写真家 丸田祥三(@malta_shozo)さんの人気ツイート(いいね順)

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偶然見かけた光景…/筑波鉄道キハ812/旧雄別鉄道キハ105/1962年製/茨城の私鉄は1970年頃、廃業した北海道の運炭鉄道から気動車を多数購入、近代化を遂げたのですが/これもその一両/長らく筑波線の主力を務めましたが/同線の廃止直前、踏切事故に遭い、機関区の隅で解体されることに/1986年撮影
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今はなき 都電荒川線 雑司ヶ谷のガード/1914年、王子電気軌道が設け、以来97年間、供用され続けた/TVドラマ『水もれ甲介』等の舞台となり、山の手の下町の象徴的な風景として親しまれた/カードは2011年、道路工事のために撤去/撮影は2010年冬/重松清さんとの対談『問いかける風景』用に撮った一枚
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■修学旅行用電車 国鉄167系/1965年生まれ/その後、新幹線や飛行機を使う修学旅行が増え、活躍の場を失う/撮影は1978年・横浜駅/伝統の修学旅行色(希望と喜びを表す、レモンイエロー&ライトスカーレット)も79年以降、湘南色へ塗り直された/保存車はなく、鉄道博物館に実物大模型が残るのみです
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1986年、ジョイフル本田が、東急6000系の廃車を販売/まだ未来的だったステンレス電車が、茨城県の数ヵ所で、小屋などに転用されました/撮影も86年。土浦市ほか/写真集『棄景2』に掲載した作品「棄てられし未来電車…」のモノクロ・フィルム撮影の合間に、別にネガカラーでスナップした二枚(’-’*)♪
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1966年式トヨタ救急車FS45V/3878ccのF型エンジンを唸らせ、昭和の街を矢のように疾駆した隠れた名車/撮影は1977年/大分県中津市と周辺の山岳地帯を所管する、中津下毛広域消防本部の車両/一枚目の写真、ここまで天井を入れこんだ理由は、長い無線アンテナをちゃんと写そうとしたからです(’-’*)♪
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昭和モダン時代の流線形車両を「連結面の側から」観ることは、稀な経験だったかと…/廃車となり、引込線に眠っていた豊橋鉄道ク2400形電車2402号/元は1938年製の神中鉄道(現・相模鉄道)気動車キハ40形/相鉄時代に電車の制御車となり、1956年、豊鉄に譲渡された/撮影は1982年の夏。場所は高師緑地
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鉄道郵便車マユ33/1937年に就役、71年までに引退/後に一両分の廃車体が、千葉県内の工場で食堂に流用された/撮影は1984年/他の建屋と混ざり、もう目を凝らさなければ車両か否か判別すらつかない趣…/車体上部の窓は、立ち乗車のまま郵便物を仕分ける郵政省職員のための明かり取り用の小窓であった
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筑波鉄道の真鍋機関区/1986年撮影/向かって左のキハ811は1962年製、元雄別鉄道の道産子気動車キハ104/右のキハ30・1は1964年製、元国鉄キハ30・16で川越・八高線で活躍した通勤用気動車/廃止の僅か一年前ですが、昭和末期には東京から日帰りで、こんな模型のような車庫を訪ねることができました
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45年前、1977年4月の撮影/EF57形4号機+EF58形65号機/場所は宇都宮運転所/戦時中製造のEF57(ゴナナ)は旧形電機の中で最も人気がありましたが、77年初春、何の予告もなく全車休車となり、そのまま廃車に…/後年「使える部品は殆ど外し、ED16の延命に役立てた」と、大宮工場の方に教えて頂きました
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東急3500形/1939年生まれ/東急の前身・東京横浜電鉄が、京浜電気鉄道(京急)への乗り入れを構想し、製造した電車/京急のレール幅に容易に改軌できるよう、長軸台車を装備/撮影は今から47年前の 1975年/場所は目蒲線目黒駅/翌76年からの延命工事で、その端正な佇まいが失われてしまう直前の光景
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1977年の夏休み/高架化前の南武線武蔵中原駅/中原電車区を見学させて頂いた帰り、ブローニー版のローライで撮った一枚/電車はクハ79形932号/1957年製の全金属車/旧型国電の掉尾を飾るに相応しい、美しく纏まったスタイルの車両でした/同車は翌78年6月、南武線新性能化の際に姿を消しました。
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1977年の滋賀・米原機関区/1953年製の国鉄DD50形2号機(一次形)と1954年製の5号機(二次形)/日本初の幹線用ディーゼル機関車/僅か六両ながら、一次形と二次形で外観はかなり異なっていました/北陸本線で活躍後、運用を外されて二年目の姿/米原を通る度に気掛かりで、念願叶っての訪問でしたが…
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伝説の特急ロマンスカーつかさ/1982年、日中国交正常化十周年記念映画「未完の対局」の宣伝のため、伊藤つかささんを一日車掌に/小田急SSEが特製ヘッドマークを掲げ、新宿から向ヶ丘遊園を目指しました/写真は運転終了後の撮影。新百合ヶ丘にて/バックは多摩線のデハ2217+デハ2218ですね(’-’*)♪
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1978年撮影、国鉄大垣電車区/岐阜県/向かって左はクモハ40形800(1935年製の069を低屋根化した稀少車)右は80系中間車を先頭車改造したクハ85形/東海道線の大垣夜行を降り、眠い眼を擦りながら撮った一枚/クモハ40のスカイブルーと青い空が交わって、しっかり撮れるか不安に駆られたものでした(笑)
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大阪市電3001形3038/撮影は1978年の夏休み、大阪府にて/同車は1956年製、日本の路面電車の代表と讃えられた高性能車でした/1969年の大阪市電全廃により、僅か13年で引退/3038が富田林市「ちびっこ交通公園」に保存されました/が、雨晒しだったことから荒廃し、保存から十数年後に姿を消しました。
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組立式公衆電話室/1969年製/撮影は1979年、亀戸/現地で組立てる方式で、引き戸の試作品が63年に誕生/68年以降、折り戸を採用/一対一の折り戸は、風でバタつかず、戸の前に物があっても開いたが、開ける際に重く/69年秋、A型屋外用公衆電話室が登場すると製造を終え/70年代末に大半が姿を消した
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トヨタ2FQ15改消防車/1964年製/秋田 能代地区消防署/自衛隊向け四輪駆動トラックをベースにあつらえた車両/能代大火の教訓を活かし、ホース類も使いやすいよう、独自の工夫がなされていた/悪路走破性も高く、冬の積雪期にも頼りになる存在だった、とのこと/撮影は1988年。その直後、姿を消した。
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東武鉄道日光軌道線100形109号電車/1953年製/68年の日光軌道線廃止後、岡山電気軌道に譲渡されたが、後年、一両が栃木に帰還。あるレジャー施設に展示された/今は東武日光駅前で保存されている/写真は2013年。レジャー施設の池の畔に置かれていた頃/『東京幻風景』(amzn.to/1kiXYHa)収録
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今から45年前、1977年の国鉄岡山駅/夏の夕暮れ/宇野線のクハ86(三面鏡の初期形)津山線のキハ20/ここには岡山出身の将棋棋士・大山康晴十五世名人に連れてきて頂きました/その折、大山さんの肩を支えにして、スローシャッターで撮影した一枚/まだ修復途上の写真ですが、私的にも懐かしい情景で…
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原っぱに眠る「渋谷駅行き」の都電/東京都電6000形6267、6272/1978年撮影/東京都五日市町(現・あきる野市)にて/6000形は1947年生まれ、戦後復興期を支えた電車でした/60年代、都電廃止を惜しみ、廃車を引き取った方がいたのですか、諸事情で草原に遺棄され/2両とも、80年代末に姿を消しました
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京浜急行500形/戦後の1951年、湘南マスクを纏い、颯爽と登場した京急復興期の立役者/なぜか翌52年製造分には空襲警報・警戒警報に対応する灯火管制装置が装備されたという(次の戦争に備えていたのか?)隣も戦後生れの無蓋車デト30形/共に80年代に引退/保存車は皆無/撮影は1979年/金沢文庫にて
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名古屋市電2000形/1956年生まれ。性能的に優れた電車で「名車」と称えられたが、市電網の縮小によって、僅か16年後の1972年に引退/2025号車の一部が、市民に引き取られ、名古屋市北区清水の街角で、旅行代理店の店舗となった/撮影は1979年暮れ
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名古屋市電の廃電車を保存した個人宅/愛知県名古屋市郊外/撮影は1978年の夏の朝/電車は戦前の名車1400形/大通りでは可愛く見えても、全長12メートル以上の巨体ですので/庭をほとんど占拠しているかのようでした/今はもう失せてしまったとか…
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横浜市電1200形/1940年製/皇紀2600年を記念し、2600形として登場。戦後1200に改番/引退後、辻堂海浜公園に保存されたが、潮風で傷み、廃棄されることに/車体は一旦、川崎埠頭に置かれたものの、やがて姿を消した/左は1979年撮影、辻堂に展示されていた頃/右は川崎埠頭に遺棄された姿、1984年撮影
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熊本市電(熊本市交通局)10形電車23号/1924年製/23号は大正生まれの優美な木造単車/市電川尻線の廃止の際には装飾電車となり、さよなら運転にも就いたそうです/引退後は地元熊本市内の幼稚園に保存され、長らく園児らに親しまれていましたが、1980年代前半、姿を消したとのこと…/撮影は1973年夏