写真家 丸田祥三(@malta_shozo)さんの人気ツイート(古い順)

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【期間限定up】昭和の特撮ヒーロー「兄弟拳バイクロッサー」のケンローダー/1987年初夏の撮影/ハードな収録を終え、処分される直前の姿/仕上がりのよい、とても素敵な車で、関係者も別れを惜しんでいました。
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移動式公衆電話室/1968年製/最初期のガラス貼り電話ボックス/60年代当時の未来的デザイン/移設が容易なため、田園都市線沿線など、開発途上のニュータウンに多く設置された/撮影は1978年夏。横浜市緑区/扉が重く、風に煽られる等の欠点があり、1978年冬までに、A型屋外用公衆電話室に更新された
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組立式公衆電話室/1969年製/撮影は1979年、亀戸/現地で組立てる方式で、引き戸の試作品が63年に誕生/68年以降、折り戸を採用/一対一の折り戸は、風でバタつかず、戸の前に物があっても開いたが、開ける際に重く/69年秋、A型屋外用公衆電話室が登場すると製造を終え/70年代末に大半が姿を消した
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1978年式トヨタマークII/東映東京撮影所にて。1987年撮影/80年代、大泉の撮影所に常駐し、数多くのテレビドラマ&映画に出演した劇用車/古来「絶対本物に見えない」と定評のあった東映パトカーですが、これは結構リアルな出来だったかと(’-’*)♪
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丹頂式公衆電話室B型/1961年製/53年に登場した丹頂式電話室を、やや小ぶりにし、主に街中の狭い場所に設置した/B型というのは当時の職員さんの呼称で、正式なものかは不明/赤い丸屋根と、青いプラ板+電電公社マークが印象的な、優れたデザインの電話ボックスでした/1978年撮影/愛知県岡崎市
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1975年撮影/都電荒川線 荒川車庫/まだ戦前の王子電気軌道 船方車庫の面影を留めていました/車庫内には1941年暮れに書かれたと思しき「嗚呼、宣戦布告」という一文も残っていたとか/この後、NHKドラマ『赤い花』『男たちの旅路』のロケが行われました/現在は改築され、この風情は失われてしまい…
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名古屋市電の廃電車を保存した個人宅/愛知県名古屋市郊外/撮影は1978年の夏の朝/電車は戦前の名車1400形/大通りでは可愛く見えても、全長12メートル以上の巨体ですので/庭をほとんど占拠しているかのようでした/今はもう失せてしまったとか…
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紀州鉄道 市役所前駅/和歌山県御坊市/1987年撮影/当時この駅は、1931年製キハ103の廃車を、ホームに置き、待合室にしていました/三枚目のモノクロ写真は、写真集『棄景』(1993年刊)に、作品として収録したもの/カラーの一枚目、二枚目は、その作品撮りの合間に、スナップ的に緩く撮ったものです
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初期モデル・自動局用屋外公衆電話室(アンドン付き)/1969年秋より設置が始まった、ガラス貼り電話ボックスの決定版/組立式で折戸も軽く、80年代まで製造された/初期の個体のみ、公衆電話であることを目立たせるため、屋根に電電公社による標語入りの行灯が掲げられていた/写真は稀少な二面タイプ
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メトナナこと、東京メトロ7000系電車が遂に引退したんですね。帝都高速度交通営団だった頃を写真を探したところ、一枚見つかりました。金沢文庫の東急車輛製造にて、製造中の7000系。1981年のスナップです。長い間お疲れさまでした(’-’*)♪
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ゴッホの絵のような、厚塗り具合が何とも印象的で…/駿河と遠江とを結んだ幻の軽便鉄道・静岡鉄道駿遠線ハ112客車/1957年製/70年の駿遠線全廃後、磐田市交通公園に保存されましたが/なぜか新幹線カラー風に再塗装され/以降ほとんど手入れもされず、結局は姿を消してしまいました/撮影は1980年冬
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1977年の夏休み/高架化前の南武線武蔵中原駅/中原電車区を見学させて頂いた帰り、ブローニー版のローライで撮った一枚/電車はクハ79形932号/1957年製の全金属車/旧型国電の掉尾を飾るに相応しい、美しく纏まったスタイルの車両でした/同車は翌78年6月、南武線新性能化の際に姿を消しました。
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組立式公衆電話室・初期型/1963年製/東京五輪の前年に誕生/初の総ガラス貼り電話ボックス/五輪の開催地に多く設置された/この引き戸タイプの初期型は短命で、1967年に製造終了、同じ組立式公衆電話室の折り戸タイプにバトンを渡した/後に映画各社が撮影用として所有。TV番組に頻繁に登場していた
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京王帝都電鉄クハ2782/2700系の4次車/1956年製/56年製以降、車体色が暗い緑から明るい緑になり/後年、特別料金不要の“グリーン車”とも呼ばれました/1981年に引退/その後、車体の一部が神奈川県の民間企業に引き取られ、倉庫として使われていましたが/数年で姿を消してしまったとか/1982年撮影
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不思議な光景でした…/名古屋市電の廃電車/1979年撮影。名古屋市内のスクラップ工場にて/市電廃止後、一度保存されながら、二度棄てられてしまった車両/名古屋市電は74年の廃止後、廃止を惜しむ個人や団体に多くが引き取られ、方々に展示されました。が、後年そのほとんどが姿を消してしまったとか
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小田急電鉄デニ1000形荷物電車/1927年製/小田急創業期に就役、郵便や荷物輸送を担った/途中で旧帝都電鉄モハ208の車体を譲り受けるなどしながら、57年後の1984年まで活躍。最後は主に新聞を運んでいた/撮影は1977年。場所は町田駅/この頃はまだ小田急や井の頭、開業時の車両が現役だったんですね
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郵便柱箱 試作/1948年製/ご存知、戦後の丸ポスト=郵便差出箱一号丸形“戦後型”が誕生したのは1949年のこと/その前年、差出口に「POST」ではなく「LETTER」と銘した試作品が少数製造され、試用されたという/これはその生き残りと思しき一本/1979年撮影。長野にて/不思議な置き方ですよね(’-’*)♪
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偶然見かけた光景…/筑波鉄道キハ812/旧雄別鉄道キハ105/1962年製/茨城の私鉄は1970年頃、廃業した北海道の運炭鉄道から気動車を多数購入、近代化を遂げたのですが/これもその一両/長らく筑波線の主力を務めましたが/同線の廃止直前、踏切事故に遭い、機関区の隅で解体されることに/1986年撮影
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東京都電2000形2011号/1952年製/狭軌だった杉並線用の車両/同線の廃止後は改軌され、1969年まで活躍/引退した後、写真の2011号は大田区の大森第五小学校に、2012号が品川区の公園に、それぞれ保存されたが/二両とも90年代に姿を消してしまった/撮影は1980年の夏休み。
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伝説の特急ロマンスカーつかさ/1982年、日中国交正常化十周年記念映画「未完の対局」の宣伝のため、伊藤つかささんを一日車掌に/小田急SSEが特製ヘッドマークを掲げ、新宿から向ヶ丘遊園を目指しました/写真は運転終了後の撮影。新百合ヶ丘にて/バックは多摩線のデハ2217+デハ2218ですね(’-’*)♪
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最後の省形木造国電 1922年製 クエ9112/1977年に廃車。下十条電車区から大船工場に移された/撮影は1978年/乾燥した冬場で、木製車体には所々隙間が/「これが雨季にはくっつくんだから、木造車って不思議だよね。まるで生きてるみたいだ」職員さんがそう言いながら “もうまもなく解体される“ と…
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川崎の長沢浄水場の斜面下にあった小さな団地。中庭に1956年製(69年引退)の東京都電8000形が保存されていました。この電車は将来の都電廃止を見越し、10年使えればよい、という発想で造られた低コスト車両でした。撮影は1976年の初夏。土管と古タイヤ、そして杜撰な保存車。昭和の児童広場の光景です
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国鉄EF58形電気機関車20号機/1947年製/1953年改装/パンタが不似合いなPS22Bに改造され、また廃車も早く、あまり写真が残されていない不遇な機ですが/私的には、初期車独特のオーラを纏う、魅力的な車両だったように思います/撮影は1977年、広島/カメラはローライ。フィルムはエクタクロームXです
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相模原・鹿沼公園に保存されていた横浜市電1000形/1928年製。関東大震災の復興期を支えた功労車/保存された1970年には原型の美しい姿でしたが/1981年、メルヘン調に改修され、車体に乗客が描かれ/夕暮れ時には左のように見えていました/撮影は右が1981年、左が1992年/その後、姿を消してしまい…
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ハグルマ/1990年撮影/廃墟となった観光ロープウェイの機械室にて/「朝日新聞」に掲載/1996年、作家の高橋克彦さんが、私のこの写真をご覧になった印象をもとに「機械室の夢」という短編小説を執筆されました/高橋さんのその小説は『幻少女』(角川書店)という掌編小説集に収録されています。