一方、同性同士の神前結婚となると話はまた違ってくるのだ。神道における婚姻というのは氏と氏の結びつきなのだ。異なる家の子が神様に夫婦として認めてもらい、結びつき、“子孫繁栄”をお願いする神事なのだ。 ここで、どんな神職も頭を抱えるのだ。
神前式は勿論、神様の前で行うものだけれど、それだけではなく様々な儀式や道具に夫婦が仲良くしてほしいとか、子孫繁栄の願いが込められているのだ。それを全部同性婚用に誂えるというのは土台無理な話だし、かと言って宗教性を捨てるのは論外なのだ。
現代の結婚式は家の繁栄の為というより、個人の儀礼として行われている場合が多いのだ。同性愛も認められつつあるし、パートナーとして親族知人に普通に紹介できるような社会が近付いているのだ。その中で好きな人の晴れ姿をみたい。結婚式を挙げて社会的にも認められたいと思う気持ちは当たり前なのだ
なんでメスのイチョウも植わってるんですかねと上司に聞いてみたら 「いざという時の非常食だぞ。どんぐりとか銀杏は乾燥させれば日持ちするから、災害とか、飢饉の時でもストックしておいて神社に避難すれば何かしら食えるようにしといた名残だよ」 と言っていたので本当に古の知恵だったのだ。
古代日本で同性婚という文化はアライさんが見た限り無かったように思うのだ。それは同性愛が公然と認められていて、誰かに周知する必要がなかったのかもしれないし、そもそも子孫繁栄を願う神事だから必要無いと思われていたのかもなのだ。
狛犬が家まで着いてきて困る #実際に言われたクレーム晒す
そこでまた本題に戻ってくるのだ。アライさん達は頭を抱えるのだ。「子孫繁栄…神様にどう説明しよう…」と。
突然「穢れ」という概念について語り始めるのだ。内容が内容なので突然不快な表現が出てきてもご容赦して欲しいのだ。
ちなみに神饌に纏わるトラブルは結構あって、今まで聞いた中で一番ヤバいなと思ったのは川辺の神社で奉納された鯉を神饌としてあげたら、例大祭中に息を吹き返して他のお供え物をなぎ倒しながら鯉がご神前を暴れまくった話なのだ…。
地鎮祭帰りの車内 アライ「先輩……」 先輩「お前も…気付いたか…」 ア&先「現場に神様置いてきた」 to be continued #本当にあったアライさんの怖い話なのだ
おしまいなのだ!尻切れトンボなのは許して欲しいのだ〜!
人が来てもらうこと自体が神社存続のために必要なことなのに、なぜダメだと思うのだ………
神幸祭の進行速度を決めるのは宮司じゃなくて馬のイラつき具合なのだ。「今年は行列凄く早くなかった??」って言われた年は、御神馬のご機嫌がすこぶる悪くて、アライさんの背後でアスファルトに蹄をガンガンやってせっついてきたのだ。死ぬかと思ったのだ。
夏祭りの季節なのだ。今年は屋台が出ないけど、お祭りの日に必ずあるのは境内裏手でロマンス(柔らか表現)するカップルなのだ。喧騒から離れてしっぽりするのは青春なのだよね。 ただ、監視カメラがあるので神様だけでなく神職にも見えちゃうのだ…やめてねなのだ…
アライ「お祭り用のお塩買ってきて欲しいのだ!」 後輩「なんでも良いですか?」 アライ「なんでも良いのだ!」 数分後 後輩「はい!」(さらさら食卓ソルト) アライ「…」 翌日早朝 アライ「盛り塩が…盛り塩が作れないのだ……さらさらなのだ……」
ちなみに今まで一番トンチキだったのが、自称卑弥呼の生まれ変わりを名乗る方が信者を引き連れて「ここに神はいない!!!!真の神を信じるものは私について来るがいい!!!」というようなことを叫びながら参道で凱旋していたことなのだ。
実際に上司達と社務所で全自動お祓いマシーンを作動させて転げ回りながら爆笑してたら巫女長にめちゃくちゃ怒られて全員で正座したことがあるのだ。
先日の境内摂末社前 偉そうな女性「これで神界への門が正常に開かれました」 若い女性「ほんとだ…雰囲気全然違う…」 若い女性2「すごい…」 影で見ていたアライさん「(物騒なもん開かんどいて…)」
浦安の舞装束はこれなのだ 全部一本の紐で止めてるので、紐が取れたらエライことになるのだ…
神様へのお供えものはニラやニンニク、玉葱とかの匂いも強いものは基本的に上げないのだけれど、そういうのが特産の地域だと「今年もいっぱい取れたので見て見て!」的なノリで普通にお供えすることもあるので結構おおらかなのだ。
神社を存続するのにお金がかからないと思っている方は多いのだ。昔からそのままあるのだから、何もしなくてもそのままあると思っているのかもなのだ。 実際は維持管理する人間やお金があるから残っているわけで…
匂いを燻らすって日本語おかしいから幼稚園からやり直してくるのだ
宗教を信仰するということは「なにか」見られていると意識する事なのだ。だから海外(何処を指すかは場合による)では宗教を信仰していないというということは「何にも見られていない人」として扱われる場合もあるのだ。つまり、罪を犯すことに抵抗がない人ある意味で「無敵の人」と思われちゃうのだ。
参拝者「最近天井から子供の悲鳴が聞こえて…」 アライ「こわい」 参拝者「飛び跳ねるような足音とかもして…」 アライ「………すごくこわい」 参拝者「天井から茶色いシミが…」 アライ「アッ!それハクビシンなのだ!!」
コロナウイルスに伴って、観光メインの大社は参拝客が減少しれるけど、逆に地域の氏神神社の参拝者は増加するという逆転現象が起こってるのだ…