反五輪を訴えるなかで、あたたかい言葉をかけてくれる方々に心から感謝するとともに、「ガス抜き」だとか「わがまま」だとかの思慮の浅い誹謗中傷には、憤りを覚えます。批判するならせめてきちんと調べてからにせえよって。そんな妄言はすべて無視します。そうしないとやってられんので。
一般的にいう「運動神経のよさ」とは、体で直接憶えることに長けているということ。だから言葉で長々と説明されるよりもまずはやってみたいと望む傾向がある。反対に「運動神経の鈍さ」とは、その理屈を頭で理解しなければ動けないという慎重さのこと。だからまずは言葉を頼ろうとする。→
今日も今日とて資料を読み漁る一日。五輪めぐる歴史はまるでアングラ世界を思わせる。これまで知らずにスポーツに携わってきたのが恥ずかしい。円谷幸吉を挙げるまでもなくアスリートはとことん政治に利用されてきた。向こう側の彼らにとってスポーツは健全であらねばならなかった。もうやめにしたい。
この移設問題について、もし反対ならその意思を明確にして欲しい。黙して語らずの態度は賛意になるからです。それから当事者としてのラグビー関係者には「賛否」の意思を示す義務があります。自分の庭が荒らされようとしているのに押し黙る人はいないでしょう。もし賛成ならその根拠をご教示ください。 twitter.com/rao_rug/status…
「五輪だけが敵対視されている」と感じられるのは、感情的になっている反対論者の存在が影響していることは否めませんが、これまでの歴史を知らないからだと思います。過去を知らずして未来は語れません。共有する過去があって、初めて対話は成立する。
とにもかくにも継続することが大切で、それぞれが健やかに日々を送りつつ、少しの心がけでできる最大のレジスタンスであると僕は思っている。
現状を否認し、責任逃れのためのこの言葉遣いには辟易とする。どこまで「ことば」を破壊すれば気が済むのか。ことばが壊れれば、社会そのものへの信頼が著しく損なわれることに、思いが及ばないのか。失われた信頼を回復するために必要な、途方もなく長い時間を想像すると頭がクラクラする。 twitter.com/tokyonewsroom/…
おかしいと思うことにはちゃんとおかしいと言う。言い古されたこの正論を、日々の生活のなかでいまこそ実践するときなんだ。静かに怒り続けることで、少しづつだが社会はよくなる。少なくとも僕はそう信じている。
「スポーツウォッシング」の劇的な効果がわかっているから、開催に向けてなりふり構わずに振る舞う。スタッフの身辺調査もしないし、パンデミックも恐れない。非現実的な暑熱対策も厭わない。組織として体をなしていないですよ、こんなの。これ以上スポーツが利用されるのは看過できません。
中田翔選手のトレードに関して、ようやく納得できる記事を読めた気がする。東京五輪を契機に生じたスポーツ再考の流れは、この先も続くに違いない。 twitter.com/K_for_Sports/s…
ワシントン・ポスト紙コラムニストのサリー・ジェンキンス氏は、「…まるで日本はIOCにハイジャックされてしまったようなものです。」「…日本の指導者が賢明な判断をすることを望みます。」と述べています。
自分たちにとって都合が悪い分子を「奴ら」と呼び、自ら分断を煽っていることに無自覚な権力者が率いる国家の行く末は、歴史が証明しています。コワいです、とっても。そうならないように、東京新聞さんには期待しています。 twitter.com/danketsu_renta…
「おとな」は「こども」にとって生き方の手本であり、その総体が社会なのであって、「この社会にはロクなおとながいない」という身体実感はジワジワと、でも確実に本人の人生観に影響を与える。「こども」が成熟するためには肚の据わった「おとな」の背中が必要だと、僕は思う。
坂本龍一氏の訃報に触れ、戦場のメリークリスマスを電子ピアノで練習していた20代を思い出す。神戸製鋼に入社してまもなくのころ、モヤモヤを吹っ切ろうと寮の自室でひたすら弾いてた。闘病のなか、神宮前再開発に反対の意を果敢に表明したその遺志を、僕なりに引き継ぎたい。
どれだけの人が傷ついたのか、それを想像するとことばが出ない。これだけ無茶苦茶でも開幕した事実は消えない。 台本11冊を入手 五輪開会式“崩壊” 全内幕 計1199ページにすべての変遷が #週刊文春 bunshun.jp/denshiban/arti…
『五輪がらみはこんなのばっかり』って、ホントそう。つくづく嫌気が差す。けれど今はきちんと指摘しておかねば思う。「無力感」を決して学ばないという決意とともに。 twitter.com/NOSUKE0607/sta…
宙吊りになったままのこの問題は決して見過ごせません。見過ごせません。きちんと報じるCLPはやはり信頼できるメディアだと思います。 twitter.com/ChooselifePj/s…
これは僕は逆だと思います。いま開催に懸念を示さないとスポーツ文化が萎む。自己利益を追いかけて批判の目を向けなければ、上位下達で忖度を強要される旧態依然のスポーツを放置することになる。長期的な視野、かつ社会的な視点で捉えることが、ジャーナリズムの役目だと思います。 twitter.com/bibirinba/stat…
教育を守るために、またスポーツを守るために、僕はできることを積み重ねていくし、言うべきことは口にします。真っ当な反論は大歓迎です。分断が進む現状を憂いつつ、なんとか対話の回路を確保すべく、尽力していきます。負けへんで。ほんまに。
グッときた。ムロタマユさんが音楽そのものに抱いている危機感と、僕がスポーツに抱いているそれとは、重なる部分が多い。とても。 フジロック2021に、音楽ファンはもっと怒っていい|ムロタマユ @yumataromu #note note.com/murotamayu/n/n…
免罪的に使われる「企業だから」「サラリーマンだから」という口ぶりには僕もずっと違和感を抱いています。どんな仕事であっても社会的な使命を抜きにはできないはずです。営利だから、あるいは命令には逆らえないから仕方ないとするこの風潮こそが、いまの殺伐たる社会を作ったんだと僕は思います。 twitter.com/kaokou11/statu…
「怒り」というのは、現実・現象への異議申し立てなんだよな。湧き上がる情念に流されず、でもその主体としての自己を省みて踏みとどまらずに、「対象」へと向かわなければならない。なにに自分は怒っているのか。それを明らかにするためには徹底した観察が必要なんだと思う。まったくしんどい作業だ。
新型コロナ禍への対策はだれが講じても不十分に終わる。対自然なだけに、それは仕方がない。でもそこには誠実さがなければならない。ナイーヴなまでの誠実さだけが、ささやかな安心を生むのだから。でも今はそれが足りない。この現実に、どうしようもない憤りが湧いてくるのが「いま」なのだと思う。
【AERA】にも掲載されました。ぜひご一読ください。1人でも多くの人に考えていただくために、拡散もお願いいたします🙇‍♂️ dot.asahi.com/aera/202302010…
東京五輪がここまで歪になったのは、メディアがスポンサーになったことが元凶だとつくづく思う。薄膜を張るようにその実態が覆い隠され、その結果、市民が煙に巻かれた。報道すべきことを報道しないと、いとも簡単に社会は混乱する。それをまざまざと実感する3月11日の朝である。