shinshinohara(@ShinShinohara)さんの人気ツイート(新しい順)

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「言語化」考。 私は非常に物分りの悪い子どもだった。他方、父は才気煥発、瞬時に事態を理解し、適確な答えを出す人だった。ただし非常に短気。説明するのも面倒くさい。「こうしとけ」という短い指示があまりにもあいまい。言葉通りにしたつもりでも「こうやれと言っただろうが!」と雷。理不尽。
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「農学」は今や総合生命科学という意味になっていて、食品メーカーや医薬品メーカー、化学メーカーから人気で、理学部よりはるかに就職が良かったりする学部なんだけど。今でもクワ振ってるイメージ持ってるのかな。 twitter.com/kurakenya/stat…
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みなさん、この時間割わかります? 暗号好きの息子(小4)が連絡帳に。
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NHKやEテレを見ても、あるいは新聞記事でも、食品ロス(フードロス)ゼロを目指せ!とよく呼びかけられている。しかし食品ロスゼロは決して目指してはいけない。多すぎる食品ロスは減らした方がよいが、決してゼロにしてはいけないものだということを、今回お伝えしようと思う。
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まとめました。 子ども食堂とフードロスを組み合わせるアイデアは、善意で舗装された地獄への道|shinshinohara #note note.com/shinshinohara/…
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私は、繰り返すが、緊急対策としての子ども食堂の価値を信じている。しかし子ども食堂を永続的な装置にしようという企みはむしろ怒りを覚える。大切なことは、子ども食堂に子どもたちが通わなくてもおなかいっぱいに食べられる社会にすること。子ども食堂はその過渡的存在であるべきだと思う。
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子ども食堂と食品ロスを結びつけて考えるアイデアが、さもグッドアイデアであるかのように語られることが多い。しかしこの組み合わせは皮肉なことに、貧困を救おうとして始めた子ども食堂を、貧困を再生産し、固定化する仕組みに変えてしまう恐れがあるように思う。
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そういうことが。 jbpress.ismedia.jp/articles/-/740…
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これはフードロス対策ではなく、農家を困窮させる活動。 売り物にならない野菜は畑にすき込めば肥料になる。フードロスではない。それをもし売ったら食べた人は腹が満ちる。するとまともな値段で売っている農家の作物が売れなくなる。すると農家は子供を学校にやったり親を病院に連れていけなくなる。 twitter.com/Vegeble0104/st…
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先進国は「農家」をなくそうとしているのかも。 世界最大の農業国アメリカは、95%が家族農業。それだけ聞けば圧倒的に農家が中心のようだが、どうもそのアメリカでも、農地のかなりが企業によって運営され始めているらしい。農地の50%以上がオーナーとは別の「農家」に貸し出されている。
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バイエル再考。 前回ピアノの習い方についてつぶやいたところ、大変大きな反響があった。バイエルの練習がつらくてピアノを諦めた、という声が多く寄せられた。 他方、ピアノ指導をされている方から「バイエルが悪いわけではない」というご指摘を頂き、詳しくお話を伺うことができた。
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ピアノ楽しむのに才能いりますのん?草野球楽しむのに才能いらないですよ。草ピアノでええですやん。 草野球とか少年野球の裾野が広いからプロ野球という頂点が成立します。ピアノも裾野広げりゃいいだけですやん。 twitter.com/JsMYOqF15JFvFz…
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まとめました。 楽しくピアノを学ぶ|shinshinohara #note note.com/shinshinohara/…
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日本では正しい指使い(運指)を習得するのに最適だとして、バイエルを教えるのが普通だと言われる。そしてそのために、ワクワクしてピアノ教室に通い出した子どもたちが、次々とピアノ嫌いになっていく。その曲があまりにもつまらなさ過ぎて。
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日本だとピアノ習い始めの子に必ずと言ってよいほど課されるバイエルは、その夫によると、学生時代、音楽教育法の講義で「昔の悪い例」として習ったのだという。 悪い教え方の見本! オーストラリアではとっくの昔に、その子にあった教本を探して教えるのが一般的なのだという。
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FB で面白い投稿があった。オーストラリア人のピアノ教師と結婚した人の話。その人は子どもの頃、6年間もピアノを習っていたが、つまらなさ過ぎてやめた経緯があった。ところがあることがきっかけでピアノの面白さに気が付き、夫に教えてもらうことに。そのときの話が衝撃的。
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日本の農家は超高齢化が進んでいて、それでいて後継者がいないのが悩みとなっている。実は先進国はどこも同じような悩みを抱えているらしく、15年前、イギリス王立農業大学に留学していた学生が「イギリスでも高齢化と後継者不足は問題になっていますよ」と。
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教師や警察官の子どもがグレることがあるのはなぜか?をつぶやいたところ、思わぬ反響があった。反響の中には、社長や弁護士、公務員も付け加えてほしい、という声も。家で社長としてふるまい、子どもを部下扱いするのだという。家に「親」がおらず、他の何かがいる、という形では共通。 twitter.com/ShinShinohara/…
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まとめました。 教師や警察官の子どもがグレることがある理由|shinshinohara #note note.com/shinshinohara/…
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子どもにとって、親は自分しかいない。子どもは教師や警察官を求めているのではなく、「親」がほしい。それに気づいていないと、たとえ教師ウン十年でも警察感として品行方正でも、子どもにとって親がいない上に監視する人が家にいることになってしまうらしい。
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家庭の中では、教師であり警察官であることを忘れ、「親」になることが必要なのだろう。目の前の子どもをよく観察し、教室の生徒と比較したりせず、子どもにとって自分は親なのだ、甘えたり素を見せたりすることができる仮定の中で家族として接する必要があるのだ、という自覚が必要なのかも。
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もしかしたら、親が教師や警察官で子どもがグレるのは、教師として、警察官としての成功体験を家庭に持ち込もうとするから起きているのかもしれない。私が思うに、教師や警察官として磨いたテクは、その職業として振る舞う空間でしか通じない。家庭に適用しても無効などころか、有害。
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しかも、教師である親も、家ではカミシモ脱いで落ち着きたくなる。だからだらしない姿も見せることになる。なのに叱るとき、何か子どもを操作したいとき、教師になる。ある程度の年齢になってくると、子どもは教師という表の顔とだらしない裏の顔の乖離に我慢できなくなるらしい。
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しかし家は教室ではない。家庭の中に校長先生の威光は伝わらない。教師のテクは、家庭の中では無効なことが多い。しかも学校の場合はたくさんの子どもがいる。子ども同士で牽制する空気を教師は利用できるが、家では親と子どもがいるのみ。一対一の関係ではテクが使えない。
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しかし子どもにとっては親。子どもがいてほしいのは親であって教師ではない。なのに親がいなくて教師がいる。 しかも、教師としてのテクは我が子には通じないことが多い。教師のテクは、学校という権威を背景に、教室という特殊空間で磨かれたもの。子どももその特殊空間で独特の振る舞いをする。