遠野市立博物館(@tonomuseum)さんの人気ツイート(古い順)

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ザシキワラシと家の守り神 遠野では家を新築する際に、大工の棟梁が、小さな御堂を作り、男女の人形を鏡やクシ、髪の毛などと共に入れ、封をして棟木に打ちつけ家の守り神とする風習があった。 佐々木喜善は、このようなモノの霊魂が、座敷に現れるのではないかと推測した。 「呪術展」展示資料
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「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」 明治43年に出版された『遠野物語』の序文に記された柳田國男の言葉です。『遠野物語』は日本民俗学の夜明けを告げた原典として、現在も国内外で高い評価を受けています。
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寶城寺(岩手県奥州市)に伝わる河童のミイラ  本堂の屋根の改修の際に発見されたもの。  屋根裏に河童のミイラが祀られた経緯は不明であるが、河童には水神としての信仰もある事から、火難除けの呪物として祀られた可能性も考えられる。 「呪術展」展示資料
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オシラサマ 青森県三戸郡南部町  正月に近隣の女性が集まり、イタコを呼んでオシラ遊ばせをした。参加者はオセンダクと呼ばれる着物を持ち寄りオシラサマに着せる。  その年の作柄や参加者の健康等を占い、オシラサマで身体の悪いところを叩いてお祓いをしてもらったという。   「呪術展」展示資料
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「飢饉といえば、私もその惨事にあった経験がある。その経験が、私を民俗学の研究に導いた一つの動機にもなったのであった」 柳田國男は当時の農村社会にありふれていた貧困の根本的病理を探り、それを解き放つ学問や職業への道を歩んでいく。 遠野の稲はまもなく収穫を迎えます。
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遠野物語と近代の遠野 明治時代、盛岡藩が岩手県になり、遠野には1町10ヶ村が誕生しました。各地に学校ができ、町には洋風建築も建つようになります。明治41年(1908)に柳田國男が見た遠野は、近代化が始まろうとする町と伝統的なくらしの里の間でゆれる姿だったのです。 100年前の遠野
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サンスケ人形  青森県津軽地方のマタギたちは狩りに行くとき12人で行くことを縁起が悪いとして避けるという。  山の神にとって12という数は神聖なので、サンスケと呼ぶ人形(木製、ワラ製など)を作り、この人形を1人に数えて持参する。 「呪術展」(10/22〜)資料  碧祥寺博物館蔵
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特別展「遠野物語と遠野の縄文文化」 あと2日です! 「クマ形土製品」 首の部分に月の輪のような模様があります。 上杉沢遺跡  縄文時代晩期末~弥生時代初頭 二戸市教育委員会 蔵
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『遠野物語』は日本民俗学の夜明けを告げる書であり、日本を代表する文学作品である。柳田國男が遠野の人・佐々木喜善から伝承を聞き書きし、明治43年に刊行。序文には遠野を訪れた時の見聞を詩情豊かに表現している。遠野の地勢の他、天狗や河童、座敷童等の不思議な話が119話にまとめられている。
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【柳田國男と森鷗外】 柳田の愛読書の一つが名作『舞姫』であった。著者である森鷗外の友人であった次兄・井上通泰の仲介で、柳田は鷗外と出会う。日本文学に親しんでいた柳田に初めて外国文学について教えたのは鷗外であった。
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山の神の依代「コダマ」 山の神に奉納された木のコブは コダマと呼ばれ山の神が乗り移るとされ信仰の対象となった。 碧祥寺博物館 蔵 「呪術展」展示資料(10/22〜11/23)
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【柳田國男と泉鏡花】 『遠野物語』が出版された1910年代にこの書を最も高く認めたのは、柳田が一高時代から敬愛していた泉鏡花であり、自身の「遠野の奇聞」にて大きな賛辞を送っている。 ちなみに、『遠野物語』の話者である佐々木喜善は鏡花に憧れ「鏡石」という筆名を使用していた。
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柳田國男は方言研究を発展させたことから日本方言学の父とも呼ばれる。例えば「かたつむり」の方言を手掛かりに、言葉や文化が同心円状に伝播し、より遠いところほど古いものが残ると考察するなど、柳田は日本各地の方言を集め、その違いを調べることで人々の生活やその歴史を明らかにしようとした。
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イタコの念珠 死者の霊を呼ぶことを仏おろしという。この念珠はイタコが仏おろしや占いを行う際に使用したもので、狐、狸、イタチ、カモシカなどの角や骨、小銭等が装飾されている。これらには魔除け、悪魔祓いなどの意味があるとされる。 「呪術展」10/22〜展示資料 碧祥寺博物館蔵
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遠野の山の神  山仕事に携わる人々は、山の神を畏れ敬い、伝承や禁忌をかたく守ることによって無事に仕事ができると信じてきた。  12月12日は山の神の年取りの日で、山の神が自分の領分の木を数えるので山に入ってはならないとされる。山に入り、木に数えられると戻って来れなくなるという。
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呪符と魔除けの記号 五芒星は、五つの頂点を持つ星形の記号である。陰陽五行説の木・火・土・金・水の五つの元素の相克を表現しており、全ての部分が閉じている事から、魔物が入り込む余地がないとされた。 九字の縦横の線は結界で、ここに迷い込んだ魔物は抜け出せなくなると考えられた。 呪術展資料
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家の守り神・大工人形 遠野では家を新築する際に、大工の棟梁が、小さな箱の御堂を作り、男女の人形を鏡やクシをともに入れ、封をして棟木に打ちつけ、家の守り神とする風習があった。 呪術展(10/22〜)資料
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【遠野物語と呪術】 ただ今展示作業が進められています。 10月22日オープンです!
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仏おろし資料 死者の霊を呼ぶことを仏おろしという。これらの道具はイタコが仏おろしや占いを行う際に使用したもの ・オシラサマ ・呪文が書かれた秘伝書 ・お祓いの印  神仏の霊力が込められており、悪霊を払い、苦悩を除き、体の痛みを治すとされる。 ・念珠 ・筮竹と卦  碧祥寺博物館 蔵
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オニノハ(鬼の歯) 群馬県旧多野郡中里村 小正月のツクリモノの一つ。 家の門口のほか四隅に立て厄除けや泥棒除けとする。「鬼」「十二月」の下に家族の数の横棒を書き入れる。 北上市立鬼の館 蔵 呪術展展示資料
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言葉と呪力 昔から日本では言葉には呪力があると考えられてきた。言霊ともいわれ、言葉に宿る霊力が、発せられた言葉の内容どおりの状態を実現する力があると信じられていた。呪力を発揮させるために唱えたり御札に書かれる言葉を呪文という。 呪術展資料「呪符見本」 館蔵
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呪詛返しの人形 自分に掛けられた呪詛をかけた相手に返す方法について記されている。人形に呪文等を記す。 「河の瀬に祈り続けて払ふれば、出て行くなり又帰りくな …今日よりはよもや祟らじ荒御前 悦び成して帰りたまえり と書くべし」 『呪詛遍道功大事』より 館蔵 呪術展資料
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「護身結界真言」 結界とは、空間を界の内と外に分け、内側を聖域、外側を俗域としたもの。密教においては修行の場に魔障の侵入を防ぐために呪法によって結界を張る。 『遠野物語』62話には山中で夜を明かす時に、自分の周囲の木々に魔除けのサンズ縄を回し結界を張る場面が書かれている。 呪術展資料
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呪術展の開幕を明日に控え、当館受付前に鎮座ましますは「河童御籤」でございます。呪術展期間限定につき、ぜひ御手を清めてからお引きくださいませ🥒
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類感呪術 類感呪術というのはある現象を模倣することによってそれを実際に引き起こそうとするもので、例えば雨乞いで水を撒き太鼓を叩いて雷の音をあらわすことは代表的な例である。小正月の御作立やお田植えなどの予祝行事も作物の実りを模倣した類感呪術といえる。 小正月のお田植え 撮影 浦田穂一