写真家 丸田祥三(@malta_shozo)さんの人気ツイート(新しい順)

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組立式公衆電話室・初期型/1963年製/東京五輪の前年に誕生/初の総ガラス貼り電話ボックス/五輪の開催地に多く設置された/この引き戸タイプの初期型は短命で、1967年に製造終了、同じ組立式公衆電話室の折り戸タイプにバトンを渡した/後に映画各社が撮影用として所有。TV番組に頻繁に登場していた
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1977年の夏休み/高架化前の南武線武蔵中原駅/中原電車区を見学させて頂いた帰り、ブローニー版のローライで撮った一枚/電車はクハ79形932号/1957年製の全金属車/旧型国電の掉尾を飾るに相応しい、美しく纏まったスタイルの車両でした/同車は翌78年6月、南武線新性能化の際に姿を消しました。
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ゴッホの絵のような、厚塗り具合が何とも印象的で…/駿河と遠江とを結んだ幻の軽便鉄道・静岡鉄道駿遠線ハ112客車/1957年製/70年の駿遠線全廃後、磐田市交通公園に保存されましたが/なぜか新幹線カラー風に再塗装され/以降ほとんど手入れもされず、結局は姿を消してしまいました/撮影は1980年冬
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メトナナこと、東京メトロ7000系電車が遂に引退したんですね。帝都高速度交通営団だった頃を写真を探したところ、一枚見つかりました。金沢文庫の東急車輛製造にて、製造中の7000系。1981年のスナップです。長い間お疲れさまでした(’-’*)♪
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初期モデル・自動局用屋外公衆電話室(アンドン付き)/1969年秋より設置が始まった、ガラス貼り電話ボックスの決定版/組立式で折戸も軽く、80年代まで製造された/初期の個体のみ、公衆電話であることを目立たせるため、屋根に電電公社による標語入りの行灯が掲げられていた/写真は稀少な二面タイプ
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紀州鉄道 市役所前駅/和歌山県御坊市/1987年撮影/当時この駅は、1931年製キハ103の廃車を、ホームに置き、待合室にしていました/三枚目のモノクロ写真は、写真集『棄景』(1993年刊)に、作品として収録したもの/カラーの一枚目、二枚目は、その作品撮りの合間に、スナップ的に緩く撮ったものです
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名古屋市電の廃電車を保存した個人宅/愛知県名古屋市郊外/撮影は1978年の夏の朝/電車は戦前の名車1400形/大通りでは可愛く見えても、全長12メートル以上の巨体ですので/庭をほとんど占拠しているかのようでした/今はもう失せてしまったとか…
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1975年撮影/都電荒川線 荒川車庫/まだ戦前の王子電気軌道 船方車庫の面影を留めていました/車庫内には1941年暮れに書かれたと思しき「嗚呼、宣戦布告」という一文も残っていたとか/この後、NHKドラマ『赤い花』『男たちの旅路』のロケが行われました/現在は改築され、この風情は失われてしまい…
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丹頂式公衆電話室B型/1961年製/53年に登場した丹頂式電話室を、やや小ぶりにし、主に街中の狭い場所に設置した/B型というのは当時の職員さんの呼称で、正式なものかは不明/赤い丸屋根と、青いプラ板+電電公社マークが印象的な、優れたデザインの電話ボックスでした/1978年撮影/愛知県岡崎市
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1978年式トヨタマークII/東映東京撮影所にて。1987年撮影/80年代、大泉の撮影所に常駐し、数多くのテレビドラマ&映画に出演した劇用車/古来「絶対本物に見えない」と定評のあった東映パトカーですが、これは結構リアルな出来だったかと(’-’*)♪
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組立式公衆電話室/1969年製/撮影は1979年、亀戸/現地で組立てる方式で、引き戸の試作品が63年に誕生/68年以降、折り戸を採用/一対一の折り戸は、風でバタつかず、戸の前に物があっても開いたが、開ける際に重く/69年秋、A型屋外用公衆電話室が登場すると製造を終え/70年代末に大半が姿を消した
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移動式公衆電話室/1968年製/最初期のガラス貼り電話ボックス/60年代当時の未来的デザイン/移設が容易なため、田園都市線沿線など、開発途上のニュータウンに多く設置された/撮影は1978年夏。横浜市緑区/扉が重く、風に煽られる等の欠点があり、1978年冬までに、A型屋外用公衆電話室に更新された
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【期間限定up】昭和の特撮ヒーロー「兄弟拳バイクロッサー」のケンローダー/1987年初夏の撮影/ハードな収録を終え、処分される直前の姿/仕上がりのよい、とても素敵な車で、関係者も別れを惜しんでいました。
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1986年、ジョイフル本田が、東急6000系の廃車を販売/まだ未来的だったステンレス電車が、茨城県の数ヵ所で、小屋などに転用されました/撮影も86年。土浦市ほか/写真集『棄景2』に掲載した作品「棄てられし未来電車…」のモノクロ・フィルム撮影の合間に、別にネガカラーでスナップした二枚(’-’*)♪
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1970年式いすゞTXG10改/秋田・能代地区消防署北部分署/1988年撮影/狭い道に合わせ、TX最小のシャーシに二列シートを載せた特注の消防車/当時このタイプは一列シート+2~3人の立ち乗車が一般的でしたが/全員が座れるよう改めた革新的な車でもありました/寸詰まりな感じが何とも可愛いらしく(笑)
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1977年の滋賀・米原機関区/1953年製の国鉄DD50形2号機(一次形)と1954年製の5号機(二次形)/日本初の幹線用ディーゼル機関車/僅か六両ながら、一次形と二次形で外観はかなり異なっていました/北陸本線で活躍後、運用を外されて二年目の姿/米原を通る度に気掛かりで、念願叶っての訪問でしたが…
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陸軍第九師団兵器支廠/石川県/1914年築/金沢の陸軍師団の壮麗な煉瓦建築/終戦で陸軍が消えた後、金沢美術工芸大学の校舎に転用された/金美は1972年、新校舎に移転/廃墟と化し、しばらくは荒れるに任されていたが…/1986年に整備され、石川県立歴史博物館となる/撮影は廃墟となっていた1980年夏
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山陽電鉄700形電車/終戦間もない1947年、山陽電鉄に(国鉄の戦時形国電)63形が導入され、800形として就役/後に700形と改番され、復興輸送に尽力。1969年までに引退した/その後は車体のみ、車庫で倉庫となったが、今はもう残っていない/撮影は戦後35年目の1980年。東二見車庫/不思議な光景でした
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国鉄の配給電車クル29/トラックのように車体をオープンカットし、資材輸送を担った風変わりな事業用車/撮影は1975年。鶴見線武蔵白石/この時は荷物電車クモニ13、旅客電車クハ16、クモハ11との4連でした/どんな資材を、どこに運んでいたのでしょう?非営業の電車ですが、一度乗ってみたかったです
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写メ画像/鶴見線某所の廃線。1960年代にはディーゼル機関車DD13が、化学肥料を続々運び出していたそうです/戦後復興~高度成長期の象徴的光景だったとか/今はナスカの地上絵のごとく、レールの一部が遺るのみ/フルサイズ機で撮った写真は制作中の『廃線だけ』(実業之日本社)に掲載する予定です。
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1974年冬の新宿駅/手前に停まっている電気機関車は、1944年生まれの国鉄EF13形/背後に建っているのは、竣工直後の新宿2番目の超高層・新宿三井ビルディング/月刊誌『東京人』2009年3月号の表紙にお使い頂いた一枚です/日本の貧しい時代を駆けぬけた戦時形機関車に、高層ビルはどう映ったでしょう
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国鉄591系試作電車/1970年製/川崎重工業による、当時画期的だった振り子電車の試作車。後の381系の母体/走行試験終了後、中央線の岡谷駅に留置されていました/撮影は姿を消す前年、1979年/この時、他の作品撮りのため、カメラに赤外フィルムが入っており/何か振り子感が強調されちゃいましたね…
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東急3500形/1939年生まれ/東急の前身・東京横浜電鉄が、京浜電気鉄道(京急)への乗り入れを構想し、製造した電車/京急のレール幅に容易に改軌できるよう、長軸台車を装備/撮影は今から47年前の 1975年/場所は目蒲線目黒駅/翌76年からの延命工事で、その端正な佇まいが失われてしまう直前の光景
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西武鉄道安比奈線/2018年撮影/埼玉県川越市/只今製作中の書籍『廃線だけ―平成・令和の棄景』(実業之日本社)用に撮影したものですが/レイアウトの都合上、未掲載とする予定の写真です/冬の入間川岸は趣のある場所でした
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国鉄クハ16形電車/1930年代製/いわゆる17メートル国電の制御車/撮影は1977年/南武線・矢向電留線にて/この頃は専ら南武線浜川崎支線を行き来し/時おり南武線の増結役も務めておりました/リベットが連なる、昭和初期の軍用艦艇のような重厚な雰囲気/小さいながらも存在感のある電車でした。