片柳弘史(@hiroshisj)さんの人気ツイート(新しい順)

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教会の花壇に咲いた、サーモンピンクの薔薇の花。宮沢賢治に捧げられた「イーハトーブの風」という品種です。風に乗って、チェロの音が聞こえてきそうですね(^^)
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教会の庭で、ガクアジサイの「墨田の花火」が開花を始めました。うっすらと入ったブルーが涼しげです(^^)
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教会の庭のスズメの親子。黄色いくちばしを大きく開き、羽を小刻みにふるわせて、子スズメが食べ物をねだっています(。・ө・。)
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挑戦すれば、失敗するかもしれません。しかし、その失敗は次につながる成長の糧。恐れる必要はありません。挑戦しないであきらめれば、そこからは失敗さえも生まれません。何も生まないあきらめより、何かを生み出す挑戦を選びましょう。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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住む所があるのは当たり前。食べ物があるのは当たり前。友だちがいるのも当たり前。そうやって当たり前と思えるのは、その人がとても恵まれているということ。「当たり前」の一つひとつに感謝すれば、幸せをかみしめることができるでしょう。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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美しく色づいた、教会の庭のアジサイたち。いよいよ、アジサイのシーズンの到来です(^^)
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楽しいことが一つできなくなったら、他の楽しいことを探しましょう。御馳走を味わえないなら、外のきれいな空気を味わう。遠出できないなら、近所での出会いや発見を楽しむ。楽しいことは幾らでもあります。がっかりしている暇はありません。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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松山港から見た薄明光線。天国との間にかけられた「天使のはしご」です(^^)
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教会の庭のアジサイたち。赤と青が混じって、繊細な色の世界を作り出しています(^^)
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足が短いと悪口を言われても、人間の価値はそんなことで決まらないと思えば腹は立ちません。足が長いと褒められても、人間の価値はそんなことで決まらないと思えば思い上がりません。大切なのは、相手の価値観に巻き込まれないことです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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「なぜあの時、あんな道を選んでしまったのだろう」と、後から自分を責めても仕方がありません。そのとき、そのときで、自分にできる最善の判断をしてきたのなら、いまいるこの場所こそ、自分が本当にいるべき場所なのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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教会の花壇に咲いた、大輪の赤い薔薇。ドイツの文豪にちなんで「ゲーテ・ローズ」と名付けられた品種です(^^)
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教会の庭のアジサイたち。株によっては、もう見ごろを迎えています(^^)
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誰かの悪口をいえば、聞いた相手は、「この人は、きっと私の悪口もいうだろう」と思うでしょう。誰かの失敗を弁護すれば、「この人は、きっと私が失敗したときも守ってくれるだろう」と思うでしょう。信用は、そのようにして生まれるのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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教会の花壇のアジサイたち。日ごとに色が濃くなっていきます(^^)
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キリシタンとして知られる細川ガラシャ夫人に捧げられた、上品なピンク色の蔓薔薇「ガラシャ」。夫人の辞世の句とされる「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」が思い出されます。
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教会の花壇に咲いた「ディズニーランド・ローズ」。日ごとに色が変わっていく、とても楽しい咲き方の薔薇です(^^)
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教会の花壇に咲いた「アンネの薔薇」。世界の平和を願って祈っているようです。
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「これだけは失いたくない」という気持ちが強くなればなるほど、失うことへの恐れが強まり、心は激しくかき乱されます。「なくてもともと。いまあるだけでもありがたい」と思えば、恐れは消え、心は安らかな喜びに満たされるでしょう。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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ときわ公園のスイレン池にて。水の中から大きな蕾が顔を出し、次々に花を咲かせています(^^)
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「こんなはずではなかった」と、いちいちがっかりしていては、心が疲れてしまいます。「まあ、こんなものか」とまずは受け入れ、次に、「この状況をどうやって楽しもうか」と考える。それが、一番疲れない心の使い方でしょう。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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宇部市、ときわ公園のスイレン池にて。紅白のスイレンが、いままさに見頃です(^^)
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教会の花壇に咲いた薔薇の花。「マリリン・モンロー」という品種だそうです(^^)
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教会の庭のアジサイたち。昨日からの雨で、少し色づきが進んだようです(^^)
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誰かと一緒に旅行をしたり、食事に行ったり、何か特別なことをする幸せは、たまにしか味わえません。何も特別なことがない幸せ、その人といま一緒にいるという幸せは、いつでも味わうことができます。その幸せに気づくことができますように。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父