毎日、ズル休みをしている数十人の労務者には寮で昼食を食べさせて、真面目に職場へ行った労務者には「過酷な労働」を強制し、「えげつない差別」のもと「死に至る折檻」などをしていると思う方が理解に苦しみます。 twitter.com/noharra/status…
仮に寮母さんの手記が大げさだったとしても、毎日数十人の半島出身応徴士が西寮だけでズル休みをしており、三菱重工側は対応に苦慮したことが想像できます。おそらく彼らを迎え入れた時は、全く想定していなかった事態だったと思います。「過酷な労働」という証言と実態は、大きくかけ離れています。
三菱重工広島の西寮図面です。半島出身応徴士が生活していた建物で100部屋以上あります。寮母さんの手記では「毎日ズル休みする者が少なくとも1~2人(各部屋に)いた」とあるので、西寮だけで少なくとも100人~200人の労務者が毎日ズル休みしていたことになります。それでも昼食は寮で出されました。
詳細は、画像の手記を読んでいただければ、その実態がいかにひどいものであったか想像がつくと思います。憲兵が監視して、奴隷のように強制労働させられたという証言とあまりに食い違いすぎて、こちらも茫然としてしまいます。もっと、何が実態であったのか当時の一次史料を明らかにしていくべきです。
三菱重工広島の半島出身応徴士への期待や敬意は、すぐに失望や戸惑いに変わったことが寮母さんの手記から読み取れます。「毎日ズル休みする者が少なくとも1~2人(各部屋に)いた」「食堂から食器を持ち出し(持ち出しは禁止)自分の部屋で便器として使い、窓から外へほうり投げられ」たそうです。
当時は、いわゆる「朝鮮人徴用工」のことを「半島出身応徴士」と呼んでいました。”徴用に応じる「士=立派な男子」”という意味です。この名称からしても、奴隷のように強制的に連行された人々という扱いではありませんでした。共に戦う仲間としての期待と敬意が込められた呼称だったように感じます。
三菱重工広島機械製作所では昭和19年9月29日に「半島出身応徴士入所式」が開かれました。式には広島県知事(代理)や広島市長ら要人が参列しています。強制収容所が連行者を収容するのに式は開きません。戦況悪化に伴う日本の窮状を救うため徴用に応じた人々に期待と敬意を込めた式典だったはずです。
朝鮮人労務者は「食べ物や生活様式が違うため、よく文句を言っていた」とあります。そのため寮母や舎監は徴用工らに気を使い、なるべく不満を抱かないよう食事も要望に応えようと配慮したことがわかります。裁判では、そうした事実は全く考慮されず「腐った臭い」などという証言を事実認定しています。
三菱重工広島造船所の朝鮮人労務者が利用した寮の食堂の写真。寮母や舎監の手記には「朝鮮の人はニンニクや唐辛子をよく食べるので、唐辛子をたくさん集めにあちこち回った」「彼らがズル休みしても昼食を食堂で食べさせた」。一方、裁判の事実認定では「朝鮮人徴用工の食事だけ腐った臭いがした」。
まだご覧になられていない方、ぜひ、こちらの動画で、三菱重工元社員の奥田さん、寺内さんのお話をお聴きください。 youtu.be/NECP7AJRJNM
朝鮮人はまるで強制収容所に入れられ、拷問を受けながら強制労働させられたというイメージが広がっていますが、寮には裁判で事実認定された憲兵などおらず、寮母さんが世話をしてくれました。寮からも自由に出入りができ、給料も払われ、食事も出され、風呂も用意されました。日本人と全く同条件です。
三菱重工広島造船所では、日本人と朝鮮人が一緒になってチームで仕事をしていました。朝鮮人だけが過酷な労働をさせられたというようなことはありえないと、当時を知る奥田さんは強く訴えます。むしろ仕事をサボって寮から出勤しない者、どこかにでかけたまま帰ってこない者が多数いて困ったそうです。
写真や当時の資料が散逸してしまうと、こうした荒唐無稽な証言ですら、虚偽であることを証明するのは大変な作業になります。そのため、被害証言というのは言いたい放題になりがちです。歴史を検証するにあたって一次史料の保存記録がいかに大切か、あらためて強く感じます。
三菱重工広島造船所の工員合宿所配置図と写真です。 裁判で事実認定された朝鮮人労務者の証言では「寮の周囲には鉄条網が張られ、角には監視塔もあった」とされていますが、実際に写真を見るとそこには鉄条網も監視塔もありません。建物は新築で、内地出身者も半島出身者も同じ条件で生活しています。
一応、関連する記事もご紹介いたします。 「徴用工」の賃金は共産党に流れていた dailyshincho.jp/article/2018/1… #デイリー新潮
三菱重工広島造船所では、いわゆる「朝鮮人徴用工」の未受領賃金が広島法務局に供託されていますが、全国の三菱重工の事業所等では、戦後すぐ「朝鮮人聯盟」に引き渡されています。「朝鮮人聯盟」に渡った徴用工の賃金が一体どこへ消えたのか?そこに、歴史の真実が隠されているのではないでしょうか。
「給料をもらったことがない」などという朝鮮人労務者の証言がどんどん一人歩きし、貨車で連れていかれた、鉄条網で囲われた監視塔のある収容所に入れられた、強制労働だった、などと主張がエスカレートし、主張が裁判で「事実認定」されています。いくら荒唐無稽でも反論しないと事実認定されます。
三菱重工広島造船所のいわゆる朝鮮人徴用工問題で、徴用工には賃金も支払われなかったという誤解が広がっていますが、逃亡による1951人の行方不明者がおり、逃亡するまで毎月きちんと給料を支払っていたそうです。行方不明後は支払う手段がないため個人ごとに広島法務局に供託しているとのことでした。
「佐渡金山」では、太平洋戦争中の募集で、多くの朝鮮人労働者が佐渡に渡り、日本人労働者と共に大きな役割を担ったのは事実ですが、軍艦島のように、地獄島や監獄島などと歴史歪曲されることがないよう、しっかりとした歴史検証され、堂々と日本が誇る世界遺産に推薦されることを願っておりおります。
韓国SBSは、日本政府が「佐渡金山」を世界文化遺産候補として推薦する可能性があり、歴史歪曲をした軍艦島の「二の舞」になりかねないと報道。佐渡市は「日本人労働者と同じ待遇で働いた事が把握された。世界遺産登録推薦書案にはこの様な事実も記載した」と回答しています。 n.news.naver.com/article/055/00…
三菱重工の元社員の方々の証言について、現代朝鮮研究者の西岡力先生にもお話を伺いました。「根本的な原因は、事実関係で争わなかったこと」と先生は指摘します。「時効」で終わらせるのではなく、事実が何であるかを検証し、事実と異なる証言にはしっかり反論していくことがあらためて求められます。
なぜ反論しなかったのか、反論できなかったのかと、奥田さんや寺内さんも大変悔しい思いを何十年も抱き続けてこられました。こうした事例は、他にも山のようにあるのではないかとあらためて感じます。端島だけではない、好き放題に歴史が歪められた実態を、もっと明らかにしていく必要を強く感じます。
「軍艦島の真実」で新映像を公開しました!三菱重工広島造船所の元社員の方々の証言です。端島炭坑と直接関係はありませんが、戦時中のいわゆる朝鮮人徴用工問題で、事実が歪められ、それが裁判にも影響を与えてきたという衝撃の実態です。端島と同じような構図に思えます。 youtu.be/NECP7AJRJNM
真実の歴史を追求する端島島民の会で、戦時中の端島を知る大先輩方は、もう90歳です。事実と違う歴史を後世に遺すことに悔しさや悲しみ、怒りを抱いています。どうか日本の真実の歴史を後世に受け継いでいくことができるよう、政治に求めたい。メディアに求めたい。歴史家に求めたい。切なる願いです。
そもそも、岡まさはる記念長崎平和資料館で、筑豊の小ヤマの採炭現場の写真を、あたかも端島炭坑であるかのように館内で展示したり、説明するのをやめていただけないでしょうか?写真の著作権者もそのような目的で使用しないで欲しいと訴えております。