友達作りのスキルを高めよう」の活動目的は、「守りのスキルを高める」という認識でいる。僕はどちらかというと、本人が望まないのであれば、友達はいなくてもいい、集団にも所属しなくていい、無理に社会に溶け込む必要もない、とさえ思っている。
発達障害にしてもうつ病にしても「病気なら頑張って治していきましょう」「治らないならそもそも病気じゃなく甘えでは」みたいなマインドの人がまだまだ教育者や支援者のなかにもいる。でも本当はその「自分の理解の範囲を超えることが受け入れられない姿勢」こそが甘え。
僕は適応障害とうつ病の説明には、よくこれを使わせてもらっています。簡略ですが直感的でわかりやすい。大事なのは①ストレスの重さだけじゃない②バネの性質も関係あるかも③ストレスと症状の因果関係④同じストレスでも時間が長いと伸びきっちゃう。そして初回受診でうつ病と診断する医者は怪しい。
先進国での今の議論はとにかく「ワクチン未接種者をどう守るか」。日本も先進国にならって、感染者増は許容し重症化は自己責任とするwithコロナで行く雰囲気です。2ヵ月後、ワクチン未接種の人は、ウォーキングデッドの世界でサバイブしていくようなイメージで準備しておいたほうがいいかもしれない。
これ、頑張ってる父親同志達に届いてくれているのが嬉しい反面「仕事のドロドロを妻も担え」「妻は何をして欲しいか言え」とか的外れな反応もかなり多く、正直絶望してます。子育てをする(doing)の前に、親である(being)のだから、自分ごととして捉えましょうよということです。仕事は全く関係ない。 twitter.com/shunya5/status…
「産後うつ」って、今まで男の精神科医として、出産やその後の痛みは想像しかできないし、ホルモンバランスの急激な変化も知識としてしか理解できないため、外来では正直すこし構えて特別視してしまっていた。育児を経験して今は「そりゃそうだ」 としか思わず、ある意味全く特別だと思わなくなった。
これまでワンオペ育児しながら論文を量産する女医の先輩方を何人も見てきたので、自分もちょっとは書けるかなって思ってた。決して育児を舐めてたわけじゃないけど、妻もいるし隙間で自分の時間はそれなりに作れるって思ってた。でも違った、先輩方がウルトラハイスペックモンスターなだけだったよ。
また「明らかな解決法が存在しない課題を提示する」という項目は、48ヵ国平均が37.5%という中で、日本は16.1%で下から3番目。世界のどの国でも当たり前にやっている「複雑な問題を先入観ゼロで自分の頭で考える」ということを子どもに教えない、ダイナミックな教育理念を持つ国だったのである。
水島広子 先生の『大人のための「困った感情」のトリセツ』 (大和出版)より引用です。おすすめです~
子ども家庭庁に名称変更、赤木さんの裁判を金で解決、統計不正、これらの昨日の3つのニュースが地味に扱われていること自体がもうこの国の未来のやばさを派手に物語っている。どうやって子ども達の育ちを守っていけばいいんですかね。派手派手かよ。
メール来てた。「SNSに載せるな」って。ボランティアであって強制じゃないんだし、やりたい人にとっては名誉なはずのことをなぜ協会はコソコソと募集しなきゃならないのか。国をあげて悪いことをしている、それに加担している、っていう罪の意識なのかな。とても複雑です。 twitter.com/YahooNewsTopic…
友達作りのスキルは「友達ができること」だけがゴールで正解ではない。「友達を作らないスキル」も身につけられる。面倒なことに巻き込まれず、利用されず、自分を大切にし、自分を助けてくれる人だけを友達に選ぶこと。そういった「守りのスキル」を育むことはどんな人にとっても大切だと思ってます。
心に傷を負った人への「だから謝ってるじゃん」というセリフは、そのあとに「(だからいい加減許せよ)」という心の声が必ずくっついている。これほど誠意がなく、傷に塩を塗る言葉はない。学校現場でも「ほら、○○君も謝ってるし」と先生が言って解決したことになっていないかと、心配しています。
「なんとか普通学級で」「病名はつけないで」などと「普通」にしがみつこうとする親御さんには、寄り添いながら(何年もかかることもあるけど)視点を移してもらう作業しかしていない気がする。普通という実在しない幻想から、「その子自身」へ。視点が移りさえすれば半分終了で、あとは勝手に動き出す。
「あそこは不登校だった子にミラクルが起こる」と児童精神科医や心理士さんから聞いてた立花高校。開かれた教員室には卒業生が来て話し込んでいたり、教室を抜けてクールダウンするスペースがそこら中に。学校に向かう坂道を歩くペースが生徒それぞれだったのがとても印象的でした。個と主体性の尊重。
発達障害についてメディアが美談ばかり偏向して発信するから、一般の人の多くが「初期ステータスの割り振り方が偏ってるだけで、何かが苦手ならそのぶん他の能力に特化してるんでしょ?」と理解している。その根底にあるのは「みんな同じ」と「生産性がなければ存在してはいけない」という危険な思想。
今の厳しい時代に、苦しくて壊れそうになりながらも頑張っている人達の声を、半沢直樹が代弁してくれている気がして、とにかく涙が止まらなかった。そして花ちゃんの「仕事なんか無くなったって、生きていれば何とかなる。生きていれば…なんとかね。」も。 誰もがそう思える社会になれ。頼む。
軽い自閉の特性のある女の子で、本人は困っていてもそのサインを出せないだけなのに、学校の先生には「困ってませんよ(こっちが)」と言われてしまう子たちをなんとか早期の支援に繋ぐ方法ってないもんかなぁ。
僕は今、育児のうまくいかなさと慢性的疲れで「愛情」と「怒りと拒絶」の相反するぐちゃぐちゃの感情に絶賛戸惑い中です。そしてこの感覚は親としてめちゃ良いことだと思うんですよ。元論文も読んだけど、そういう考察が全然なかったのが逆に興味深い。子育て=ただ楽しいものと思ってる人が書いてる?
小6で英国から帰ってきたとき、日本と比べて英国の女性の方がなんか強くて男らしかったなぁとずっと思ってた。でも自分が女性とお付き合いしたりで内面を知る過程で、日本の女性が女性らしさを過度に強いられているだけだったと理解した。「普遍なのは個人で、性別は役割」と気づくまで随分かかった。
発達検査のグレーな結果に対して、親御さんが「この子は普通なのか障害なのか」で悩んでいるとしたら、その間は何も進まない。視力だけで「目が悪いと言えるかどうか」で悩まないですよね。「大体は見えるけど本を読む時だけ不便だからメガネを持っておこう」、診断にもこの感覚が広まってほしい。
児童精神科医だけど、以前は子どもがいなかったから、外来で子育ての助言には気を遣った。今はもっと気を遣う。自分の子がたまたま育てやすい子であると知っているから。偏食も寝ないも抱っこ嫌もアレルギーも癇癪も、あるなしで大変さが何人分にもなる。自分の実力と勘違いした助言は毒にしかならん。