NHK「実感ドドド!追憶の島~ゆれる”歴史継承”~」は、まさに「強制動員真相究明ネットワーク」がスポンサーのPR番組かと思うような顔ぶれで、私たちにとっては偏向報道以外の何ものでもないと感じます。こうした団体が、メディアに対する影響力を持ってきた構図を私たちは理解する必要があります。
林えいだい氏も、高實康稔氏も、韓国では英雄的な存在として知られています。韓国釜山にある「国立日帝強制動員歴史館」では、展示施設の大きな壁面を全面に使って彼らの活動が称えられています。韓国の反日運動に絶大な影響を与えてきたと言っても過言ではないでしょう。
被害を訴える崔璋燮(チェ・チャンソプ)氏の直筆の手記には、端島炭坑で「捕らえられた米軍等数十名が弱った身体で炭車を引いていた」「地下海底トンネルで隣の高島まで電気炭車で見学した」とあります。端島に米軍捕虜はいませんし、高島へのトンネルもありません。単なる記憶違いとも思えません。
また、崔氏は端島での原爆体験を「ピカーッと光って窓ガラスが割れた」(2011.2.12 毎日新聞)「非番で自室に居ると、稲光のような光が10秒ほど続き、窓ガラスが割れた」(2011.2.13毎日新聞)と証言しています。爆心地から20km離れた端島では、窓ガラスは割れていません。これも記憶違いでしょうか?
さらに、崔氏は戦時中の端島で「常にふんどし姿でつるはしを振っていた」(読売新聞 2011.2.12)と証言。しかし当時の端島はコールピックで採炭しています。また褌一丁の作業もありえないと戦時中、坑内で測量の仕事をしていた複数の島民から疑問の声が出ました。お会いして直接お話を伺いたいですね。
原爆が投下された時の端島はどんな様子だったのか。端島島民が書いた『燃ゆる孤島 軍艦島22年間の思い出』(内田好之著)には、その瞬間が絵に描かれています。生暖かい風が肌を撫でるように通り過ぎた後「中の島の先端部を定規で線を引いたみたいに、横一直線になって押し寄せて来ているではないか」
長崎原爆資料館によれば、家屋の窓ガラスが割れたのは爆心地から半径15キロ圏内。爆心地から20キロ離れた端島に到達した「肌を撫でるような」生暖かい風で窓ガラスが割れることはありませんでした。原爆投下時に端島にいた島民に複数確認しましたが、全員「窓ガラスは割れていない」と証言しています。
崔璋燮(チェ・チャンソプ)氏や 金先玉(キム・スンオク)氏が、原爆で「窓ガラスが割れた」と証言したのは、端島への「強制連行」により「被爆させられた」ことを主張したいがための証言だったのではないかと想像しますが、体験してない原爆被害を証言するなど日本人からすると許しがたい行為です。
崔璋燮(チェ・チャンソプ)氏と「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」の高實康稔氏の意気投合したような写真。高實氏らは被爆朝鮮人の被害を訴える活動を行い「原爆と朝鮮人」という冊子を発行してきました。崔氏の原爆証言について、高實氏が知らないはずがありません。こうした点も大きな疑問です。
このあたりのことを、気骨のあるジャーナリストが記事にしてくれると良いのですが。いわゆる「徴用工」被害を訴える朝鮮人労務者と支援団体とメディアの関係。さらにそれに絡んだ政治との関係。さらにそれに絡んだ教育との関係。さらにそれに絡んだ行政との関係。浮かび上がるものが多数あるのでは?
韓国メディアウォッチで取り上げられました。韓国語で発信することの成果が少しずつ出てきましたね。 ①【捏造された反日①】軍艦島「褌姿の鉱夫」映像も結局捏造だったのか mediawatch.kr/news/article.h… ② 【捏造された反日②】軍艦島炭鉱内部に白熱電球? 非現実的なNHK映像 mediawatch.kr/news/article.h…
③ 【捏造された反日③】炭鉱内部にもかかわらず、俳優の様に清潔なNHK映像中の労働者の顔 mediawatch.kr/news/article.h… ④NHKが捏造した軍艦島映像、韓国で反日歴史歪曲に無限に活用される mediawatch.kr/news/article.h…
韓国の公共放送KBSが、歴史教養番組で描写した戦時中の端島炭坑の坑内イメージが衝撃的です。端島島民からすると怒りを通り越して滑稽にさえ感じますが、NHK「緑なき島」坑内映像や、筑豊の小ヤマの写真が組み合わさって、とんでもないイメージが事実としてどんどん韓国に広がっている状況は深刻です。
偽りの写真、偽りの映像、偽りの証言。事実を一切検証することなく、結論ありきで端島炭坑が地獄のように描かれ、偽りの”証拠”を喧伝した日本の活動家らが韓国で英雄扱い。こんなことが許されてよいはずがありません。
「軍艦島の奴隷労働」のイメージに使われてきた写真や映像が、どんどん一人歩きして、韓国の公共放送KBSが、歴史教養番組でありえない描写を事実として放送。写真はどれも事実と異なると判明しましたが、NHKは多くの指摘を一切無視して頑なに端島の取材に基づく映像だと主張。NHKの責任は極めて重い。
@5TsjBQObgw8A7uh @Ttaro70285185 @cosmo9 @zgcLrmL0zAECRTi 虐待土工写真の件、ご投稿に気づかず遅くなりました。あの写真は旭川新聞に掲載されたものですが、同じ事件が大正15年9月9日小樽新聞でも報道され、被害者の氏名が公表されています。ご参考までに記事を載せておきます。また、あの写真がなぜ朝鮮人として扱われたのかも以前、私の方で調べました。
虐待写真の補足ですが、「被害者は朝鮮人でなくとも、労働者に対する虐待が行われていた=日本は悪い国」という解釈をする人もいますが、当時からこうした虐待行為は犯罪として検挙されています。写真の件では、特に悪質だったことから新聞でも大きく取り上げられました。責められるべきは犯罪者です。
なお、元端島島民の小佐々又俊さんが、戦時中の朝鮮人労務者たちの様子を語っています。同じ光景を目撃している人は複数いて、同様の証言をしています。端島に朝鮮人のコミュニティがあったことが想像できます。これも当時の端島を知る上での重要な証言です。
当時を知る端島島民からは、朝鮮人飯場をまとめていた朝鮮人の親方について、「立派な人だった」「尊敬されていた」といった声も聞かれます。当時の端島は、少なくとも、日本人が朝鮮人を差別し、一方的に虐待したという加害者と被害者の関係ではなかったと認識しています。
元端島島民の加地英夫さんと井上秀士さんは、端島で暮らしていた朝鮮人労務者や家族らが終戦で島を離れる時、島民は総出で「さよなら」と手を振って、彼らの引き揚げを見送ったと証言しています。こうした事実は、端島で朝鮮人への虐待や差別があったと主張する新聞や本には全く取り上げられません。
端島には、同じ社宅に日本人も朝鮮人も一緒に暮らしており、(当時は同じ日本人ですから当然の事なのですが)近所づきあいもあり、学校でも机を並べて一緒に学び、朝鮮の人々は民族衣装を着て踊る日もあれば、朝鮮らしいお葬式も開かれました。坑内でも日本人と朝鮮人がチームを組んで働きました。
飯場には、朝鮮人の親方がいて同胞を仕切っていました。朝鮮人のコミュニティで力を持たれた方で、三菱鉱業ともしっかり交渉し、日本人からも尊敬されていました。病院には朝鮮人の助手や看護師もいました。仕事を怠けた者が飯場で罰を受けたという話もありますが、端島全体のことではありません。
端島において朝鮮人労務者の引き揚げを見送った件について補足ですが、端島では終戦時に朝鮮人が島民に対して暴行や略奪、強姦を行ったり、暴動が起きたような事実はありません。他所であったから、端島でもあったと決めつける人、思い込む人がいますが、全くの誤解です。そのような記録はありません。
端島に居住していたと語るグ・ヨンチョル氏が、敗戦時に日本人全員が夜逃げして「島に残ったのは朝鮮人と沖縄人だけだった」と自身の半生を綴った本『神仏山』で語っています。あまりに不可解な証言です。詳しくはこちらの映像「グ・ヨンチョルとは何者なのか」をご覧下さい。 youtu.be/O8ZBH0EZQVo
軍艦島「強制連行」被害者の代表的な存在・徐正雨(ソ・ジョンウ)氏は、端島炭坑について「掘削場となると、うつ伏せで掘るしかない狭さ」と証言していますが、端島にそのような掘削場は存在せず、そもそも徐氏が採炭に関与したのか疑問です。戦時中、測量の仕事をしていた井上秀士さんの証言です。