片柳弘史(@hiroshisj)さんの人気ツイート(新しい順)

1976
光市、冠梅園のメジロたち。おだやかな陽射しの中で、一足早いお花見を楽しんでいます(◉Θ◉)
1977
光市、冠梅園にて。2000本の梅のあいだを、メジロたちがうれしそうに飛び回っていました。開花は始まったばかりなので、まだしばらく春の饗宴が続くでしょう(◉Θ◉)
1978
「すべての人々、信者にも信者でない人々にも同じように呼びかけたいと思います。イエスは私たちに、無思慮な暴力には、祈りと断食という武器で立ち向かうよう教えてくださいました。来週3月2日、灰の水曜日を平和のための断食の日にしようではありませんか。」フランシスコ教皇/2月23日の一般謁見
1979
「どんな戦争も、世界をこれまでよりよくすることはありません。戦争は、政治の失敗であり、人間らしさの喪失であり、悪の力に対する恥ずべき降伏、大きな痛みを伴う敗北なのです。」フランシスコ教皇 /『兄弟の皆さんへ』261 #PrayTogether #Ukraine
1980
散らかったものをあるべき場所に戻し、不要なものを処分して部屋を整理すると、部屋にゆとりが生まれます。人間の心もそれと同じ。散らかった感情をあるべき場所に戻し、不要なこだわりを処分すれば、心にゆとりが生まれるでしょう。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
1981
開花が進む、光市・冠梅園の梅。菅原道真の冠を祀っている冠天満宮に隣接して、100種類、2000本の梅が植えられています(^^)
1982
地面に降り、食べ物を探しているシジュウカラ。背中の緑色がきれいです(•ө•)
1983
開花を始めた公園の梅。このくらいの開き加減もいいですね(^^)
1984
遠くの誰かの苦しみを、自分自身の苦しみのように感じるとき、私たちの口から出る祈りは、「あの人を助けてあげてください」ではなく、「私たちを助けてください」になるでしょう。神が、苦しんでいる私たちを助けてくださいますように。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
1985
たくさんの人に注目されて咲く花も、人目につかずひっそりと咲く花も、美しさに変わりはありません。目立たないことを嘆くより、いまここに自分が生きていること自体を喜び、よりいっそう美しい花を咲かせられますように。 『やさしさの贈り物~日々に寄り添う言葉366』(教文館刊)
1986
寒さの中で、ふっくらふくらんだウグイス。ちょっと「うぐいす餅」のようです(・θ・)
1987
教会の庭のフキノトウ。とてもやさしい緑色です(^^)
1988
教会の庭のスズメたち。ときどき、寒そうに目をつぶっています(。・ө・。)
1989
開花を始めた公園の河津桜。濃いピンクの花びらが、真っ青な空に映えています(^^)
1990
大きな木は、ただそこに生えているというだけで、通りかかる人びとの心に安らぎを与えます。あるべきものが、あるべき場所にある。私たちが、自分に与えられた場所でひたむきに生きている。ただそれだけで、十分に意味があるのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
1991
これからの季節に、とかく間違われがちなメジロとウグイス。梅の枝に止まっているウグイス色の鳥はメジロで、藪の中で「ジッジッ」と鳴いている地味な色の鳥がウグイスです(◉Θ◉)
1992
スズメを観察していたら、ウグイスが飛び出してきました。松の木をよじ登って、食べ物を探しているようです(•ө•)
1993
教会の庭のスズメたち。みんなふっくら、愛らしい姿です(。・ө・。)
1994
公園で見かけたカワセミ。胸元のオレンジ色も見事です(•ө•)
1995
宇部市・ときわ公園にて。満開の梅に、メジロたちがやって来ました。うれしそうな声でさえずりながら、花の蜜を吸っています(◉Θ◉)
1996
一本の木に紅白が入り混じって咲く、ちょっとめずらしい梅の花。「思いのまま」という品種です(^^)
1997
人生の中には、生きている意味をはっきり感じるときもあれば、あまり感じないときもあります。ですが、気にする必要はありません。一生のうちにたった一つでも意味のあることがあったなら、私たちの人生には、全体として意味があるのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
1998
リンゴを食べにやって来たヒヨドリ。むしゃむしゃ食べつつ、ときおり大声で叫んでいます。メジロたちの強力なライバルです(•ө•)
1999
教会の花壇で、クロッカスが一斉に開花しました。春の訪れを告げる花です(^^)
2000
教会の庭のまんまるメジロ。風で羽毛が巻き上げられて、いっそう可愛らしい姿になりました(◉Θ◉)