片柳弘史(@hiroshisj)さんの人気ツイート(リツイート順)

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小さな子どもには、相手の地位や肩書、業績などはまったく関係がありません。ただ、目の前にいる人がやさしい人か、やさしくない人かの区別があるだけ。小さな子どもの前では、ただ「自分がどんな人間であるか」だけが問われるのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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「多様性を認める」とは、相手の生き方を、我慢して受け入れるということではありません。自分の生き方も、相手の生き方もそれぞれ素晴らしいと気づき、互いに学び合いながら成長してゆく。それが、「多様性を認める」ということなのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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自分がいったことを、相手がどう受け取るか。それを、こちらがコントロールすることはできません。私たちにできるのは、余計なことを口にせず、ただ自分が本当に伝えたいことだけを伝えられるよう、自分の口をコントロールすることだけです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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教会の花壇のヒマワリたち。暑さに負けず、元気いっぱいに咲いています(^^)
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山口市、亀山公園にて。斜面のあちこちで、アジサイが美しい花を咲かせています(^^)
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教会の花壇のアジサイたち。それぞれに、美しい花を咲かせています(^^)
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色づき始めた教会の紫陽花。紫と青が混じりあっています(^^)
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雨の後で一斉に開花した、教会の庭の彼岸花。年ごとに数が増えてきて、彼岸花の名所のような雰囲気が漂い始めました(^^)
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教会の花壇に咲いた、八重咲のガクアジサイ「墨田の花火」。今年はブルーが強く出ています(^^)
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天から降った雨は、大地を潤し、豊かな実りをもたらして、再び天に帰ってゆきます。私たちの命もそれと同じ。天からこの世界にやって来て、たくさんの人たちと出会い、豊かな愛の実りをもたらして、再び天に帰ってゆくのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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教会の花壇で「アンネの薔薇」が今年、最初の花を咲かせました。とてもやさしいオレンジ色です(^^)
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真締川の畔でもミモザが満開を迎えています。3月8日の「ミモザの日」に、ちょうどぴったりの開花です(^^)
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池で水浴びをしている、ときわ公園のスズメ。夏になると子どもたちが水遊びをする池です(^^)
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大きな失敗をして自分の弱さや不完全さを思い知らされたとき、私たちは、そんな弱くて不完全な自分さえゆるし、受け入れてくれる家族や仲間の愛に気づきます。自分の小ささに気づくとき、私たちは、家族や仲間の愛の大きさに気づくのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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教会の庭で、クチナシが開花を始めました。あたり一面に、甘い香りがただよっています。クチナシの花言葉は「とても幸せ」だそうです(^^)
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教会の花壇に咲いたガクアジサイ。繊細なグラデーションに魅了されます(^^)
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神さまは、私たち一人ひとりに、その人が幸せになるためにちょうどいいだけの恵みを与えてくださいました。多い、少ないを他人と比較しても意味がありません。与えられた恵みを活かしさえすれば、誰もが最高に幸せな人生を生きられるのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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神さまが私たちを導いて誰かと出会わせ、愛の絆で結んでくださったなら、それは、その人と一緒でなければ果たせない使命を与えられているということ。互いに支え合い、助け合いながら、二人で新しい未来を創り出すことができますように。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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満開を迎えたアメジストセージ。その名の通り、宝石のような美しさです(^^)
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次々と開花する、ときわ公園のスイレン。夕方になると眠るように花を閉じることから、「睡蓮」と名付けられたそうです(^^)
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「亡くなった家族に自分がしてしまったことを悔やみ、自分を責め続ける必要はありません。その方は、天国ですべての真実を知り、そうせざるを得なかったあなたの苦しさも知っておられます。幸せな姿を見せて喜んでもらうのが、何よりの償いです。」 『こころの深呼吸~気づきと癒しの言葉366』(教文館)
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小さな子どもに、地位や肩書は通用しません。子どもたちにとって偉い人とは、友だちが困っているとき、さっと助けの手を差し伸べる人。泣いている子に、自分のお菓子を分けてあげられる人。小さな子どもは、本当の偉さを知っているのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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世界を自分のものにしたいと思っている人は、たとえ全世界を手に入れても満足することはないでしょう。自分自身の中に世界があると気づいた人は、たとえわずかなものしか持っていなかったとしても、いつも満ち足りた心で生きられるでしょう。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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どこを探しても希望が見つからないときは、自分の中を探しましょう。こんな状況でも、何とか生きようとしている自分。道端の花を見て、まだほほ笑むことができる自分。友の苦しみを、黙って放っておけない自分。そこに確かな希望があります。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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どれほど口先で「愛している」と言っても、行いが伴わなければ、「だったら、私をもっと大切にしてください」と言われてしまうでしょう。誰かに愛を伝えたいなら、まず、その人を大切にすることから始めましょう。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父