写真家 丸田祥三(@malta_shozo)さんの人気ツイート(新しい順)

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今はなき 都電荒川線 雑司ヶ谷のガード/1914年、王子電気軌道が設け、以来97年間、供用され続けた/TVドラマ『水もれ甲介』等の舞台となり、山の手の下町の象徴的な風景として親しまれた/カードは2011年、道路工事のために撤去/撮影は2010年冬/重松清さんとの対談『問いかける風景』用に撮った一枚
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東武鉄道日光軌道線100形109号電車/1953年製/68年の日光軌道線廃止後、岡山電気軌道に譲渡されたが、後年、一両が栃木に帰還。あるレジャー施設に展示された/今は東武日光駅前で保存されている/写真は2013年。レジャー施設の池の畔に置かれていた頃/『東京幻風景』(amzn.to/1kiXYHa)収録
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東京のローカル線/タマデンこと、東急世田谷線の玉電山下(山下)駅/撮影は1974年/電車は1943年製のデハ70形/この時は車体更新前で、原型に近い素朴な佇まいでした/カメラは二眼レフのローライ/フィルムはコダック・エクタクロームX/この駅の下高井戸側には、まだ茫々と畑が広がっていました。
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果樹園の春の風物詩、自走式薬剤噴霧機スピードスプレーヤー/米国で広まり、日本でも1960年代頃より普及し始めた農耕作業用自動車/写真は昭信自動車が製作した三輪の初期形。1962年製/枝を引っかけぬよう、丸っこいカタチをしており、狭い日本の農園では重宝したとのこと/撮影は1984年。山梨県にて
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撮影は1987年の夏休み/神奈川県相模原市の廃車置場にて/陸上自衛隊6tトラック/メーカーは三菱重工/1960年代後半の製造/実質的には10t車で、高射機関砲L90の牽引役も務めた/74式特大トラックに任を譲り、80年代までに大半が退役/写真の後ろの車はいすゞSBR。初代フォワード後期型ベースの消防車
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写メ画像/北千住 大橋眼科/1917年築の初代医院を模して、1982年に竣工/映画会社の社員だった昭和末期、北千住に脚本家さんの仕事場があり、お原稿を頂きに上がるたび、通り沿いからこの素敵な佇まい、眺めておりました/もうまもなく姿を消すとのこと…
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旧陸軍伊良湖試験場/1901年、伊良湖岬に置かれた日本陸軍の兵器の試射場跡/写真は「六階建て」と呼ばれた、軍の気象観測塔の廃墟/その傍ら、白い砂利道の辺りには、終戦まで軍用軽便鉄道が走っていたそうです/この写真の別カットを新刊『廃線だけ』(実業之日本社)に掲載予定です。
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1966年式トヨタ救急車FS45V/3878ccのF型エンジンを唸らせ、昭和の街を矢のように疾駆した隠れた名車/撮影は1977年/大分県中津市と周辺の山岳地帯を所管する、中津下毛広域消防本部の車両/一枚目の写真、ここまで天井を入れこんだ理由は、長い無線アンテナをちゃんと写そうとしたからです(’-’*)♪
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1971年式セドリックパトロール/珍しいパトカーの保存車/1980年撮影/場所は神奈川県警交通安全センター/国費で導入された車両とはフェンダーミラーやホイールキャップ等が異なり/1970年代初頭、高級車にのみ用いられたダブルリボンタイヤを履く、という謎仕様…/撮影の後、処分されてしまいました
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鹿島鉄道 廃線跡/常磐線石岡駅と鉾田の町を結んでいました。通称は「かしてつ」/1929年全通。廃止は2007年4月/訪れたのはその半年後、2007年秋/まだ線路が残っていました/場所は茨城県鉾田市、旧借宿前駅付近、山越え区間の跡/リバーサルフィルム作品/撮影は日没の直前/絵画のような光景でした
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写メ画像/茨城交通水浜線の廃線跡/1930年に全通、1966年に廃線になった水戸の路面電車/通称・水浜電車/今も水戸市内、桜川に架かる水門橋という橋のたもとに、僅かですが途切れた線路の跡が残っています/撮影は2018年/場所は茨城県水戸市柳町二丁目一番地/印象的な光景でした。
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トヨタ2FQ15改消防車/1964年製/秋田 能代地区消防署/自衛隊向け四輪駆動トラックをベースにあつらえた車両/能代大火の教訓を活かし、ホース類も使いやすいよう、独自の工夫がなされていた/悪路走破性も高く、冬の積雪期にも頼りになる存在だった、とのこと/撮影は1988年。その直後、姿を消した。
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横浜市電1200形/1940年製/皇紀2600年を記念し、2600形として登場。戦後1200に改番/引退後、辻堂海浜公園に保存されたが、潮風で傷み、廃棄されることに/車体は一旦、川崎埠頭に置かれたものの、やがて姿を消した/左は1979年撮影、辻堂に展示されていた頃/右は川崎埠頭に遺棄された姿、1984年撮影
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ハグルマ/1990年撮影/廃墟となった観光ロープウェイの機械室にて/「朝日新聞」に掲載/1996年、作家の高橋克彦さんが、私のこの写真をご覧になった印象をもとに「機械室の夢」という短編小説を執筆されました/高橋さんのその小説は『幻少女』(角川書店)という掌編小説集に収録されています。
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相模原・鹿沼公園に保存されていた横浜市電1000形/1928年製。関東大震災の復興期を支えた功労車/保存された1970年には原型の美しい姿でしたが/1981年、メルヘン調に改修され、車体に乗客が描かれ/夕暮れ時には左のように見えていました/撮影は右が1981年、左が1992年/その後、姿を消してしまい…
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国鉄EF58形電気機関車20号機/1947年製/1953年改装/パンタが不似合いなPS22Bに改造され、また廃車も早く、あまり写真が残されていない不遇な機ですが/私的には、初期車独特のオーラを纏う、魅力的な車両だったように思います/撮影は1977年、広島/カメラはローライ。フィルムはエクタクロームXです
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川崎の長沢浄水場の斜面下にあった小さな団地。中庭に1956年製(69年引退)の東京都電8000形が保存されていました。この電車は将来の都電廃止を見越し、10年使えればよい、という発想で造られた低コスト車両でした。撮影は1976年の初夏。土管と古タイヤ、そして杜撰な保存車。昭和の児童広場の光景です
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最後の省形木造国電 1922年製 クエ9112/1977年に廃車。下十条電車区から大船工場に移された/撮影は1978年/乾燥した冬場で、木製車体には所々隙間が/「これが雨季にはくっつくんだから、木造車って不思議だよね。まるで生きてるみたいだ」職員さんがそう言いながら “もうまもなく解体される“ と…
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伝説の特急ロマンスカーつかさ/1982年、日中国交正常化十周年記念映画「未完の対局」の宣伝のため、伊藤つかささんを一日車掌に/小田急SSEが特製ヘッドマークを掲げ、新宿から向ヶ丘遊園を目指しました/写真は運転終了後の撮影。新百合ヶ丘にて/バックは多摩線のデハ2217+デハ2218ですね(’-’*)♪
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東京都電2000形2011号/1952年製/狭軌だった杉並線用の車両/同線の廃止後は改軌され、1969年まで活躍/引退した後、写真の2011号は大田区の大森第五小学校に、2012号が品川区の公園に、それぞれ保存されたが/二両とも90年代に姿を消してしまった/撮影は1980年の夏休み。
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偶然見かけた光景…/筑波鉄道キハ812/旧雄別鉄道キハ105/1962年製/茨城の私鉄は1970年頃、廃業した北海道の運炭鉄道から気動車を多数購入、近代化を遂げたのですが/これもその一両/長らく筑波線の主力を務めましたが/同線の廃止直前、踏切事故に遭い、機関区の隅で解体されることに/1986年撮影
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郵便柱箱 試作/1948年製/ご存知、戦後の丸ポスト=郵便差出箱一号丸形“戦後型”が誕生したのは1949年のこと/その前年、差出口に「POST」ではなく「LETTER」と銘した試作品が少数製造され、試用されたという/これはその生き残りと思しき一本/1979年撮影。長野にて/不思議な置き方ですよね(’-’*)♪
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小田急電鉄デニ1000形荷物電車/1927年製/小田急創業期に就役、郵便や荷物輸送を担った/途中で旧帝都電鉄モハ208の車体を譲り受けるなどしながら、57年後の1984年まで活躍。最後は主に新聞を運んでいた/撮影は1977年。場所は町田駅/この頃はまだ小田急や井の頭、開業時の車両が現役だったんですね
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不思議な光景でした…/名古屋市電の廃電車/1979年撮影。名古屋市内のスクラップ工場にて/市電廃止後、一度保存されながら、二度棄てられてしまった車両/名古屋市電は74年の廃止後、廃止を惜しむ個人や団体に多くが引き取られ、方々に展示されました。が、後年そのほとんどが姿を消してしまったとか
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京王帝都電鉄クハ2782/2700系の4次車/1956年製/56年製以降、車体色が暗い緑から明るい緑になり/後年、特別料金不要の“グリーン車”とも呼ばれました/1981年に引退/その後、車体の一部が神奈川県の民間企業に引き取られ、倉庫として使われていましたが/数年で姿を消してしまったとか/1982年撮影