八條忠基(@EeoduLzbYVjTprk)さんの人気ツイート(リツイート順)

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『有職の色彩図鑑 ~由来からまなぶ日本の伝統色~』 (淡交社・2020年) B5判変版・208ページ 2970円(税込み)
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明治二十年(1887)頃のカップ&ソーサー。 明治前期に用いられた「御旗御紋(みはたごもん)」が描かれます。菊花御紋の後ろに日月の錦旗が交差するデザイン。案外と知られていないのではないでしょうか。 国賓を迎えての晩餐会の食器などで現在も用いられています。
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本日5月15日、本来ならば京都で葵祭「路頭の儀」が行われる日でございます。賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)のお祭りが、「葵祭」と呼ばれるのは、行列の一行が冠に葵(フタバアオイ)の葉を飾ったからです。
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タチバナ(橘、学名:Citrus tachibana)も一気に開花です。葉の緑・花の白・果実の橙色を同時に楽しめることが平安時代から賞美の対象でした。 『満佐須計装束抄』(源雅亮・平安末期) 「女房の装束の色。四月薄衣に着る色。花橘。山吹濃き薄き二。白き一。青き濃き薄き。白単。青単。」
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各地で満開の桜。 桜の蒔絵でもいかがでしょうか。 貞明皇后御料の御短冊掛けでございます。 短冊の押さえが、貝で作った桜の花というところが、なんとも優美です。
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皇嗣殿下の冠の「纓(えい)」(後ろのひらひら)は一般の「垂纓」と、天皇の「立纓」の中間の「燕尾の纓」。羅の刺繍は明治天皇までは冠親の文様を受け継ぎましたが、大正天皇の成年式以降、天皇・皇太子の纓には菊花文の刺繍が施されています。
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古くなって擦り切れた袿。 非常に上質の絹地でありましたので、会員の和裁士さんにお願いして、二巾の几帳の帷に仕立て直していただきました。いやもう、実に素晴らしく蘇りました。室内がパッと華やかになりました。
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標高の高い御岳山は、すでに秋の花々の世界になっていました。『枕草子』にも書かれている、平安時代はデフォルトであった赤い穂のススキも。東京の平地では、なかなか見かけませんね。
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本日は冬至。 そして旧暦では11月19日で「11月、中(なか・2回目)の辰の日」です。前日の「中の卯の日」に行われる「新嘗祭」の翌日で、「豊明節会」が行われた日となります。新嘗祭が収穫祭というよりも、冬至祭=上古の新年祭であったのではないかと思わせてくれる日程です。
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黄丹袍の文様は花丸のような枠「窠(か)」の中に鴛鴦(オシドリ)が描かれる「窠中鴛鴦(かのなかにえんおう)」です。『胡曹抄』には1155年の皇太子の袍が「六ツ花形ノ丸中有唐鳥」とあります。なぜ皇太子の袍が「窠中鴛鴦」の文様なのかについては諸説有り、一定していません。
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この子に声を掛けるんだ。『ね、心ある生き物なんだから、僕の気持ちを判ってくれるよね?ね?』って。……でもこの子、小っちゃくアクビをして、じっと僕の顔を見上げるだけ。何か言いたげなんだけど、話してはくれないんだ……。
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他の猫の毛色は浅い黒だけど、この子は墨みたいに深い黒色。まるで『戦国策』に出てくる伝説の名犬・韓盧みたいな姿をしてる。体長1尺5寸、体高6寸くらい。屈むとキビの小さな粒みたいで、伸びをすると張り切った弓みたいなんだ。
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京都の工芸は分業制で成り立っています。 木工・金工・染色・製紐、その他さまざまな職人さんが、それぞれがある程度自由に作りながら、最終的に寄せ集めて組み立てると見事に調和する。京都の職人さんの凄さがよく判ります。表に出たがらない皆さまに、ここまで脚光を当てた本は見た事がありません。
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檜扇の要(かなめ)の金具は、表が蝶、裏が鳥でございます。蝶鳥はさまざまな場面において、一対として扱われました。
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有職に用いられる桜モチーフ。 「楊筥写錦折立文箱」(神宮司庁制作)。神宮で用いられる神聖なる器「柳筥」を写し、中に御神宝で用いられる錦を貼った文箱です。実に神々しき御品でございます。
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瞳はキラキラとまぶしいほどに輝き、耳は直立するスプーンみたいで揺れない。丸まったときは、足も尻尾も見えない。お堀の中の黒い宝石みたいなんだ。歩くときは音もなく声も立てない。そう、ちょうど雲の上の黒い龍みたいだな。
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平安後期、藤原頼長のモモ焼きの食べ方が『古事談』(源顕兼・鎌倉前期)に記されています。
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昨日はゆく夏を惜しみ、御岳(みたけ)神社へ。レンゲショウマ(蓮華升麻、学名:Anemonopsis macrophylla)を見に参りました。レンゲショウマは1属1種の日本固有種です。いかにも日本的な、風情のある優しく嫋やかな花が魅力的です。
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秋深し。ナツヅタ(夏蔦、学名:Parthenocissus tricuspidata)が美しく紅葉しつつあります。
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この色彩は中国皇帝の「赭黄」に倣ったものと考えられ、中国の皇帝の衣の色は「五行」の中心、そして中国中原の土地の色である「黄」を用いました。黄櫨はハゼノキを用いた染色で、『延喜式』によれば、綾一疋を染めるのに「櫨十四斤、蘇芳十一斤、酢二升、灰三斛、薪八荷」を用いました。
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楽所幕がなぜ木瓜文なのか。 根拠文献は曖昧ですが、一般的には「応仁の乱で衰微した雅楽界を復興したのが織田信長であり、その恩義を忘れないように楽人たちは織田家の家紋を用いた」というように語られています。
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え?違う違う。この子の才能が素晴らしいからって言うんじゃないよ。ただ、せっかくお父様から頂いたものだから、つまらないヤツだけど、大切にしてるってだけ。(……ぜ、絶対、好きとかじゃないんだからねッ!)
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本日は東京西郊に写真撮影に参りましたが空振りに。しかしそこからの帰路、思わぬ収獲がございました。浅葱色の美しき蛾、オオミズアオ(大水青、学名:Actias aliena)でございます。
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シャガ(射干、著莪、胡蝶花、学名:Iris japonica)、アヤメ科の植物でございます。今、あちこちで見かけますね。 学名に「ジャポニカ」とありますが、いわゆる「史前帰化植物」で、大昔に中国から日本にやってきたと考えられています。
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6月16日のお菓子イベント「嘉祥」(嘉定)は、江戸幕府でも重要な儀式という位置付けをされました。『徳川年中行事』によれば、将軍と世嗣が手ずから大名に菓子を手渡す儀式の後、大名・旗本は1794もの膳から菓子を取って帰りました。「とらや」では、当時の羊羹を再現して販売されています。