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裕也さんもショーケンも亡くなって淋しいですよね。彼等は存在しているだけで存在価値のある人だった。2人共、長い知り合いだけれど会った回数は驚くほど少ない。だけどその1回の密度がドッシリしていて、お互いに忘れていないと思う。
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絵を描いても、誰も修正しろとはいわないけれど、デザイン的な仕事は必ず文句の一言、二言、注文をする。その注文も常識以下の常識の概念だ。一体何を怖がっているの、会社の上司の目だ。こういう上司のいる会社は社会悪だよな。
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絵を描き続けている時はいわゆる観念みたいなものは浮かばない。パッと映像のようなものが閃くだけです。だから制作中の脳はチンパンジー級です。絵はチンパンジーにならないと描けない。人間になっちゃ描けない。
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絵と自分は別。以前は二つを同一化していたけれど。やっぱり自分を見せるのではなく、絵を見せなきゃいけない。
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自分は宇宙の借り物ぐらいに思ってなきゃ。死んだら宇宙に肉体をお返ししましょう。bit.ly/1Xgurj
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ところで、この間の朝日新聞の重ね刷りの書評見た人はいますか。どんな感想? あれはもう、二度とできません。また二度やっても意味がない。また誰かが同じことやっても、もう効果ないですよね。また別のこと考えます。本紙で読めなかった人は朝日のネットで。
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今月の終りから個展(スカイザバスハウスで)があります。体力が絵のスタイルを変えてくれるので、わざわざ変えようとしなくても、自然に変るので便利いいです。年を取ると体が変るように、何もかも変るので面白いです。皆様も早く年を取って下さい。
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平成から令和に移ったけれど、ぼくの絵は依然として昭和です。それも戦前戦後です。この時代はいくらでも絵になるんですよね。まだぼくが吐き出し切れてないからでしょうね。
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最近は近視でもないのにボンヤリしてきました。このボンヤリがなかなか絵画的でいいのです。だから眼鏡は作ったけれど、なるべくボンヤリみたいので掛けません。もっと見えなくなるともっと素晴らしいと思います。見る、見えないよりは感じることです。風景を見るのではなく感じるのです。
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あんまり、嬉しくて、楽しいことがあると、人間はなぜか鬱陶しくなるものだ。じゃ鬱陶しいことがあると、その反面で嬉しくなるかというとそーでもない。結局はどうころんでも鬱陶しいのだ。
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5月25日より神戸の横尾忠則現代美術館の個展「人食いザメと金髪美女-笑う横尾忠則」展がいよいよ開催。とにかく笑える作品を集めました。「美術館の中でなぜ笑っちゃいけないの?」という野田秀樹さんの笑える文もカタログに。みうらじゅんの文も絵より先きに笑っちゃう。梅原猛さんの狂言の話など。
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Bricolageさん
生きることには意味などありません。そんな意味のないことは考えないことです。ただ、生きるだけです。それで十分です。
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NHK大河ドラマの「いだてん」のロゴがよく読めないのに、よくNHKさんがOKしましたね、と他のテレビ局の人達がいいますが、あなただって「いだてん」と読んだんでしょう。
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たまの雨は嫌いじゃない。天から雨が降って自然が水で濡れるなんて素晴しいじゃないですか。これが水ではなく、天から石ころや砂や火が降ってくるんじゃなく、水とはよく考えたもんだね。
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東京での久し振りの個展。美術館の個展に比べるとスペースは小さいが、このツイッターの大半の人が原物の作品を見ておられないと思う。この際スカイ・ザ・バスハウスの個展をぜひ見ていただきたいと思います。次の東京での個展となると数年後になります。
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朝日新聞の書評をTシャツにしたものを発表したところ、1日でほぼ完売してしまいちょっと慌てています。急遽増産して予約をとることに切り替えました。
tadanoriyokoo.jp/product/1518
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猫と生活していると、猫が如何に超自然的な存在であるかがよくわかります。猫に触発されて、こちらの潜在的な能力が目覚める感覚を実感しています。事務所の猫はぼくが事務所に近づくと、2匹共、走ってきてドアの前で待っています。帰り際になるとぼくと目を合わしません。