写真家 丸田祥三(@malta_shozo)さんの人気ツイート(いいね順)

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1980年撮影、国鉄総武本線の西千葉駅/千葉の鄙びた小駅が、懸命に都市化を急いでいた頃/駅舎は木造平屋、駅前にはロータリー、ホームは片側のみ高架線/現在の半地下式の駅が竣工するまで、こんな過渡期的な姿を…/『東京幻風景』(amzn.to/1kiXYHa) トークでお見せする予定だった写真です。
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紀州鉄道 市役所前駅/和歌山県御坊市/1987年撮影/当時この駅は、1931年製キハ103の廃車を、ホームに置き、待合室にしていました/三枚目のモノクロ写真は、写真集『棄景』(1993年刊)に、作品として収録したもの/カラーの一枚目、二枚目は、その作品撮りの合間に、スナップ的に緩く撮ったものです
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■昨日「朝日新聞」に掲載された記事の、全長版がこちらになります/令和の今、昭和生まれの鉄道好きが抱く『違和感』について/ご高覧頂けましたら幸甚です/「昭和の鉄道少年」が抱いた「鉄道150年」ブームへの違和感:朝日新聞デジタル asahi.com/articles/ASQCZ…
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初期モデル・自動局用屋外公衆電話室(アンドン付き)/1969年秋より設置が始まった、ガラス貼り電話ボックスの決定版/組立式で折戸も軽く、80年代まで製造された/初期の個体のみ、公衆電話であることを目立たせるため、屋根に電電公社による標語入りの行灯が掲げられていた/写真は稀少な二面タイプ
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ハグルマ/1990年撮影/廃墟となった観光ロープウェイの機械室にて/「朝日新聞」に掲載/1996年、作家の高橋克彦さんが、私のこの写真をご覧になった印象をもとに「機械室の夢」という短編小説を執筆されました/高橋さんのその小説は『幻少女』(角川書店)という掌編小説集に収録されています。
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不思議な光景でした…/名古屋市電の廃電車/1979年撮影。名古屋市内のスクラップ工場にて/市電廃止後、一度保存されながら、二度棄てられてしまった車両/名古屋市電は74年の廃止後、廃止を惜しむ個人や団体に多くが引き取られ、方々に展示されました。が、後年そのほとんどが姿を消してしまったとか
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果樹園の春の風物詩、自走式薬剤噴霧機スピードスプレーヤー/米国で広まり、日本でも1960年代頃より普及し始めた農耕作業用自動車/写真は昭信自動車が製作した三輪の初期形。1962年製/枝を引っかけぬよう、丸っこいカタチをしており、狭い日本の農園では重宝したとのこと/撮影は1984年。山梨県にて
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組立式公衆電話室・初期型/1963年製/東京五輪の前年に誕生/初の総ガラス貼り電話ボックス/五輪の開催地に多く設置された/この引き戸タイプの初期型は短命で、1967年に製造終了、同じ組立式公衆電話室の折り戸タイプにバトンを渡した/後に映画各社が撮影用として所有。TV番組に頻繁に登場していた
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陸軍第九師団兵器支廠/石川県/1914年築/金沢の陸軍師団の壮麗な煉瓦建築/終戦で陸軍が消えた後、金沢美術工芸大学の校舎に転用された/金美は1972年、新校舎に移転/廃墟と化し、しばらくは荒れるに任されていたが…/1986年に整備され、石川県立歴史博物館となる/撮影は廃墟となっていた1980年夏
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西東京市には今も、昭和生まれの東京都電5000形5011号が保存されているそうですが/じつは1960年代から70年代にかけて、もう一両、6000形6177号が保存されていました/撮影は1976年/旧田無市内で、古い都バスと一緒に、児童プールの更衣室代わりになっていたのですが、この撮影後、姿を消しました。
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郵便柱箱 試作/1948年製/ご存知、戦後の丸ポスト=郵便差出箱一号丸形“戦後型”が誕生したのは1949年のこと/その前年、差出口に「POST」ではなく「LETTER」と銘した試作品が少数製造され、試用されたという/これはその生き残りと思しき一本/1979年撮影。長野にて/不思議な置き方ですよね(’-’*)♪
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鹿島海軍航空隊の廃墟/茨城県美浦村/1938年に開隊した水上機の航空隊/大戦末期には特攻隊員も送り出したそうです/撮影は1994年、元・鹿島空の教官(九六式陸攻を操縦し、マレー沖海戦にも参戦された)稲毛忠雄氏のご教示で、見学させて頂いた折の一枚/この木造兵舎は撮影の直後、姿を消しました。
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『酷道大百科』(実業之日本社)いわゆる3ケタ国道の中には、いまだ信じられない悪路=酷道が存在しています。そんな秘境を、よごれんさん( @yogoren )ヨッキさん( @yokkiren )たちが走破した記録。4年前の同名の書を、大幅にアップデートした決定版です。皆さまもぜひ、ご覧くださいませ!