咄嗟に出た「お手伝いできてよかったです」は私の本音だったなと改めて考えた。過去に同じような場面で私も助けてもらえたことがあったから、その恩返しを違う場面でできた嬉しさというか。手伝わせてもらった時点でお礼の言葉以上のものを私が先に貰ってるというか。
貧困と闘いながら心正しく暮らす少年が、唯一の肉親である祖父を亡くし、最後は窃盗の濡れ衣を着せられたまま犬と共に飢え死にするなんて美談にしちゃダメだよな。と気付かされた授業。先生は社会福祉士だった。
助けを求めるほどではないけど困ってる時って、それに気づいて声をかけてくれる人は同じ経験を過去にしてきた人だったりする。だから人を助けながら過去の自分を助けてる部分もあるんだと思う。私もこの先誰かに助けてもらった時はその善意を全力で受け取って、それを違う誰かにお返しできたらいいなぁ
年少扶養控除の復活という持続的な子育て支援の手段があるのにやらないのなんで?なんで???
幼保無償化の所得制限の先にあるのは、最終的には無償化自体の撤廃だよ。本当はどの家庭も他人事じゃない。所得制限を設けるやり方は、同じ子育て世帯の中で分断が起こること狙ってるんだよ…分断されてる場合じゃないんだよ…
だったかなとか、ベビーカーを押した方が良かったかな?いやでも通りすがりの人に子供の命託すのは怖いよな、とかグルグル考えながら席まで運ばせてもらった。運び終わった時にお母さんが「ありがとうございます」と言ってくださったので「お手伝いできてよかったです」と言って席に戻ったのだけど
10年前、東京大学主催の発達障害の勉強会に参加した。東大が発達障害について勉強会を開く理由は、学生や教職員に発達特性を持つ人が多いからと話していた。 日本の学校教育では「勉強ができること」が最強の免罪符になるので発達特性があっても「ちょっと変わった人」として市民権を得られる。
ふたりのやり取りを隣で聞きながら「なるほど」と思う娘36歳。もちろん4歳にはまだ少し難しいと思うけれど、こうやって息子の疑問に向き合ったり、時には一緒に調べたりして人生の学び直しができるのが子育ての醍醐味だよねぇと思った。
とんでもないことに気づいてしまったなと思いつつ、昔覚えた“無量大数”までの全単位を教えてみた。だけどそう伝えながらも「無量大数だって最後の数字じゃんないよなぁ」と自分でも疑問に感じながらやっぱり数字に終わりはないんだよと伝えた。そこで現れた夫が
息子からしたら完全に“うっかり”だし、「なぜこんなことに…」って顔しててから明日もこの手が通じるかはわからないけれど。最近行き渋りでお互いすり減ってた分、久々に明るい朝が過ごせて嬉しかった。子育て、まじで毎日手探り。 twitter.com/kurimi758/stat…
困ってる人、不安な人、寂しい人って誰かを巻き取りたい人にとっては格好の餌食で。そういう意味で子育て中はカルトやマルチに狙われやすい。私もショッピングモールで「子育て困ってますよね?子育てサークルに来ませんか?」と声をかけれたことがある。絶対着いて行ったり連絡先渡したらダメだよ。
これは少なくとも4歳以前の記憶。今の息子はまさに4歳。子供って案外覚えてるし、案外大人の本音も見抜いてる。それを身をもって実感してるから適当なこと言えないなと思ってる。先生のその返答は先生の表情によって夢のある回答だったかもしれないけれど、そういう雰囲気じゃなかったんだよ。
当時母はフルタイムで働いていたので転園は大変だったと思うし、実際大変だったと言っていたけれど、おかげで転園先では卒園まで楽しく園生活を送れた。 小さい頃の記憶が割と明確にある方なのだけど、転園前の園では先生に理不尽に怒られたり厳しく当たられたりしたことは今でも覚えてる。
子育てを通して、子供の頃の辛かったことを思い出して苦しくなることって多い気がする。親から理不尽に怒られたとか、馬鹿にされたとか、あるいは暴力とか。そういう時「自分は我が子に絶対しないぞ」と思うと同時に「なんで親は自分にそんなことできたんだ?」って思考に入ると苦しくなる。
子供産むまで、生後6ヶ月で隣の火事で住む家失くすなんて想像さえできなかったし、保育園入れないことは予想できても入園半年の間に風邪ばかりひいて14日しか通えないなんて想定外すぎるし、エスカレーター見かけたらそこから離れなくなるから子供と一緒じゃ買い物もままならないなんて思いもしないし
1回限りの10万円の“クーポン”配布で産み控えが解消されると本気で思ってるとしたら能天気すぎない?子育て支援の本質を理解する脳がなさすぎるし、少子化を本気で解消する気ないよね。瞬間風速的な支援っぽさアピールはもう要らないんで持続可能な子育て支援を頼みます。
息子は2歳で発達障害の診断がついた。診断を受けるのは怖くなかった?と聞かれることがあるけれど。診断を受けることよりも、特性に応じた支援を受ける機会を逃すことの方が怖かった。だから診断を受けられた時はホッとした。診断はレッテルではなくて、支援を受けるためのパスポートだと思ってる。
その園は保育の専門学校が併設されていて時々実習生が来ていたのだけど、保育士の先生が学生に対して怒鳴ったり、違う場面では学生同士の間でひとりの学生をいじめている様子も見た。掃除を押し付けたり誰かを嘲笑う大人を見て、子供心ながらにすごく怖い気持ちになったのを覚えてる。
「いい意味で期待しない、でも絶対見捨てない」これは精神科看護をする上で大切にしてきたことなのだけど、発達障害育児にも通じる気がしてる。勝手な期待で追い詰めない。でもだからといって諦めない。期待をしないことと諦めることはイコールじゃないんだよ。難しいから何度も自分に言い聞かせてる。
息子は私の行動以外にも服なんかもコントロールしたがる。 👦🏻あかいふくきてほしい! これが年齢的なものか特性によるものかはわからないけれど、そういう時は「息子くんのことは息子くんが自分で決めていいけれど、お母さんのことはお母さんが決めます」って伝えてる。自他境界だいじ!
共感するけど肯定しない。肯定しないけど、受け入れる。その姿勢は精神科で看護師をする中で培ったなぁと思う。そしてそれが発達特性を持つ子の育児に生きている気がする。彼らのこだわりや偏りの世界を否定せず、でもそこから現実世界に少しずつ焦点を移す作業を一緒にしてる。
全体的に荒んだ空気が流れる環境だったのだと思う。どの世界でもそうだけれど、大きな事件が起こる環境では、明るみにならない小さな事件事故がたくさん起きていて。特に保育という密室の場では誰にも知られず傷つけられている子がいるのかもしれない。特に子供はそれを誰かに訴えることも難しいから。
「発達障害の人にわかりやすい環境は、発達障害以外の人にもわかりやすい」 ほんとこれだよね。発達特性がある子は特別な配慮・支援が必要だけど、そうじゃない子には不要なわけじゃない。わかりやすいことはみんなにとってわかりやすい。
【追記①】 誤飲時の対応は誤飲した物によって変わります。 ・水や牛乳を飲ませちゃいけない物(タバコ) ・牛乳を飲ませちゃいけない物(防虫剤) ・吐き出させちゃいけない物(洗剤、漂白剤、石油系) 知識が曖昧な場合は中毒110番で指示を仰いでください。ただし繋がるまで時間がかかる場合もあります。→ twitter.com/awaguni_deko8/…
こういう話題になった時「この給与の低さでそこまで求めないでほしい」的な話が上がるけれど。それに関しては保護者としても、保育士(幼稚園教諭)の給与や社会的地位はもっともっと上がってほしいし上がるべきだと思ってる。 twitter.com/kurimi758/stat…