資料など 性的搾取の定義 内閣府のホームページです こちらに、国連の性的搾取の定義に関する文章があります。これに基づくと、アニメや漫画などの所謂「二次元」は、性的搾取に含まれないことがわかると思います。 cao.go.jp/pko/pko_j/orga…
性的搾取だと指摘されたら怖くなるでしょうが、ここで要求に応じて削除をすべきではありません。幸いにも、SNSには、そうした被害を受けた絵師を支援したいという人もいます。創作文化の自滅を望む人ではなく、ファンの方を向いてあげて下さい。これは長期的に見れば文化を守ることに繋がります
少し前に、一部で「社会的合意を形成」という言葉が出ました。これは「性的な絵などは儲からない、世に出してはいけないという合意を作り、クリエイター自ら表現を辞めさせる」という仕組みです。これは表現の法規制に頼らない表現規制であり、法規制などの手続きを介さない卑怯な手法です 続く
なぜ「性的搾取だから消せ」という声に負けてはいけないのか。その理由は簡単です。SNSで絵にジェンダー的なクレームをつけて削除させようとする人の目的の根底にあるものは「そういった絵を描くと怒られる」という「恐怖の植え付け」だからです。そして、あなたの筆折りを期待していんです。 続く
自分たちがやっていることは、本当は仕事を奪う、無くすという危険行為なのに、それに適当な理由(反差別など)を付けて「正義」になっていた。ただ、それだけだったと言われても仕方ないでしょ。そうじゃなかったら、なんであそこまでAV関係者を見下せるのか、ただの絵を責められるのか
もう、正直な話、所謂「規制派」のなかには女性のためでも、人権のためでもなく、本音は「AVなんて仕事は悪いものだから無くしてしまえ」「オタクなんて気持ち悪いから、こんなオタクが喜ぶものは消してしまえ」という「支配欲」と「狂った正義」で動いていた層がいると、言わざるを得ない状況だよなぁ
まぁ、それで「そういう絵を描いたら叩かれる」という「恐怖」の植え付けも目的だろうから、負けないでほしいです。
なぜ胸の大きなキャラのイラストを描いただけの普通の人が「性的搾取だ」などの酷いことを言われる必要があるのか。
今、私が一番怖いと感じていることはAVを悪い仕事だと批判し、自らのシステムに組み込もうとする人や、性的な漫画や作品を取り締まることをする人々が社会一般的には「正義」と認識され、彼らの行動を非難する「一般人」が少ないことである。
個人的には「ポルノを取り締まる」というポルノにハマってる人がいると思う。エロで45るか、正義の味方になった快感で45るかの違い
2014年の児ポ法改正のとき、3号ポルノの問題で「水着」はどこまでよいかという話になったことがあった。このときはまだ「服装」への批判だったが、最近は宇崎ちゃん問題でわかるように「体格」まで批判対象にされている。確実に「許されない表現」のボーダーラインは下がってるよ。
今の世の中、ポリコレとかの影響で「多様性」とか言ってるのに「許される多様性」と「許されない多様性」を分類してる感じで「多様性って何?」って思ってる。自分が嫌いな多様性は認められないような人が決めた多様性なんかになんの価値があんのかね…
個人的には、表現規制をしたい人もマンガやアニメを絶滅させたいわけではないと思ってる。ただ、自分たちが支配しやすいように、規制派の意向に合うように、創作文化というもののアイデンティティをめちゃくちゃにされるというのは確実に起きるよ。
話の面白さ、作品としての完成度よりも、政治的に正しいか、ポリコレに沿ったものかで判断されるなんて、こんなんエンタメじゃないやろ… twitter.com/nokoberuri/sta…
最近は、街中でも、性的っぽく見える広告や美少女作品の広告は減って、秋葉原の広告も大人しくなった。テレビでも、そういうシーンや発言は10年前と比べても減ったけど、それで女性の権利は良くなったのか?子どもを狙った犯罪は減り、平等な社会になったのか?これは、何度も聞きたい。
何というか「オタク気持ち悪い」「こういうの嫌い」って言うとオタクや表自に反撃されるから「反差別」とか「フェミニズム」を利用して、反撃されにくいようにしてる感がある
子どもに見えるキャラは規制するって方向が海外では見られるけど「かわいいから好き」すら言っちゃいけないのかよって思う。なんで、実在してるわけでもない「絵の子ども」に「かわいい」ということが悪いことみたいに扱われる必要があるのか、わからん
オタクも「いい子ちゃん」だけではなく、変な規制が来たら、はっきり反論、抗議、主張をしていかないと負けると思うよ。これから先は「声の大きさ」も大事だから、目立たないようにこっそりしているだけではダメなんだよ
「自主規制して弁えていれば強力な規制は避けられる」と思ってる人もいるだろうが、表現規制の方法が多様化した現代では、自主規制していい子ちゃんになっていると、周囲からジワジワとゆっくり規制されていくからな。気が付いた頃には手遅れになる。今の時代に必要なのは「NO」をはっきり言えること
まぁ、ここら辺の話は現役の絵師さんとか、クリエイターさんに、知り合いがいるなら、こっそり聞いてみるといいよ。すでに自主規制がどれだけ厳しいか、わかるから
だから自主規制は怖いんだ 例え誰かに強制されたり、世論に逆らえず泣きながらした自主規制も「勝手にやった」にされてしまうからね 強制された自主規制の存在を考えられる人はまだまだ少ないんだよ―
自主規制の最も恐ろしい点は、例え誰かに強制されたり、仕方なくやった自主規制も「自主的にやった」ことにできてしまうことだ。つまり、規制派にとっては自主規制に誘導すれば、自分の手を汚さずに規制できるから、とっても楽なんだ
政治家に頼らなくても「こういう作品はダメだ」という「社会的合意」を作って、クリエイターや企業に「そういう作品出したら批判するよ」という、無言の圧力をかけられる。これ、本来ならチートだよ。でも、それができるから規制派はヤバいの。政治で勝っても社会で負けたら結局規制されますからね
なんで、規制派を見くびってはならないかというと、彼らは法律で規制をかける力だけでなく、社会や世論に対しても訴えることができる。法規制ができなくても、社会でそうしたものを許さない空気を作り、自然的に表現を潰すことができる。政治に頼らなくてもできてしまうんだよ。それがヤバいのよ。
ひどい話だけど、彼らAV潰して満足するわけではなさそうだし、いずれは一般のアニメやゲームも狙ってくると思っていた方がいいな。日本のオタク系文化は、のほほんとしてるけど、実はいろんな方面、しかも国内外から規制を狙われてるという「自覚」は持ってほしいよね。