1826
これが、借金のおもしろいところなんです。
個人間の貸し借りならば、寿命や加齢による収入の減少などもあるでしょう。しかし、百年単位で借金が可能な信用のある国家ならば、ひたすら「返さない」方が、実はどんどん得をするのです。
1827
もしも薩摩が「財政健全化だ」などと言い出し、税収の大半を返済に当てていたらどうでしょう? 藩の運営すら不可能になり、倒幕どころかその前に薩摩藩が潰れてました。
1828
「薩摩藩が潰れなければどれだけ時間はかかっても返ってくる」が成り立つならば、貸主側は「無理に返そうとして国が潰れて一銭も戻ってこないよりはマシ」となるので、無理して返さない方が、そっちも実は得なんです。
1829
「延々と莫大な借金を背負えというのか、将来世代にまで!!」と言うかもですが、親が家も土地も財産も残さず、自分にまともな教育も与えず、全部を借金返済に回してしまえばどうでしょう?
1830
仮にまっとうな機会を得たならば、年収1000万になれた我が子に、育成の投資を渋り、小遣い銭すら与えず、大学どころか高校も通わせなければ? その半分の年収を得るようになることも、難しいでしょう。
1831
そうしている間に、ゆるやかに物価は上昇し、時になんらかの社会の変動・・・国内だけでなく国外を起因としたもので急上昇することは多い。百年単位での返済期間ならなおのことです。そのたびに、借金の価値は下がっていくわけです。
1832
「将来世代のツケ」ってのは、実は残したほうがいいんです。子や孫どころか、曾孫や玄孫やその先まで。
島津の500万両が500万円になったように。
未来においてはさほど大した負担額にはならないわけですから。
1833
仮に、二百年前のあなたの先祖が現れ、「金がなくて死にそうだ、このままでは皆で死なねばならんかもしれん」と言い出すとします。先祖が死ねば自分も生まれません。
「いくら足りないんだ? いくらあれば死なずに済む!?」と尋ね、
「せめて百円(両)あれば・・」
と言われれば?w
1834
「やるよ」と言うでしょう?
だが、頑として受け取らなかったら?
「いや、子孫にツケは残せない。そんなことするくらいなら死んだほうがマシだ」と言い出せば?
「いいから受け取れ! このままじゃこっちが消える!」
もうすでに足元が消えかけてますよ、バック・トゥ・ザ・フューチャーみたいにw
1835
「いやでもそううまくいくとは・・・」と思うかもですが、そう行くように方向性を定めることが、ほんとうの意味での「将来世代にツケを残さない」なんです。
今こうしている間も、いやすでに、この何十年ものあいだに、実は我々の子孫は次々と消滅しているのかも、しれませんね。
1836
ああそうそう、そういえば、日本は太平洋戦争や大東亜戦争だけでなく、その前の日露戦争でも国債刷りまくって軍費にあてていましたが、実はこっちは踏み倒してません。なにげにちゃんと返済してます。
1837
ただ上記のように、戦前戦後でインフレ起こりまくったので、最小でも物価が80倍くらいになってた・・・つまり、価値が1/80になってたので、ほぼ紙切れ状態だったそうですなw
1838
まぁそう考えるとものすごいもんで、惨憺たる有様でしたが、日本は先の大戦で、アメリカ、イギリス、中国、フランス、ソ連、あとオランダ? まぁ世界の大国と年単位でやりあったわけです。
それが「できちゃう」くらいの力はあるわけですね、国債って。
1839
別に日本主催で第三次世界大戦起こそうってわけでなし、どっかの国に攻め込む予定も理由もないんだから、国防のための国債程度ならば、十分「あり」な選択だと思うんですよね。だめな理由って他になにがあるんだろ?
1840
完全人工生産が可能、2026年までに年間10万引きの育成を目標に・・・大手を振って鰻が食えるのも、そう遠くないかもしれんなぁw
mbc.co.jp/news/article/2…
1841
1842
正直、「ほなおたくさんとこの軽減税率返上しなはれや?」と言いたくなる。
給付金を「ばらまき」減税を「甘やかし」なんて言ってきたから、こんなことになる。
asahi.com/articles/DA3S1…
1843
日本の歴史をもしかして最も大きく変えた「女」は、日野富子でも春日局でも淀殿でも篤姫でも卑弥呼ですらなく、「北条政子」だ。という説もあるくらいで、「鎌倉殿」でも描かれたあの大演説が、大きな歴史のターニングポイントだったと。
1844
そういや、「炒飯はもともと、鍋についた汚れを落とすためのものだった」的な話を聞いたことがあるな。
台所用洗剤などなく、お湯で洗うことも難しかった時代、前の調理でついた油汚れを、米と卵に吸着させて取っていたと。
1845
実際、炒飯作ってみるとわかるが、米と卵って油吸うのよ。「美味しんぼ」では「卵料理作る前に、同じフライパンで味の濃い料理を作ってはいけない」的に語られたし、「ミスター味っ子」ではフライヤーの汚れを吸着させるのにご飯粒を使った。
1846
で、まぁ当たり前だが、そのまま捨てるのはもったいないし、なので一種のまかない的に食べられるようになって、そこから・・・ってものなのかもね。
現在も炒飯が大衆食の代表格のひとつなのは、そんな経緯もあるのかもね。
1848
1849
盛綱(鶴丸)・・・渡河作戦中に重傷を負うも生還・・・「誰かが助けてくれているような気がするんだ」、八重さん・・・
#鎌倉殿の13人
1850