片柳弘史(@hiroshisj)さんの人気ツイート(いいね順)

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「どんなにたくさんの物を手に入れても、入院するとき病院に持ってゆけるのは、せいぜいキャリーバッグ一つ分の荷物だけ。天国には、それさえ持ってゆくことができません。天国に持ってゆくことができるのは、心を満たした愛だけです。」 『こころの深呼吸~気づきと癒やしの言葉366』(教文館刊)
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教会の花壇に咲いた、サーモンピンクの薔薇の花。宮沢賢治に捧げられた「イーハトーブの風」という品種です。風に乗って、チェロの音が聞こえてきそうですね(^^)
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「もっと早く始めればよかった」と嘆く必要はありません。むしろ「これまでのすべては準備だった。いま、ようやく始めるための準備が整ったのだ」と考えましょう。早すぎも、遅すぎもしません。気づいた今こそが、始めるべきときなのです。 『やさしさの贈り物~日々に寄り添う言葉366』(教文館刊)
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大輪の花を咲かせた寒牡丹。雪吊りにしっかり守られています(^^)
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教会の花壇に咲いた、上品なピンク色の薔薇「プリンセス・ド・モナコ」。朝日を浴びて、輝くような美しさです(^^)
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美祢の山里のあちこちで、梅が満開を迎えています。きっと、梅の実を取るために植えられたものでしょう(^^)
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目先のことばかり追いかけていると、小さな失敗でも、取り返しがつかない大失敗だと思い込んでしまいがち。しかし、簡単にあきらめる必要はありません。何十年と続く人生の中では、取り返しがつかないほど大きな失敗などほとんどないのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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公園で出会ったツグミ。雪の中を駆け回り、一生懸命に食べ物を探しています(•ө•)
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お寺の手水鉢に活けられた紫陽花。見るからに涼しげです(^^)
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自分に自信を持つとは、自分が手に入れたもの、地位や名誉、財産などに自信を持つということではありません。すべてを失っても変わらない自分、今ここで精いっぱい生きている自分の素晴らしさに気づき、自分を受け入れるということなのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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「誰も私の苦しみを分かってくれない」と思うと、苦しみは耐え難いものになりますが、「この人だけは私の苦しみを分かっていてくれる」と思えれば、どんな苦しみも必ず乗り越えられます。愛こそ、すべての苦しみを乗り越える力なのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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「亡くなった家族に自分がしてしまったことを悔やみ、自分を責め続ける必要はありません。その方は、天国ですべての真実を知り、そうせざるを得なかったあなたの苦しさも知っておられます。幸せな姿を見せて喜んでもらうのが、何よりの償いです。」 『こころの深呼吸~気づきと癒しの言葉366』(教文館)
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誰か聞いてくれる人がいると、心の奥に引っかかっていたけれど、これまで言葉にしたことがなかった自分の思いを、なんとか言葉にして伝えようと努力します。そのとき生まれる、自分についての新しい発見。それこそが対話の実りなのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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下関市、東行庵にて。蓮の隣で、睡蓮も可憐な花を咲かせていました。夜になると眠るように花びらを閉じる蓮というような意味で「睡蓮」だそうです(^^)
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たとえ小さな仕事でも、きっと誰かの役に立つと信じて精いっぱいに取り組むなら、そこから大きな喜びが生まれてきます。幸せを生み出すのは、与えられた仕事の大きさではなく、それに取り組む私たちの心なのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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教会のエントランスに飾られた、枝ものの啓翁桜。山形県から送られて来たものだそうです(^^)
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教会の花壇に咲いた上品な黄色の薔薇。フランスの聖女にちなんで名づけられた、「ジャンヌ・ダルク」という品種です(^^)
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「いまの自分ではダメだ。変わらなければ」と思っていると、なかなか変わることができません。「欠点だらけでも、これはこれで、かけがえのない大切な自分だ」と思い、自分自身と和解できたなら、そのとき私たちは変わり始めるのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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「人をゆるせるのは、怒りや憎しみの感情に打ち克つことができる人だけ。すぐ感情に押し流されてしまう弱い人に、人をゆるすことはできません。人をゆるすのは、弱さではなく、強さのしるしなのです。」 『こころの深呼吸~気づきと癒しの言葉366』(教文館刊)
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美しく色づいたモミジの木々。落ち葉が風に舞い始めています(^^)
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聖徳太子によって建立されたと伝えられる古刹、美祢の南原寺で枝垂れ桜が見ごろを迎えました。時の流れを越えて咲き続ける枝垂れ桜、日本の美を凝縮したような美しさです(^^)
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自分の弱さに気づくとき、そんな自分をこれまでやさしく受け入れ、忍耐強く見守っていてくれた周りの人たちの愛に気づきます。自分の弱さに気づくとき、私たちは、自分がどれだけ愛されているかに気づくのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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教会の軒先に咲いた宿根の朝顔「天上の蒼」。空の色に吸い込まれてゆくようです(^^)
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人生に、特別な意味は必要がありません。なぜなら、生きていること自体に大きな意味があるからです。自分の人生を、自分らしく、自分が生きたいように生きる。納得のゆく人生を、日ごとに作り上げていく。そのこと自体が人生の意味なのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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教会の庭で、ガクアジサイの「墨田の花火」が開花を始めました。うっすらと入ったブルーが涼しげです(^^)