SOW@(@sow_LIBRA11)さんの人気ツイート(新しい順)

1801
ドイツ「フランスに攻め込むよ!」 ベルギー「そーすか、まぁ俺には関係ないんで」 ドイツ「でもフランス国境ガチで固いんだよな」 ベルギー「いやだから関係ないっす」 ドイツ「だからキミのとこ通らせろ」 ベルギー「は!?」
1802
ベルギーはなぁ、第一次第二次と、戦勝国に分類されるんだが、ある意味で敗戦国よりひどい目にあってなぁ・・・そもそもこの国、二回とも「中立国」だったんだ。なのにこうなった。
1803
「中立は素晴らしい。誰も敵にしないのだから、誰からも敵にならない。これぞ素晴らしい方針!」と思ってしまうのだが、そういう幻想をグーで殴ってくるベルギーの歴史と言うな・・・
1804
まぁさすがにいくらなんでも現代なので、「民族根絶やし」はしにくいが(不可能でもない)、分断し散り散りにし、「私達は愚かだったので支配者様にご迷惑をおかけした」というネガティブを植え付け、従順なマイナス方面の意識にするくらいは、できちゃうわけですよ。
1805
ロシアはこの手の政策を帝国初期の昔から行ってきたが、特にドラスティックに手掛けたのが、やはり出てくるスターリン。二十年の間に強制移住させられた民族は40を超し、わかっているだけで350万人が無理やり土地を追われた。
1806
ちなみに「ヒストリエ」において、マケドニアに連れて行かれ奴隷にされそうになったのがスキタイ人といって、奇しくも現在のウクライナのあたりに住んでいた民族。この地の人々がスラブ人といい、後にスレイブ(奴隷)の語源となったように、いろんな皮肉を感じさせる。
1807
ちなみにこれは主人公の国が「される」のではなく、主人公の属する国マケドニアが「する」話。古代においては、戦に敗れるってのは、そういうことだったのだろうと。だから、男が命を捨てて死にものぐるいで戦う。 民族部族の存亡の危機だったから。 女子供が生きてればまだ続くからね。
1808
実際、岩明均先生の大傑作「ヒストリエ」があるのだが 、戦争が起こり、男は王族に至るまで皆殺したあと、何万という女子供を連行する行列が続くって描写があってね。
1809
古代の戦争なんかで、敗れた民族は男は皆殺しにされ、女子供は連行。女に子どもたちを育てさせる。子供は男だったら奴隷にして死ぬまで使う。女は支配民族の男との間に子を産ませ、育てさせ・・・というループを繰り返せば、三世代かからず飲み込める。
1810
ロシアが支配した地域の市民を強制的にロシア領に移動させているって話、こういうの聞くと、古来より「女子供を逃がせ、男は盾になれ」は人道主義でなく、もっと切羽詰まった話だってわかるよなぁ・・・これ要は、同化政策の第一弾なわけですよ。
1811
正直、ヴィーガンの代替食は、「ホンモノより美味くて安い」にならん限りは、絶対に勝てんと思うのよ。理屈の話でな。 ほれ、日本の食文化での成功例があるじゃろ、「がんもどき」だ。 あれは元々、雁肉の代替食、だから「もどき」なんじゃよ?
1812
んで連れてかれた拘置所で、警官が「給料安いのにやってられねぇ・・・でも年金もらうまでの辛抱なんだ・・・パトカーのガソリン代自費から出してんだぞ俺ら・・・」と逮捕者にこぼすって、もういろいろやばいだろ。
1813
今のロシアが、「戦争反対」ってプラカード持ったら逮捕されて、直接表現ではなく隠語で抗議したらそれも捕まって、「じゃあこれならどうだ!」って真っ白な無地のプラカードかかげたらそれすら逮捕されたって状態に、おかしさを感じない方がおかしいとおもってしまうのだ・・・
1814
まぁウクライナはな・・・スターリン時代に人為的な「餓死政策」されてな、一説では1450万人が餓え死にしたと言われている。欧州でも指折りの肥沃な地を持つ農業国が、人肉すら食うほど追い詰められた。 「ホロドモール」言うて、これは歴史的事実である。 >RT
1815
「ルネサンスの名画と、広告イラストを同じに語るな!」的なアレなのを見て、ミュシャが不遇の時期を過ごした理由もわかろうというものよな。 「あいつはポスター職人(広告イラスト描き)であって、芸術家じゃない」と長く言われてたとか・・・
1816
まぁ「学生時代にカード作っとけ」は定期的に言われる話なんだが、金貸し業者にとっての信頼は「借金をしたことがない」ではなく「借金をしてもちゃんと返す」なのな。カード作ったことがない人は、その信頼の積立がないので、審査が厳しくなる。
1817
桃白白って若くみえるけど、300年前のピッコロ大戦を経験した鶴仙人の弟なんで、実は291歳とけっこうな歳。 その年齢の割には、暗殺者になってまだ20年で、それまで何やってたかって言うと、サラリーマンだった。
1818
確かに、日露、日ソの歴史は、時に凄まじい地獄をもって描かれるものも多くございますが、少なくとも、日本に根づいたロシア文化まで引っこ抜くのはあまりにも違うと思うのです。 少なくとも私は、ゴンチャロフのメッセ神戸が大好物なのです。
1819
おかしな話です。ロシア帝国を倒して打ち立てられたソ連。そのソ連を嫌がって日本に来たロシア人が、ソ連を理由に追い出されたわけです。甘いお菓子の話ですが、大変苦いものでもあります。
1820
ただこの両店、どちらも創業者のロシア人は、後に経営を手放しています。なぜかっちゅうと、様々あるのですが、ゴンチャロフに関しては「ソ連が仮想敵になり、ロシア人への反感が強くなったため」と言われています。
1821
「菓子の街神戸」なんて言いますが、その中でも特に老舗の、「ゴンチャロフ」に「モロゾフ」はどちらもそういった亡命ロシア人が始めたお店がもととなっています。どちらも、関西人なら知らぬ者はいない名店です。
1822
ロシアうんぬんの話で思い出すのがね、日本の洋菓子の歴史って、ロシアが大きく関わっているんですよ。 ロシア革命の余波で、亡命してきたロシア人たちが、多く日本で洋菓子屋を営み、それが本邦に根付いたんです。
1823
そういや、ウクライナの原発が、ロシア軍の攻略目標にされた件をもって、「そら見ろ、やはり原発は危ないのだ!」と仰っていた人を見かけたが、あれ「貯水場の毒を蒔く」レベルの愚行で、「そら見ろ、やはり水道事業は危ないのだ!」とは言わんだろうって話なのよな。
1824
「あの状態の煉獄さんの命を救う方法はあるか?」という医学方面からの考察に、「医学的には完全不可能でもないが、でもその技術があの時代には・・・」と思ったのだが、いた! あの時代でも、「Kの一族」が!!! 「スーパードクターK」なら、
1825
それだけでなく、チェルノブイリの時に学んだ多くの教訓や経験を元に、震災後から様々な協力を申し出てくれていた。なので、今回福島の人たちも「なんらかの支援ができないか」と動いているそうな。 minyu-net.com/news/news/FM20…