なぜ、月曜日のたわわの新聞広告や、温泉むすめの時など、創作物のなかでの性的な表現や子どもに見えるキャラの表現には文句を言えるのに、ウクライナ情勢でのロシア軍による性的暴力や権力者、社会的地位ある人の性犯罪には黙るのか。絵を叩いて自己満足したいだけではないか?
一部の人「TPO」って叫ぶけど、以前は駅や車内広告など、一応不特定多数の目につく場所での萌え絵への批判だったが、今は買いたい人が買って読む新聞広告やアクセスして読む必要があるウェブ漫画など、明らかに対象が拡大していて、TPOの暴走を感じる。
かつての知り合いから届いた怪文書 性表現規制に反対したら「あなたは精神科に行くのと刑務所に入るのどちらがいい?」と言われる こんな事を言われながらの反対活動は辛すぎるが、性表現規制反対をしてくれる人はまだ少ないので、今後も動きますよ
なんか「オタクはいつでも辞められることだから差別とか言うな」って言う人、たまに見かけるけど、宮崎事件の頃のオタク弾圧とか、ゼロ年代のマスコミの反オタク特集連発、国会でエロゲ法規制が議題になってた時期があるなどの歴史を知らないから、こういうことを言えるんだろうな。
こういった表現は差別的だ、時代錯誤だと言うのは自由だと思いますが、こういったものが好きな人のなかには、女性の方もいます 全員が全員、不気味な笑顔の男性であるとは限りませんよ 性的消費、差別的と毎回おっしゃる方がいますが、その言葉は本来とても重い言葉です、気軽に使うべきではない
また、このようなイラストを否定しても、現実における性差別などの課題は解決しません。創作物を否定することで、そのような差別を許さない風潮を作ることが差別をなくす近道ではないのです。それよりも「架空と現実の区別をきちんとさせる教育」の方が大切です。作品を叩いても誰も笑顔になりません
今度は「月曜日のたわわ」の全面広告が批判されているようですが、理由が本当に良くないです 「胸が大きい」ということが「不適切」というのであれば「現実でそういった体格である人」に対しても間接的に「不適切」と言っているようなものです 「私はこれが嫌い」で済む話を肥大化させないで下さい twitter.com/comic_natalie/…
人権というのは「非常に困難な状況にある人の特権や救済請求権」ではなく「人として生まれた全ての者に生まれながらとしてある権利」なんですよ ですから、趣向や思想が自分と違うから、気に食わないからという理由で「人権」は消えません。そんな理由で消せると思ってるなら、独裁者の素質あります
普段、人権や多様性について自信満々に語っている人々に「それなら、アニオタや気持ち悪い人にも人権があるよね」と言ったら、一部の方から「そんな人に人権 は ない」みたいな回答を真顔でされるの、結構な怪談では?
温泉むすめに関連して、タバコのポイ捨て画像が「ファンによるものだ」という主張とともに展開されたが、この画像を投稿した方はアカウントを削除し、捏造であることも複数の証拠とともに発覚した。この件について、言いたい放題にオタクを叩いた皆様は、どうお思いなのか。お聞きしたい。
規制派について思うこと プリキュア抱き枕 「添い寝なんて性的消費」 ↑何を考えてるんですか? ラブライブの件 「スカートの影が、シワが~」 ↑細かいところ、よく見てるなぁ 松戸市の件 「はい、これ下着見えてます!性的消費です!」 ↑?? 結論 規制派の方がエロ目線
昨日、午後、暇だったので某オタク系の店に行った。それでフィギュアとか見てたわけですが、私がゲーム系のフィギュア探してる横でまどマギとか艦これとかごちうさのフィギュア見ながら、女性の方や家族連れの方が「かわいい」「○○ちゃんいるんだ!」ってめっちゃ笑顔だった まぁ、これが現実
質問 「ぶっちゃけ、私腹を肥やすために性表現規制してる人がいるって噂はマジですか?」 回答 「マジ、少し前だが差別的な表現や不適切な表現がイラストにないかを審査する機関を作りたいと言ってる規制派がいた。萌え絵利権を得たいと思ってる人は多かれ少なかれ、いるにはいると考えられます」
なぜ私が「非実在児ポ」を警戒するかというと「対象が曖昧だから」なんですよね。つまり、その時の政権や担当部署の「恣意的判断」や警察などの「解釈」によって、何が取り締まられるかわからないため、とんでもないレベルの「萎縮」が絵師や企業に発生して自主規制+法規制という最悪の事態になるから
個人的な事で失礼しますが、かつての表現規制反対派のネット仲間の方から突然DMで「あなたの好きなものは児ポだ!ゲームをやめよう」と言われ「犯罪者になりますよ」と脅されましたので、適切な対応をしました。 一応、そこそこ有名な方だったので衝撃が大きいです。残念です。
どうやら「子ども時代にマンガやゲームに夢中になった結果、なりたい職業になれず、自暴自棄になって、今までお世話になったゲームやマンガを逆に見下し、叩く」という令和の怪談があるらしい これは単純に自己実現できなかった理由をコンテンツにぶつけてるだけで、何の解決にもならないんだよな
なんで、私は何度叩かれても表現規制反対派を辞めないかというと、中学生時代はいじめが酷くてネトゲのフレンドに救われ、高校時代は勉強が大変過ぎたけど、萌え絵に癒されてたからですね。要するに「マンガ・アニメ・ゲーム」に相当な恩があるからです。
ぶっちゃけ、サイゼリヤデートのイラストの件、あのイラスト一枚から、描かれてもいない男性像を勝手に作り上げ、そこから絵師やファンを叩き、多くの人を巻き込む光景は、かなり異様なものだと思う。
「子どもがゲームにハマりすぎるから時間規制します!」というのは、少なくとも国や行政が率先して進めることではなく、それをするとすれば「各家庭」なんだよな。子どものゲーム時間なんて本来は家庭教育の問題で、国や国際機関が進んで規制するものではないはずだよ。
本来、多様性とは「みんな違ってみんないい」もしくは「みんな違ってどうでもいい」の精神であって、それを統一しようとすれば、問題しか起きないのは明白である。 それを力で押さえれば良いと考えるなら、それ自由主義たるリベラルとは真逆の思想なり。 長文、失礼しましたm(_ _)m
世の中には美少女になりたい男性や男性になりたい女性、人以外の存在になりたい男女、キャラやアバター、モノと結婚する人…、いろんな多様性があり、いろんな人生がある それを否定し、押さえつけ、異を唱えれば聖なる排除を行うならば、それは平和ではなく争いにしかならない 誠に闇深い行いなり
最後に ディストピアへの道は善意と正義から構成される。真の悪とは、善のなかに潜んでいる。
さらに続くと 私たちの方針に従わないなら差別主義者として扱う ↓ 多様性()に配慮した表現を! ↓ 多様性を守ろう (ただし、何が多様性かは一部の人が決める) ↓ 従わないと社会的に終わる (失職、懲戒処分、社会的制裁) ↓ 表面上だけは美しくなる ↓ 多様性っていいよね? (拒否権なし)
表現規制の進み方 エロ絵は悪いものだ!規制しろ ↓ 萌えは女性差別に繋がる、規制せよ ↓ 萌え絵を描く女性は男性に媚びているのだ(+厳しい萌え絵規制要求) ↓ こうした表現は儲からない、許されないという合意を! ↓ 私たちの方針に従え(今ここ)
「悪影響あるもの」や「不健全なもの」が「規制・禁止」されても、困るのはどうせオタクだけって思ってる人もいるけど、オタク向けは「規制のきっかけ」にされやすいというだけで一般大衆が好きなものは無事とは限らない。世界でも、ドラマ、小説、銅像、美術品、いろんなものが規制されてますが?