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なお、お問い合わせは、所属事務所 (有)レトルにお願いいたします。
letre.co.jp
青年団の劇団事務所、こまばアゴラ劇場は現在、休業、休館中です。
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今般のウイルス禍収束の暁には、劇団葬として、お別れの会を開催させていただく予定でおります。詳細は決定次第、お知らせいたしますが、現状の混乱を鑑み、発表がしばらく先になること、ご容赦ください。
謹んで、ご冥福をお祈りいたします。
oriza.seinendan.org/hirata-oriza/m…
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なお、ご遺族のご意向により、葬儀は4月29日に近親者のみで執り行われました。時節柄、私も出席はかないませんでした。発表は葬儀のあとというご意向に沿って、本日の告知となりました。
oriza.seinendan.org/hirata-oriza/m…
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劇団員の志賀廣太郎が、2020年4月20日午後8時20分、誤嚥性肺炎のため満71歳で永眠いたしました。2019年春に脳血栓で倒れて以降、復帰に向けて懸命のリハビリを続けてまいりましたが、かないませんでした。詳しくは、こちらをご覧ください。
oriza.seinendan.org/hirata-oriza/m…
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テレビドラマの撮影も軒並み中止で再放送が増えていると聞いています。
ここはひとつ、『幕が上がる』の地上波初放送とかないですかね?
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NHK「おはようにっぽん」のインタビューのさらに詳しいロングバージョンです。
nhk.or.jp/ohayou/digest/…
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公演中止の決定が相次ぐ中、9月にソウルで私の作品を上演したいという問い合わせが来る。ありがたい。フランスからは、三月の上演中止の損失補償(主に輸送費)の振り込みがあった。まだまだ、われわれの連帯は途切れていな
い。
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放送より、少し長めにまとめていただいています。
「文化を守るために寛容さを」劇作家・平田オリザさん|けさのクローズアップ|NHK おはよう日本 nhk.or.jp/ohayou/digest/…
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出ます。
夜はクローズアップ現代も出ます。
でも、ずっと豊岡にいます。 twitter.com/nhk_ohayou/sta…
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今日は、布団の山で息子と遊んでいて妻に怒られた。
「母の布団で遊ばない男の子はいない」というセリフが『オイディプス』にもあると嘘をついたら、さらに怒られた。
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アーティストの皆さんも、ぜひ、このホームページを最後まで読んでください。特に若い方々。
私の百万の理論より、励ましになるかと思います。
いまも、私たちを必要としてくれる人がたくさんいる。
readyfor.jp/projects/SaveA…
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医療関係者による若手アーティストへの支援のクラウドファンディングが始まりました。
皆さんのほうが大変でしょうと頭の下がる思いです。
芸術系のクラファンは多く立ち上がっていますので、少しでも余裕のある方は、ご自分の相性のいいものを選んでいただければと願います。
readyfor.jp/projects/SaveA…
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私の周りでも、商業演劇やミュージカルでも、そして世界の多くの劇場で全公演中止が決定していきます。4月、5月だけではなく、すでに9月あたりの公演まで。稽古ができず、広報もできないからです。 twitter.com/stage_natalie/…
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jwaveのダイジェスト版です。
headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200414-…
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あ、なので、義理の叔父です。血はつながっていません。
でも、子どもの頃は、よく「お泊まり」に行くくらいにかわいがってもらっていた。
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以上、偉大なる叔父、大林宣彦の追悼のために。
合掌。
天国で8ミリを回してください。
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トキワ荘の青春のような実話。そして私はその申し子だ。
だから私には、若い才能を世に送り出す責務がある。
こんな物言いを芸術家はしていいのだと、いや、あえて、しなければならないのだという世界標準を教えてくれたのも大林さんだった。
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よく、「私の今あるは、○○さんのおかげです」というスピーチを聞くが、私が生存しているのは、まさに、文字通り、生物学的に、大林夫妻のおかげなのだ。
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その姉は勉強ばっかりしていて料理などからきしできず、恭子おばちゃんが、その面倒を見なければならなかった。「だから結婚はできない」と恭子おばちゃんは大林さんに言ったらしい。そこで二つ隣の部屋に住むしがない作家志望と、その姉をくっつけることになった。それが私の父と母。
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大林さんは当時、すでに恭子おばちゃんと半同棲していた。結婚したかったのだけど、恭子おばちゃんには、面倒を見なければならない姉がいた。おそらく、姉との同居が、故郷秋田から東京に出てくる条件だったのだと思う。
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私はなぜか、子供のころから大林さんのことは「大林さん」と呼び、恭子夫人のことは「恭子おばちゃん」と呼んでいる。両親は「宣彦君」と呼んでいたので「宣彦おじちゃん」でもいいはずなのだが、子供心に、この人はちょっと別格の偉い人だと思っていたのかもしれない。
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「ああ、もう新しい時代が来た」と父は映画監督の道をあきらめたが、「あとから考えると、あんな奴は宜彦君以外いなかったので、ちょっと判断を誤った」と後悔していた。
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大林伝説は数々あるけど、私が父から聞いたものの一つは、あの年代の男性では珍しくピアノが弾ける大林さんは、楽譜を見ながら口笛を吹いてフィルムにはさみを入れていく。それを後からつなぐとメロディと画面が完璧に一致していたというもの。
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父の死ぬまでの自慢は、「大林に最初に16ミリを持たせたのは俺だ」というものだった。