片柳弘史(@hiroshisj)さんの人気ツイート(いいね順)

1951
本当にかっこいいのは、自分の夢を見つけ出し、その夢に全力で取り組んでいる人。他人の夢を真似しても仕方がありません。自分が本当にしたいこと、自分はこのために生まれてきたとさえ思えること、自分自身の夢を見つけられますように。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
1952
「ゆっくり休め」という言葉が心に響いたなら、それは心が疲れているしるし。いつもは気にならない言葉に心が反応したなら、それは心がその言葉を求めていたから。その言葉に出会えたことに感謝し、言葉の通りに行動するのがよいでしょう。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
1953
角島灯台の近くにあるハマユウの群生地。清楚な長い花びらが、さわやかな潮風に吹かれています(^^)
1954
感情が高ぶっているときに議論すれば、感情の波に押し流され、とんでもない結論に到達してしまうかもしれません。そんなときは、話をいったん打ち切って感情の流れをせき止め、感情の高ぶりがおさまるまで、しばらく待つのがよいでしょう。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
1955
教会の軒先の節分草。かわいらしい花を、次々に咲かせています(^^)
1956
教会のエントランスに飾られた、白と紫のストライプのリンドウ。新品種で「白寿」という名前だそうです。「白」は「百」に一が足りないので99歳のことですね(^^)
1957
色々なことを一度にやろうとすると、どれも中途半端になり、かえって時間を無駄にすることになりかねません。たとえ時間がかかっても、一つひとつ真剣に向かい合い、丁寧に仕上げてゆく。結局、それが最も効率的な時間の使い方なのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
1958
どんな子どもの中にも、必ずたくさんのよい種が蒔かれています。「ありのままの自分をさらけだしても大丈夫。そのまま受け入れてもらえる」と感じたとき、その種は発芽し、その子だけの才能や感性、やさしさが、のびのびと育ち始めるのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
1959
見ごろを迎えた教会の庭の蝋梅。ほんのりあまい香りを漂わせています(^^)
1960
教会の花壇に咲いた、初々しいオレンジ色の薔薇。アンネ・フランクに捧げられた「アンネの薔薇」です(^^)
1961
宇部の空に昇った4月の満月。よく見ると、周りに大きな光の輪が出ています。復活祭(春分の日の次の満月に一番近い日曜日に祝う)にふさわしい、神秘的なお月様です(^O^)
1962
荒れ果てた大地も、雨が降り、川となって流れれば、命にあふれた豊かな大地に変わります。人間の心もそれと同じ。やさしさの雨が降り注ぎ、いたわりが川となって流れるなら、どんな荒れ果てた心も、実り豊かな大地に変わるのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
1963
会話は、人間とだけするものではありません。美しい色彩や造形を通して私たちに語りかける自然の声に耳を傾け、感動によってそれにこたえるのも立派な会話。自然と会話し、自然と友になることで、孤独は豊かに満たされてゆくでしょう。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
1964
教会の花壇のネモフィラたち。まるで空を映し出したような、さわやかなブルーに癒やされます(^o^)
1965
大通りに面した、教会の花壇のコスモスたち。通りかかる人たちの目を楽しませています(^^)
1966
世界を自分のものにしたいと思っている人は、たとえ全世界を手に入れても満足することはないでしょう。自分自身の中に世界があると気づいた人は、たとえわずかなものしか持っていなかったとしても、いつも満ち足りた心で生きられるでしょう。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
1967
「自分の人生には確かに意味があった。生まれてきてよかった」と心の底から思えたならば、その一瞬には永遠の価値があります。人生の最後にそう思うことができたなら、その人の命は、確かに永遠に続くものだといってよいでしょう。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
1968
世界に何が起こっているか、人が自分についてどういっているかをいったん脇に置き、自分にいま何が起こっているか、自分が自分をどう思っているかだけを感じる時間を、1日の中に作りましょう。そこから何か、新しいことが始まるはずです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
1969
「わずか2%の嫌なことのために、残り98%の恵みを台無しにする必要はありません。嫌なことを思い返して憎しみを募らせるより、楽しかったことを思い出して感謝しましょう。憎しみではなく、喜びの中で1日を終わりましょう。」 『こころの深呼吸~気づきと癒しの言葉366』(教文館刊)
1970
人間は、言葉よりも、表情や行動でより多くのことを語るもの。相手の言葉を聞く前に、まずは相手をよく見ましょう。よく見る人は、ただ聞くだけの人より何倍も多くのことを聞き取ることができるのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
1971
道端に咲いた菜の花。心を温めてくれるやさしい黄色です(^o^)
1972
計画を立てるのはよいことですが、「この通りに進まなければだめ」と思い込むのはよくありません。計画通り進まないことに腹を立てても、よい結果は出ないからです。現実を計画に合わせることより、計画を現実に合わせることを考えましょう。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
1973
ストレスが溜まっているときは、言葉が過激になりがち。「好みじゃない」が「大嫌い」になり、「あんなものない方がまし」とエスカレートするのです。そんなときは、相手の言葉を半分にして聞きましょう。言葉の半分はストレスなのです。 『やさしさの贈り物~日々に寄り添う言葉366』(教文館刊)
1974
祈るとは、何があっても最後まで希望を捨てず、何かを願い続けるということ。願いが叶うとは、最後まで希望を捨てなければ、道は必ず開けるということ。一見無力な祈りこそ、実は、不可能を可能にする力、道を切り開く力なのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
1975
教会の軒先に咲いた、さわやかなブルー系の紫陽花。「コンペイトウスマイル」という、「コンペイトウ」の改良品種だそうです(^^)