大山 格🇺🇦(@itaru_ohyama)さんの人気ツイート(リツイート順)

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幹部自衛官で現役時代に筑波大学で近現代史を学んだ人がいて、その人なんかは立派に第一線研究者と語り合えるほどの学識を持っていた。そういう人も居るのに、なんでだろうね。
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九六銭という商習慣を御存知ですか? 現金決済、必ずしも10進法じゃなかったんですよ。つうか、九六勘定のほうが一般的。郵便は例外で九六勘定をしませんが、屋台で立ち食いの蕎麦は九六勘定です。たいがいツケで買い物していた武士は、その場で現金決済するのに慣れてない人が多かった。
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しかし、まあ、その老人の手口はスゴイ。墓所の修復という目的を明示した寄付の募集だから、大金が入ったのに何もしないわけにいかない。あらかた使ったところで税務署にチクるというと、納税の準備が無いところだから、差押えとか、固定資産の競売とかまで行っちゃうよねぇ。
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思い当たることがあって、 一時的に消息が知れなかった某研究者のことを「亡くなりました」と嘘をついたヤツがいて、わしはその人から届いたばかりの封書を示して存命である証拠を突きつけたのだが、いつの間にか「嘘を飲み込めない器の小さい男」だといわれて袋叩きにあったわ。あれはなんだったのか twitter.com/chilime/status…
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ベトナム戦争の時、ベトナムに対して「早く米国に降伏すべきだ」と言った人が、どれだけいただろうか。
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淫祠邪教の廃絶は、明治末の神社合祀令によって推進されたと、わしは思っているよ。宗教政策は文部省の管轄だったが、神社は内務省の管轄で警察が動いた。闇から闇へ葬り去らなきゃならないような、隣村から子供を攫ってきて生き晒しにするような信仰は、たいがいこの時期に潰されたらしい。
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歴史雑誌の編集さんにも、歴史に対する興味関心がゼロみたいな人がいて、「読者さまはカネ払って歴史雑誌を読もうとする人たちだからアナタと意識が違いますよ」と言っても、ワカラナイというか判ろうとしない人が、一人二人じゃないんですわ。 twitter.com/nozonder/statu…
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史料を引用するときも「言い換え」を主張する編集者がいるんだよね。たとえば『大東亞戰爭終結ノ詔書』というのを、「太平洋戦争」で「敗戦」でなければならないとか。史料の引用は、原文ママでなきゃダメなんですよと、口が酸っぱくなるほど言い続けて、それでも引き下がらないんだよね。 twitter.com/koudachinaoki/…
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シャブ牧師に対しては「もう逮捕されているのだから叩く必要が無い」とか言ってる人もいるが、宮崎勤は刑死してなおオタクの標本みたいに言われて叩かれ続けているのに比べ、ずいぶん扱いが違うよなぁ。
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わしは障害者であり、手帳を持っているが、「障碍者」という書き換えに対して違和感がある。不具とか廃失とか穏当で無い字面を排除するために「障害」に置き換えられたのに、その「障害」がまた「穏当で無い」なら、何度変えようとも、変えた都度、また「穏当で無い」と言われるだろう。キリが無い。
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歴史エンタメは、歴史家がボールを投げ、作家がバットで打ち返し、それを読者が受け止めるという三角ベースの関係が望ましいと思ってるよ。マジで。そういう関係を築くためには、史学と文学とが互いにリスペクトしあうことが必要だけれど、現状は程遠いんだよね。 twitter.com/urakkun26/stat…
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最初に救急搬送されたとき…… わしは医者から職業を訊かれて、ライターだと答えたら 「いつからそう思ってます?」 って、問われたのであった。 twitter.com/dragoner_JP/st…
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その挙げ句が、低迷した戊辰戦争研究だもんな。曰く、武器の差で勝敗が決した → ウソです  実際には運用の差 政治思想が戦争を左右した → ウソです  実際には勢いが強い側に付和雷同した なんていうレベルだったからね、その当時は。
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ある中年女性に「大学を出て、結婚しても家庭に埋没しないで社会で活躍した人」という具合に大山捨松のことを説明したら、そんなのフツーでしょと返された。いつ誰がフツーにしたんでしょうねぇ。選挙権も自動的に与えられるのが当然だと思っていて、自由民権運動とかには興味ないそうですヨ。
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ほかに迷惑だったのは西那須野の地元有志一同が「地元の募金を代行してやる」というので地域限定という条件付きで応じたのに、鹿児島にまで話を広げてやがる。そのうえ130万しか集めてないのに300万円の修復記念碑を建てたいから、わしに差額を負担しろと。えっ、わしからカネを毟ろうというのかよ。
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生麦事件は攘夷派浪士のテロじゃなかったから大問題なのだ。歴とした薩摩藩士が、上司の命令により、職務として遂行したから、つまるところ藩の責任が問われる。そして、諸藩を監督するはずの幕府にも責任が追及された。
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大勢が見ているまえで、怒鳴って追い返したわ。いまでも「大山格は地元の善意を受け入れなかった」みたいに言い触らしているそうだが、善意のお値段170万円じゃ手が出せませんよ。そのあと紆余曲折あって、記念碑は建てたけどさ、石屋さんは「総額80万で受けた」と言ってたなぁ。善意の正体な。
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この記事で、積もり積もった、言いたいことをぶちまけたよ。 intojapanwaraku.com/culture/163368/
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下田といえば、ハリス・ヒュースケン組み。ハリスは生涯独身だった禁欲主義者だが肉は食べた。あるとき雉子と豚肉とをヒュースケンと分け合うことになり、ヒュースケンは豚を、ハリスは雉子を所望したとのこと。下田に外国人居留地は設定されなかったので、外人向けの精肉店はなかったはず。
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横浜には外国人居留地が出来て、そのなかに清国人が経営する精肉店もあったので、異人さんたちは肉を喰えていた。ただ、灯台設計施工管理を担当した英人ブラントンなんかは、たびたび地方へ出張しなきゃならないのでそのあいだ牛が喰えなくて困っていた。役牛を事故死に見せかけて殺そうとしたり……
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外苑の森にしても同様で、およそ百年もの間、金をかけ、手間をかけて管理してきた。伐ってしまえば、元に戻すには百年かけて苗木を管理し続けなければならない。その百年の手間が、いま失われようとしている。嗚呼。
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ちょくちょくミリタリー系も採り上げる某歴史雑誌の編集部が、まだ渋谷にあった頃のこと。飲みに誘われて、いろいろ話したなかで、自衛官に教育なんて不要でしょみたいなことを言う。おまえなぁ、仮にも銃を持たせるんだぞ! と思わず怒鳴りつけた。それ以来、仕事が来ないんだけど
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渋沢栄一は明治初年、東京に低所得者の居住区は必要無いと主張。それに対して、駕篭に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人、と周囲から諭されたという。 twitter.com/nennpa/status/…
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慶応4年は明治元年なんだけど、捏造された偽史料で、改元前の日付なのに「明治元年」と書いてあるのがあってですね……
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九六勘定わからない士族の商法で、銭勘定出来ないもんだからザルに小銭をジャラジャラ入れて 「善きほどに釣り銭をとれ」 と、客に命じたりしていたんですよ。本当に。