八條忠基(@EeoduLzbYVjTprk)さんの人気ツイート(いいね順)

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日本橋三越本店にて「有職工芸・林 美木子 王朝のかたち展」が開催中でございます。とてもとても手が出るお値段ではございませんが拝見するのは無料。本日伺って参りました。見ているだけで寿命が延びるような気持ちになれる、素晴らしき有職の御品たちでございました。 mitsukoshi.mistore.jp/nihombashi/sho…
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ということで、先日撮影致しましたムラサキ(紫、学名:Lithospermum erythrorhizon)の花でございます。 根は紫色ですが花は純白。
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有職文様の「藤立涌」2種でございます。
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中野区・妙正寺川の桜を撮影しましたら、まさにこの重ね色目の風情でしたので、併せて掲載させていただきました。
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『満佐須計装束抄』に見られる「雪の下」の重ね色目でございます。『有職の色彩図鑑』(淡交社)所載。
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『万葉集』の 「ほととぎす 楝の枝に行きて居ば  花は散らむな 玉と見るまで」(大伴家持) などの「玉」は髪飾説、薬玉説などさまざまありますが、「楝」つまりセンダンの実を見れば、そのことを詠ったものだということが自然に理解できます。
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来年1月に刊行予定の本の取材で奈良へも。朝降っていた雨が止み、春日大社の回廊の檜皮葺から立ち上る蒸気が何とも神々しく神秘的です。 修学旅行生が多くいます。鹿と戯れる姿も微笑ましく、日常が戻りつつある幸せを感じました。
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淡交社の編集さんが、『有職の色彩図鑑』の刷り立てほやほやの重版を持ってきて下さいました。色味も良い仕上がりです。ただいまamazonで品切れ状態になっているとのことでございますが、まもなく重版出来、各書店に納品されるそうですので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
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この色彩は中国皇帝の「赭黄」に倣ったものと考えられ、中国の皇帝の衣の色は「五行」の中心、そして中国中原の土地の色である「黄」を用いました。黄櫨はハゼノキを用いた染色で、『延喜式』によれば、綾一疋を染めるのに「櫨十四斤、蘇芳十一斤、酢二升、灰三斛、薪八荷」を用いました。
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この時期の林間樹下は、ヤマアイ(山藍、学名:Mercurialis leiocarpa)が一面に繁っています。 日本最古の染料と呼ばれる山藍。古代より神事に使われる「小忌衣(おみごろも)」の青摺文様は、この山藍の絞り汁を用います。
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春爛漫の東京。 ツクシでございます。ツクシの語源には諸説ありますが、もとは「つくづくし」。 『源氏物語』(早蕨) 「蕨、つくづくし、をかしき籠に入れて、『これは童べの供養じてはべる初穂なり』とて、たてまつれり。」 平安時代も、やはりツクシは「春の山菜」の扱いであったことが判ります。
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牡丹もそろそろ見頃は終わりかなと思いましたら、続いて芍薬が咲き始めました。 百花の幸ふ国。 有り難いことでございます~。
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今回の文庫は『有職装束大全』の文庫版ではございません。まったく別の本です。文庫本の紙面ですので、情報量は『大全』のようには参りません。典拠も記載しておりません。「まず初めの一冊」にはこの文庫、より深く詳しく知りたい方には『大全』と切り分けております。
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左近の桜はヤマザクラ。 御所のヤマザクラは赤芽種が多いので、たいへん色鮮やかに見えます。
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楝は魔除け厄除けの効果があると信じられていました。平安時代は監獄の門前に植えられ、見せしめとして斬首した首を掛けました。平治の乱では信西の首が掛けられました。これを「獄門に掛ける」と呼びます。
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東京の公園の開花状況は、もはや初夏のよう。ライラック(紫丁香花、学名: Syringa vulgaris)が早くも満開でございます。ことしの花見物は、昨年よりも10日以上は早めに計画しないといけないようでございますね。
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楽所幕がなぜ木瓜文なのか。 根拠文献は曖昧ですが、一般的には「応仁の乱で衰微した雅楽界を復興したのが織田信長であり、その恩義を忘れないように楽人たちは織田家の家紋を用いた」というように語られています。
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本日は雛祭り。 現在の「菱餅」は桃色・白・緑の三色が多いですが、江戸時代の宮中の菱餅は白餅と草餅の二色でした。 『有職故実から学ぶ年中行事百科』(淡交社)掲載の、川端道喜さま『御定式御用品雛形』「三月節句大菱餝御献上盛方」の図よりイラストを起こして下さいました。たいへん素敵ですね。 twitter.com/one_zeroberry/…
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春たけなわ。 ワラビ(蕨、学名:Pteridium aquilinum)でございます。あっと言う間に単なる「シダ」になってしまいますので、「早蕨(さわらび)」は今だけの造形美です。
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端午の節供は粽(ちまき)。粽は3月から5月の通常食でしたが、寛平二年(890)に宇多天皇の指示で、民間の節供の行事食が宮中でも食べられるようになり、5月5日は「五色粽」でした。 『延喜式』(内膳司) 「粽料糯米二石。日別二升五合。大角豆六斗。(中略) 右従三月十日迄五月卅日供料。」
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これは是非拝見したいと思います。 chojugiga2020.exhibit.jp/?fbclid=IwAR3W…
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ちょっと『愚管抄』(慈円)を読んでおりまして、そうそうと思い、『鎌倉殿の十三人』の現在の状況を見ましたら。 「サテソノ年ノ十一月三日。終ニ一万若ヲバ義時トリテヲキテ。藤馬ト云郎等ニサシコロサセテウヅミテケリ。」 一万若というのは、頼家の長子・一幡のこと。まだ子どもです。
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歴史や古典文学愛好家の皆さまには、文字で語られる植物の活きた姿を。植物愛好家の皆さまには、日頃見かける植物が日本人とどう関わってきたのかをご紹介したいと思います。ぜひ手にとってご覧下さいませ。 amazon.co.jp/dp/4582839142?…
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五月飾り「檜兜」。これは堂上公家有職の五月飾りでございます。奈良~平安時代、5月5日に「菖蒲蔓」と呼ばれる、菖蒲で作ったかぶり物を頭に付ける風習がありました。やがてこの「菖蒲蔓」の風習は自然消滅してしまったようですが、室町幕府で、形を変えて復活?いたします。それが「菖蒲甲」です。