76
#カムカム は「伏線」というより、「長い長い人生を見ていると、こういうことあるよね」とごく自然に過去と現在が繋がって、見ている側もスッと腑に落ちることが多い。最近は何でも「伏線」と言いがちだが、良いドラマは川の流れに浮き沈み、現れては消える木の葉のように、物事の繋がりに無理がない。
77
三浦義澄の父・義明が居城の衣笠城を枕に討死したのは89歳のとき。これにより三浦一族が生き残り、頼朝を支えたことから、十七回忌の法要の席上、「(義明の)身は滅んでも今日も生き続けている」と頼朝が言ったことから、義明は享年の89歳に17回忌の分を足して、106歳まで生きたとされた。#鎌倉殿の13人
78
和田義盛がヒヨドリと思って捕まえてきたのは義円によってツグミであると判明する。だが、これツグミはツグミでもトラツグミ、別名は鵺(ヌエ)。ヌエは鳴き声が物悲しく人の泣き声に似るので、古歌で「片恋」や「恨泣く」の枕詞に使われた。義時の片想いと景親や佐竹義政らの恨み泣きか。
#鎌倉殿の13人
79
平安時代の女性は、裳着の後は眉毛を剃るあるいは抜いたあとに墨で眉を書くようになる(引眉)。これはある程度身分が上の女性にみられる風習。ここで巴御前が引眉せず眉毛濃いままなのは、身分の低さというより、手を加えていない神憑った力の持ち主という意味の表れなのかもしれない。#鎌倉殿の13人
80
由良先輩の「日本ではな」の意味を教えてくれる記事。小柄であったことから航空大学校への進学をあきらめて立教大学に進学、日本では叶えられなかったパイロットの夢のために、アメリカに留学した方のお話です。
#舞いあがれ
rikkyo.ac.jp/closeup/alumni…
81
82
『吾妻鏡』に出てくるけど、この叛乱以外では今ひとつ実態がつかめない泉親衡。その隙間を上手く突いて、源仲章が「親衡を騙り、御家人たちやその子弟に謀反を唆す」というミステリーのような展開に仕立てる。こういうのをサラッと入れてくるあたり、三谷幸喜さんやっぱり恐るべし!
#鎌倉殿の13人
83
服部半蔵が初陣で伊賀の忍びを率いて、宇土(上ノ郷)城攻めで功を立て、家康から槍を賜ったという話と、松井忠次(松平康親)を大将として鵜殿長持(長照の間違い?)の上ノ郷城を攻撃、甲賀の伴与七郎ら忍びを用いて放火をさせ攪乱、夜襲を成功させたという話を上手くミックスさせたのね。
#どうする家康
84
和田義盛を半ば騙し討にして、義時が「鎌倉殿に取り入ろうとするものの末路」とのたまう。しかし、戰場を去るときの義時の泣きそうな顔。内心は義盛を討ちたくはなかったのだろう。己を頼朝の代わりとして、黒い部分は鎌倉殿には求めない。全てを飲み込もうと必死なのだ。
#鎌倉殿の13人
85
九条道家の三男・三寅(みとら)。幼名は寅年・寅月・寅刻に誕生したため。両親共に源義朝の娘・坊門姫の孫にあたる。#鎌倉殿の13人
九条良経
┣━━道家
一条能保┏━娘 ┃
┣━━┫ ┣━三寅(頼経)
坊門姫 ┗━全子 ┃
┣━━掄子
西園寺公経
86
田中家は多分こんな系図なんじゃないかしら?#カムカム
舞踊の
初代 ┏━田中━━ 夫の田中
こわもての ┃ ┣━ 一恵
田中┫ 野田一子
┃二代目
┃こわもての アフロの
┗━ 田中 ━ 田中
87
『吾妻鏡』には、静御前が鶴岡八幡宮で舞ったときに「吉野山峰の白雪…」や「しづやしづしづのおだまき…」と歌ったことが記されている。これはそれぞれ壬生忠岑と『伊勢物語』の古歌を本歌取りしたもので、これを即興的に吟じたのなら、それだけの教養を持っていたということよね。
#鎌倉殿の13人
88
蹴鞠の後の宴で、酔っぱらった平知康が北条時連に「五郎は容姿といい、行いといい、抜群なのに名が品がない。時連の連は銭を貫くの『つら』だろう。早く名を変えた方がよい。将軍様、改名をお命じください」と言った。(『吾妻鏡』建仁二年六月廿五日条)その後、時連は名を時房に改める。
#鎌倉殿の13人
89
『南総里見八犬伝』は曲亭馬琴の著作。文化11(1814)年からスタートして、28年かけて天保13(1842)年に完結した全98巻の物語。寿恵子にとっては40〜50年前の作品を愛し、「現八と信乃、尊い!」と言っているので、現代のオタクとやっていることは対して変わらないのよ。
#朝ドラらんまん
90
91
歩き巫女。いずれの神社に属せず、諸国を歩き、ゆく先々で乞われれば祈祷や口寄せ、占いなどを行っていた遊行の巫女。中には私娼として春をひさぐものもあった。憑依型の俳優と呼ばれる大竹しのぶさんに歩き巫女を演じさせるとは、三谷幸喜さんもお人が悪い。
#鎌倉殿の13人
92
土屋長吉が一揆側に加担しながら、家康の危機には身を挺してこれを助ける。これは家康が勝鬘寺攻めで被弾した話と、『徳川実紀』に見える、上和田砦に攻め込んだ一揆方に属していた長吉(重治)が、主君である松平方の危機に意を翻して、一揆方と戦い討死した逸話を合わせたんだね。
#どうする家康
93
「木曽義仲が平氏と通じているという話もございます」
先週、義仲が言っていたよね。
「噂とは、流すものに都合よくできている。惑わされてはいかん。」
そういうことだよね。
「真意を確かめねば」
といいだす御家人たちのほうがよく分かっている。
#鎌倉殿の13人
94
95
「噂とは、流すものに都合よくできている。惑わされてはいかん。」
この木曽義仲の言葉。心して聞かねばなりませんね。誰が言ったか、何と言ったか。よくよく見極めねば。それにしても、この義仲の信用度、あり得んほどいい漢だな。#鎌倉殿の13人
96
残されるのが問題なら、男女関係なく「少なめできます」を提供すればいい。申し出るまで料理の量や質を変更してはダメだと言うこと。女性だから減らす、女性だから大きさを変える、は気をきかせているようでただの偏見ですからね。食べたい人に食べたいものを適正に提供するようにしなくちゃ。
97
比企尼、善哉に呪いをかけた。
「北条は許してはならぬ」
頼家も平賀朝雅も「災いの種」だが、比企尼が善哉に囁いたこれが本当の「災いの種」だったのね。
#鎌倉殿の13人
98
どうやら現在歌舞伎座で禁止されている「大向う・掛け声」をやってしまった方がいるらしい。「この演目では掛け声が必須」と言っているが、そういう決まり事を重視するのに、歌舞伎座側が決めた「掛け声禁止」を守れないのはどういう了簡なのか。粋人を気取るなら、まず人を不快にさせないことだ。
99
曾我兄弟の事件より2ヶ月後、建久4年8月、頼朝の不興を買った範頼は弁明のため起請文を提出する。だが大江広元に「起請文で『源(範頼)』を称するのは分を過ぎている」と難癖をつけられ狼狽したという。広元は鎌倉の安定のため、危うい(または利用されそうな)人物は排除していったのね。
#鎌倉殿の13人
100
『#べらぼう』 蔦重来た! 描くのは #森下佳子 さん!夢のような大河だ。蔦屋重三郎出るなら、取り巻く人物は綺羅星のごとく。曲亭馬琴、山東京伝、十返舎一九、柳亭種彦、大田南畝、恋川春町、東洲斎写楽、歌川広重、渓斎英泉、それに田沼意次、松平定信などなど。楽しみでならねぇ! twitter.com/nhk_dramas/sta…