何をしても文句をつけられる。大がかりにやっても、細々とやってもね。いずれにせよ非難されるんだから、どうやろうと関係ない。自分が何をしたいのかを見極めて、それを実行するのみだ。それしかないよ。
走ってみなければ、勝つことも負けることも出来ないんだ。
お誕生日おめでとう。 デイヴおじさんがみんなの幸せを 祈ってるよ。 このメッセージを毎日流し続ければ、 いつか必ずきみの誕生日に当たる。 "デイヴおじさんが祝ってくれた"と 喜んでくれるかな?
年を重ねるということは、君が常になるべきはずだった人物になるという素晴らしいプロセスだ。
僕はいかなる失敗も恐れない。なぜなら、そのような不確実性の中から、何かが救い出され、何か価値あるものが生まれることが多いからだ。失敗なくして進歩はない。そして、各々の失敗から学ぶ教訓がある。
僕は過去を悔やんだりはしないし、おだてられて昔を振り返ることはたまに有るけど、過去は「思い出という手土産」じゃなく、「未来へと羽ばたくための翼」だと思うようにしているんだ。
もし67年の僕が77年の僕を見たら、恐怖のあまり凍りつくだろうな。77年の僕が87年の僕を見たら、自分がこんなに変わったなんて絶対に信じられないだろうな。
物真似は得意だよ。好きなんだ。楽しいもの。 ✳︎動画:ボウイが自身の曲『アブソリュート・ビギナーズ』を、ブルース・スプリングスティーンの物真似で歌った音声
メディアというのは使うために有るんだ。使われてはいけない。
🍾🎄🎂Merry Xmas🎂🎄🎉 皆さま、素敵なクリスマスをお過ごし下さいね🎅!! David Bowie & Bing Crosby / The Little Drummer Boy
(02年ジョー・ストラマーへの追悼文) ザ・クラッシュはパンクを適切な政治運動へと転換させた。そして近年ジョー・ストラマーは、今も伝えるべき価値を持ち続けていることを見せつけていた。早い歳で彼を失うことは辛い悲劇だ。
歌詞にばかり目が行く人には本当に腹が立つんだ。曲そのものにはメッセージが込められていないみたいじゃないか。(80年)
僕はいかにも幸福なアルバムが嫌いでね。僕が幸福な時、僕はいかにも幸福なアルバムは聴きたくないし、本当に悲しい時は、幸福なアルバムは聴きたくない。だから個人的に、僕の人生には幸福なアルバムの入り込む余地はあまり無いんだ。
『汚れた血』でドニが苦しみながら路上を突っ走るシーンでデヴィッド・ボウイのモダン・ラヴが流れるんだ!そこのシーンだけ何十回みたかわかんない!ドニがモダン・ラヴで夜のパリを疾走するんだ! ーー峯田和伸(銀杏BOYZ) ✳︎汚れた血:86年レオス・カラックス監督によるフランス映画の名作
(ジョン・レノンについて) あれほどオリジナリティのある人は今後現れないかもしれないな。 ✳︎83年12月8日香港公演にて、ボウイはレノンの命日を偲び『イマジン』を歌った
今の世の中って、余りにも沢山の情報が溢れている。本当なら何が適切なものなのか選択して生活の中に取り入れていくべきなのに、それが不可能になってるよ。それを解決するには、僕達がもっとシンプルな生活スタイルに戻らなくちゃいけない。(83年)
僕は日本の"バランス"が好きだ。ごちゃまぜの刺激がとても。すべてが古くて、すべてが新しい。これは素晴らしいことだと思う。(79年) ✳︎写真:80年京都にて鋤田正義氏による撮影
(今まで出演した映画で最も気に入っている作品は?) 『地球に落ちて来た男』だ。魅力的な映画だといまだに思う。それに『戦場のメリークリスマス』かな。この2本がベストだと思う。
僕は「新しい」という概念に懐疑的だな。むしろ「置き換える」という考え方のほうが、僕には馴染みが有るね。なぜなら全てはあらかじめ存在しているのであって、新しい物など無いのだから。また、古いものも無い。結局僕たち人間がすでに知得してきた物を繰り返し置き換えているだけなんだ。
(92年フレディ・マーキュリー追悼コンサートにて、『ヒーローズ』の歌唱の後に) これは偉大なる友フレディ・マーキュリーに捧げるものです。そして思い出して欲しい。最近、あるいは以前に亡くなった我々の友、貴方の友、私の友を。まだ生きている友、あなた、そのほかの人を。 ✳︎画像に全文掲載
私の初恋は映画『ラビリンス』のボウイだった。その後、私は彼と実際に会ったわけだけど、彼にはそのことを伝えられなかった。だって、彼が私と握手してくれた時、本当に言葉を発する事が出来なかったんだから。 --スカーレット・ヨハンソン(女優)
ジギーの半分はSFロック・スターで、もう半分は日本の演劇(歌舞伎)だったよ。
今夜は皆で幸せを祈ろう。壁の向こう側にいる我々すべての友人たちに願いを送ります。 ✳︎87年ボウイはベルリンの壁の西側で野外フェスに出演。スピーカーを東側にも向けて設置した。音漏れを聴いている東側の群衆に対し、ドイツ語でこの様に述べて「ヒーローズ」を歌った
(87年のベルリンの壁の西側でのコンサートを振り返り) 忘れもしないよ。僕の音楽家人生で最も感情が高まったパフォーマンスの1つだと思う。ー東ベルリンの人達がこちら側の演奏を聴こうとしているのが分かった。…ああ、今も思い出しても声が詰まってしまう。 ✳︎動画:当日の壁の両側の様子
ドラッグで多くの友人を失ったし、自分の中の多くの物も失った。ちゃんと立ち直るまでには長い長い時間がかかった。1年や2年のことじゃないんだ。決して甘くはない現実世界に自分を引き戻すには何年もかかったんだよ。