写真家 丸田祥三(@malta_shozo)さんの人気ツイート(古い順)

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横浜市電1200形/1940年製/皇紀2600年を記念し、2600形として登場。戦後1200に改番/引退後、辻堂海浜公園に保存されたが、潮風で傷み、廃棄されることに/車体は一旦、川崎埠頭に置かれたものの、やがて姿を消した/左は1979年撮影、辻堂に展示されていた頃/右は川崎埠頭に遺棄された姿、1984年撮影
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トヨタ2FQ15改消防車/1964年製/秋田 能代地区消防署/自衛隊向け四輪駆動トラックをベースにあつらえた車両/能代大火の教訓を活かし、ホース類も使いやすいよう、独自の工夫がなされていた/悪路走破性も高く、冬の積雪期にも頼りになる存在だった、とのこと/撮影は1988年。その直後、姿を消した。
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写メ画像/茨城交通水浜線の廃線跡/1930年に全通、1966年に廃線になった水戸の路面電車/通称・水浜電車/今も水戸市内、桜川に架かる水門橋という橋のたもとに、僅かですが途切れた線路の跡が残っています/撮影は2018年/場所は茨城県水戸市柳町二丁目一番地/印象的な光景でした。
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鹿島鉄道 廃線跡/常磐線石岡駅と鉾田の町を結んでいました。通称は「かしてつ」/1929年全通。廃止は2007年4月/訪れたのはその半年後、2007年秋/まだ線路が残っていました/場所は茨城県鉾田市、旧借宿前駅付近、山越え区間の跡/リバーサルフィルム作品/撮影は日没の直前/絵画のような光景でした
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1971年式セドリックパトロール/珍しいパトカーの保存車/1980年撮影/場所は神奈川県警交通安全センター/国費で導入された車両とはフェンダーミラーやホイールキャップ等が異なり/1970年代初頭、高級車にのみ用いられたダブルリボンタイヤを履く、という謎仕様…/撮影の後、処分されてしまいました
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1966年式トヨタ救急車FS45V/3878ccのF型エンジンを唸らせ、昭和の街を矢のように疾駆した隠れた名車/撮影は1977年/大分県中津市と周辺の山岳地帯を所管する、中津下毛広域消防本部の車両/一枚目の写真、ここまで天井を入れこんだ理由は、長い無線アンテナをちゃんと写そうとしたからです(’-’*)♪
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旧陸軍伊良湖試験場/1901年、伊良湖岬に置かれた日本陸軍の兵器の試射場跡/写真は「六階建て」と呼ばれた、軍の気象観測塔の廃墟/その傍ら、白い砂利道の辺りには、終戦まで軍用軽便鉄道が走っていたそうです/この写真の別カットを新刊『廃線だけ』(実業之日本社)に掲載予定です。
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写メ画像/北千住 大橋眼科/1917年築の初代医院を模して、1982年に竣工/映画会社の社員だった昭和末期、北千住に脚本家さんの仕事場があり、お原稿を頂きに上がるたび、通り沿いからこの素敵な佇まい、眺めておりました/もうまもなく姿を消すとのこと…
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撮影は1987年の夏休み/神奈川県相模原市の廃車置場にて/陸上自衛隊6tトラック/メーカーは三菱重工/1960年代後半の製造/実質的には10t車で、高射機関砲L90の牽引役も務めた/74式特大トラックに任を譲り、80年代までに大半が退役/写真の後ろの車はいすゞSBR。初代フォワード後期型ベースの消防車
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果樹園の春の風物詩、自走式薬剤噴霧機スピードスプレーヤー/米国で広まり、日本でも1960年代頃より普及し始めた農耕作業用自動車/写真は昭信自動車が製作した三輪の初期形。1962年製/枝を引っかけぬよう、丸っこいカタチをしており、狭い日本の農園では重宝したとのこと/撮影は1984年。山梨県にて
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東京のローカル線/タマデンこと、東急世田谷線の玉電山下(山下)駅/撮影は1974年/電車は1943年製のデハ70形/この時は車体更新前で、原型に近い素朴な佇まいでした/カメラは二眼レフのローライ/フィルムはコダック・エクタクロームX/この駅の下高井戸側には、まだ茫々と畑が広がっていました。
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東武鉄道日光軌道線100形109号電車/1953年製/68年の日光軌道線廃止後、岡山電気軌道に譲渡されたが、後年、一両が栃木に帰還。あるレジャー施設に展示された/今は東武日光駅前で保存されている/写真は2013年。レジャー施設の池の畔に置かれていた頃/『東京幻風景』(amzn.to/1kiXYHa)収録
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今はなき 都電荒川線 雑司ヶ谷のガード/1914年、王子電気軌道が設け、以来97年間、供用され続けた/TVドラマ『水もれ甲介』等の舞台となり、山の手の下町の象徴的な風景として親しまれた/カードは2011年、道路工事のために撤去/撮影は2010年冬/重松清さんとの対談『問いかける風景』用に撮った一枚
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西東京市には今も、昭和生まれの東京都電5000形5011号が保存されているそうですが/じつは1960年代から70年代にかけて、もう一両、6000形6177号が保存されていました/撮影は1976年/旧田無市内で、古い都バスと一緒に、児童プールの更衣室代わりになっていたのですが、この撮影後、姿を消しました。
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向かって左の新車のような電車は、異色の旧型国電クハ66/1974年、戦時形国電72系に、115系風の新製車体を載せた改造車/台枠と車体が合致せず、ボディラインが破綻/アコモ改造車とも、悪夢改造車とも呼ばれ/性能的に冷房化も難しく、約十年で休車/儚い存在に終わった/右は正統派の旧型国電クハ47
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1973年撮影/国鉄関西本線亀山駅/三重県/DD51牽引の旧形客車で名古屋に向かう折、ふと側線を見ると、C57形蒸気機関車198号の姿が/まだ偶然、奇跡に巡りあえた時代の記憶…/この198号は後年、某所に保存されたが、180号(磐越西線「ばんえつ物語」牽引機)復活の際、部品の供出役となり、姿を消した
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名古屋市電2000形/1956年生まれ。性能的に優れた電車で「名車」と称えられたが、市電網の縮小によって、僅か16年後の1972年に引退/2025号車の一部が、市民に引き取られ、名古屋市北区清水の街角で、旅行代理店の店舗となった/撮影は1979年暮れ
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東京都電6000形/1980年撮影/6000形は1947年に誕生した、昭和・戦後期の代表的な都電/この車両(6029号説と6081号説とがある)は1972年廃車/前頭部が錦糸町駅ガード下で寿司店の店舗に/本当の車番が不明なまま、店名「花見寿し」にちなみ、873号に改番/寿司店は90年代末に廃業、電車も姿を消した
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昭和モダン時代の流線形車両を「連結面の側から」観ることは、稀な経験だったかと…/廃車となり、引込線に眠っていた豊橋鉄道ク2400形電車2402号/元は1938年製の神中鉄道(現・相模鉄道)気動車キハ40形/相鉄時代に電車の制御車となり、1956年、豊鉄に譲渡された/撮影は1982年の夏。場所は高師緑地
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熊本市電(熊本市交通局)10形電車23号/1924年製/23号は大正生まれの優美な木造単車/市電川尻線の廃止の際には装飾電車となり、さよなら運転にも就いたそうです/引退後は地元熊本市内の幼稚園に保存され、長らく園児らに親しまれていましたが、1980年代前半、姿を消したとのこと…/撮影は1973年夏
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1980年夏の撮影です/日産ディーゼルの大型トラック・サングレイトTC81(1970年頃の製造)の廃車/高度経済成長時代を駆けぬけた「働くクルマ」の代表格/夢に出てきそうな、強面のフロントマスク/場所は山梨県(現・北杜市)長坂町/夏の終わりに出会った、とても印象深い廃車体でした…
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今から45年前、1977年の国鉄岡山駅/夏の夕暮れ/宇野線のクハ86(三面鏡の初期形)津山線のキハ20/ここには岡山出身の将棋棋士・大山康晴十五世名人に連れてきて頂きました/その折、大山さんの肩を支えにして、スローシャッターで撮影した一枚/まだ修復途上の写真ですが、私的にも懐かしい情景で…
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1977年撮影、国鉄鳳電車区/大阪府堺市/スカイブルーの新性能電車は、1964年から量産が始まった103系。初期の冷房改造車が、阪和線の運用に就いていました/オレンジの旧型国電は、1939年製のクモハ60。営業線から退き、電車区内の入換作業を担っていました。#もう二度と撮れない並び写真 #103系の日
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国鉄豊橋駅/1977年撮影/飯田線の流線型電車クモハ52(1936年製)/国鉄マンは腰に手を添え、胸を張り、満面の笑顔/道路がよくなかった当時、飯田線は沿線にとって生命線ともいえる存在でした/「俺たちが地域を支えているのだ」と誇りを抱けた時代だったのかも #この車両知ってる人だけで50RT目指す
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1972年10月、開設直後の京都・梅小路蒸気機関車館。D51のお隣にDD13の姿が。この日は学校を休んで行きました(笑)傍らに現役のDD54やC57もいて、ホントに感激のひと時でした。この瞬間から50年。この時舞いあがった煙は、今も宙空に漂っているだろうかと… #鉄道の日 #鉄道開業150周年 #鉄道開業150年