本人の困り感はWISCやWAISなんかじゃ測れない。「この数字じゃ特別支援や特別な配慮の対象にはならない」「お母さんの心配しすぎじゃないですか」「様子をみましょう」とかいうの、いい加減にやめよう。何十年遅れていくつもりだろう。保護者と学校と医療が協力できるシステムを作りたいなぁ。
『自立とは、沢山の依存先を持つことである。』というのは全くその通りだと思う。頼れる対象が一人だと、その支援者には荷が重すぎてやがて離れてしまう。逆に僕ら支援者は、一人を抱えすぎず、「沢山のうちの確かな一つ」になることを目指し、そして一つでも多くの仲間を巻き込むことが大切だと思う。
小さい頃、家にお客さんがくるたびにバイオリンを弾かされ、すごいと褒められ、両親が満足した。10歳頃に「おれはパパとママの道具じゃない!」と泣いてやめた。大学に入って久しぶりに楽器を触った時、ひどい音だったけど、その音は愛せた。下手でもそういう僕にしか出せない音はあるのかもしれない。
講義で大学生に「みんなの兄妹がうつ病になったとして、精神科に連れて行くのに抵抗となる理由」を挙げられるだけ挙げてもらったら「親族や近所の偏見」「本人との関係が壊れる」「診断がつくことで余計悪化するかも」「医者が信用に値するかわからない」などリアルな不安が上がってきて勉強になった。
『ミッドナイトスワン』観ました。性別違和の苦しみも、ネグレクトも、若者の自殺も、夜の世界も、普段精神科医として見聞きしているようなことなので、全ての描写があまりに身近であまりにリアルでした。なかなか心を遣う映画ですが、少しでも多くの人の目に触れてほしいなと思いました。草彅剛さん👏
親が「子育てにゆとりがあり、子どもと沢山の時間を過ごせる」という状態が「一部の上流階級だけの特権」みたいな風潮がある時点で、この国の子どもへの教育・医療・福祉の資源は、健康とか障害とか関係なく圧倒的に不足していると思うし、現状を受け入れている僕達は相当感覚が麻痺していると思う。
子が「いじめられるから学校に行きたくない」と家で泣いている。親は一度休ませると行けなくなってしまいそうだから学校は行かせている。学校の先生は「楽しそうで問題ない。嫌なら本人が直接伝えないとこの先の人生でずっと苦労する。心配しすぎでは?」と言う。本人を見ている大人はそこにいない。
いまの政治が5年かけて目標にするのがこれ。まさに「これからも子どもや教育にはお金を出すつもりはありません」宣言。この痛み、俺は長男だけど我慢できない。
金子書房さんのnote記事出ました。ちょっと過激?ですが、自分が救われた言葉たちとともに、炎上覚悟で書きました。「それでいいよ」というメッセージが一人でも多くの子ども達や保護者さん、そして同じ気持ちをもつ支援者の皆様に届きますように!🔥 twitter.com/kanekoshobo/st…
成人式は一部の尖った若者の映像が必ず撮れるからメディアのターゲットになりやすいけど、5000人以下のイベントOKって言ってるのは国だし飲食店も20時までって言ってるの国ですよ。大人が若者ばっか責めてるの本当に汚い。まず国が言ってる7割テレワークできてる?子どもも若者もみんな見てるからな。
大人たちの勝手な都合に振り回され、勉強の機会のみならず、文化祭、体育祭、修学旅行、受験、部活、サークル、恋愛、バイト、就活、その他青春の機会を失っている全てのコロナ世代の子ども達や若者に、今サバイブしていることに心の底から敬意を表し、これから一生優しくすることをここに誓います。
児童手当の廃止で、やっとドクター含め、小金持ち層の与党への意識が変わってきた感じがする。どんな理由であれ、子どもを後回しにする選択をし続けている政党は支持できない。僕は子どもの福祉や教育や医療資源を拡充すると宣言し行動している政治家だけ支持します。子どもは国の明日そのものだから。
子どもの虐待関連死に社会が慣れてしまっているのがただ悲しい。この国には心理資格を持ち、人を助ける志、意欲があり、仕事を求めている人が沢山いるのに、国も医療もその資源を使おうとしない。周産期のメンタルヘルス予防の整備にあと何年かかるんだろう。あと何人死なせなきゃならないんだろう。
お子さんの視力が低いことが判明した時に「まぁ眼鏡かければいっか」と思えるように、字がうまく書けないことが判明した時に「まぁタブレットに頼ればいっか」って当たり前に思える時代よ、早く来い。というか僕たちで来させないと。これ以上こんな理由で親御さん達を泣かせたくない。
僕は初診で40分(児童は60分)、再診1人15分とれない職場は辞める派です。5分未満で話も聞かずに患者さんの心を見透かす魔術師的なスキルはないし、今後身につけたいとも思っていないからです。今の職場はありがたいことにその時間を取らせてもらえています。
「なんとか普通学級で」「病名はつけないで」などと「普通」にしがみつこうとする親御さんには、寄り添いながら(何年もかかることもあるけど)視点を移してもらう作業しかしていない気がする。普通という実在しない幻想から、「その子自身」へ。視点が移りさえすれば半分終了で、あとは勝手に動き出す。
これは決して「障害児であることを認めて受け入れろ」ということではなく、「その子の人生の視点に立ってみたとき、いま目の前に手助けが必要な障害がありそうですか?」という問いです。お子さんはその真っ直ぐな瞳で必ず見ています、親御さんの目線の先を。
①じっとしているのが生まれつき困難な「多動」の特性と、②自分が何もしていないことが心理的に耐えられない「過活動」、③誘引なく色々やりたくなりやれちゃう時期がくる「躁状態」って、似ているようで違う。自分がどの成分が強いか考えてみると役に立つかもしれません。僕は3:5:2くらいかなぁ〜。
よく療育や育児で言われる「本人の主体性を見守る」は「放置」と紙一重だし、「本人の頑張りを後押しする」は「強要」と紙一重なので、どっちがいいとかじゃない。僕ら自身がいつの間にか「子ども本人のペース」から「自分にとって都合のいいペース」になってしまっていないかを問い続けることがキモ。
羽田空港のJALとANAのターミナル1か2かどっちかわからない人、Aがいくつあるか数えてみてください。それが答えです。( ͡° ͜ʖ ͡°)
当直中に看護師さんに「なんか、今日平和ですね...」ってぽろっと言うと絶句されて「(こいつ言ったぞ!言っちゃったぞ...)」みたいな感じになるのって全国あるあるですか?わりとがちで怒る人もいるから面白いですよね。海外ってあるんだろうか?僕こういうスピリチュアルな国民性すごい好きです。
不登校そのものは病気でも問題の本質でもない。あくまでも起こっている現象にすぎないし、多くの場合は本人にとって「せいいっぱいの対処」の結果であることを忘れないようにしたい。だからこそ本人が頼っている親や先生にそれを「問題」として扱われてしまった時の二重三重の苦しみに想いを馳せたい。
緊急事態宣言の要請を検討⇒緊急事態宣言の要請を決定⇒緊急事態宣言の要請⇒緊急事態宣言の発令を検討⇒緊急事態宣言の発令を決定⇒緊急事態宣言の発令 うん、ながい。緊急事態とは。
この国には「おりこうさん」がいっぱいいる。お上がワクチンを全く確保できていないことや、制限に対して生活の補償をしてくれないことよりも、働かざるをえず感染してしまった当事者や、その治療にあたる医療従事者に攻撃の矛先を向けてしまうくらいに飼い慣らされている「おりこうさん」がいっぱい。
濃厚接触者でも条件によっては試合出場可能となるそう。『大会に懸けてきた選手が陰性にもかかわらず、試合に出場できないという悲劇的な状況をつくらないための措置。』ってこの説明で一体どこの誰が納得するんでしょう。狂気の極み。 news.yahoo.co.jp/articles/efe38…