片柳弘史(@hiroshisj)さんの人気ツイート(いいね順)

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教会の軒先の朝顔たち。放射線状に白い筋が入った曜白朝顔が、次々と開花しています(^^)
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悪口をいわれたからといって、せっかく始めたよいことを止めるなら、それは相手の思うつぼ。何といわれても、自分がすべきこと、そうせずにいられないことを続けましょう。何より大切なのは、自分自身の行いに、自分が納得することなのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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心配事があるときこそ、いつも通りの生活を心がけましょう。生活が乱れれば、心はさらに乱れ、心が乱れれば、生活はさらに乱れるという悪循環が始まります。生活さえ崩さなければ、心は次第に整い、心配事もやがて過ぎ去ってゆくでしょう。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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努力して何かを成し遂げたとき、私たちは、努力すれば成し遂げられるだけの能力を、生まれながらに与えられていることへの感謝を忘れてしまいがち。すべてが自分の努力の成果ではありません。感謝する心を忘れないようにしましょう。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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満開を迎えた、ときわ公園のネモフィラ花壇。さわやかなブルーの花が、湖面を渡る風に揺れています(^^)
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手に入れたときの喜びは、手に入れるために費やした時間や労力に比例して大きくなります。努力してもなかなか手に入らない、そんな時間が長いほど、手に入れたときの喜びは大きくなってゆく。そう信じて、今この時を乗り越えられますように。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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誰かに悪口を言われたなら、それは、その人があなたのことを気にしている証拠。「この人は、私のことをこんなにも気にしている。なぜだろう」と考える心のゆとりがあれば、悪口を言われてもあまり腹は立たないでしょう。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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教会の花壇に咲いた「アンネの薔薇」。オレンジ色のグラデーションが見事です(^^)
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今日、2月23日は語呂合わせで「富士山の日」とのこと。以前に撮影した、富士山のきれいな写真をアップしておきます(^^)
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神を知るとは、自分は神ではないと知るということ。神を知っていると言いながら、「自分は絶対に正しい」と主張するなら、その人はまだ自分が神ではないことを知りません。神を知るとは、自分の無力さを知って謙虚になるということなのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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開花を始めた宇部市・ときわ公園のアイスランドポピー。春の喜びを歌っているようです(^^)
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公園で出会った雄のジョウビタキ。ジョウビタキのジョウは漢字では「尉」と書き、銀髪の意味だそうです。確かに、見事なシルバーヘアーですね(•ө•)
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教会の庭に、紫陽花の花手水が登場。ちょっと弱った紫陽花も、水につかって元気を取り戻します(^^)
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高すぎる目標を立て、その通りにできなければ、周りの人や自分自身を責める。それは、時間と力の無駄遣いでしかありません。自分の限界を素直に認め、みんなと力を合わせて限界を乗り越えてゆく。それが最も効率的な時間と力の使い方です。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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砂浴びを楽しんでいる公園のスズメ。桜の花びらが砂に混じっているところが風流です(。・ө・。)
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秋風にたなびく、秋吉台のススキ。花穂がふくらんで、今が見ごろです(^^)
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教会の庭に咲いた、ちょっとめずらしい紫陽花「ダンスパーティー」。花たちが、とても素敵な色のドレスで踊っています(^^)
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トラブルが続いたとき、不安に駆られてあわてたり、いらだったりすると、さらにトラブルを増やすことになりかねません。落ち着いて一つひとつ、冷静に、丁寧に対応していくのが、結局のところ一番早い解決方法なのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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教会の庭に植えられたミルトス。まるでくす玉を割るように、次々と花を咲かせています。別名「祝いの木」と呼ばれますが、その名にふさわしい咲き方です(^^)
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神戸布引ハーブ園にて。秋の花が、園内のあちこちで咲いていました。紅葉だけでなく、花もまだまだ楽しめます(^^) #神戸布引ハーブ園
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緑あふれる5月の秋吉台。隅々までハイキングコースが張り巡らされ、どこまでも歩いて行けそうです(^^)
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教会の花壇に咲いたキキョウの花。五角形の蕾が、少しずつ開いて星型になります(^^)
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見ごろを迎えた豊田町、長正司公園の藤棚。上品な紫色が、さわやかな春の風に揺れています(^^)
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「亡くなった家族に自分がしてしまったことを悔やみ、自分を責め続ける必要はありません。その方は、天国ですべての真実を知り、そうせざるを得なかったあなたの苦しさも知っておられます。幸せな姿を見せて喜んでもらうのが、何よりの償いです。」 『こころの深呼吸~気づきと癒しの言葉366』(教文館)
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どんなに厳しい修行をしても、人間は、どこまでも人間。絶えず迷い、間違いを犯し続ける弱い存在でしかありません。この世界に聖人がいるとすれば、それは、絶えず自分の間違いに気づき、それを直し続けられるほど謙虚な人のことなのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父