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少しでも政治(的なこと)に関心を向けようとすると、「いいから学校の成績を少しでも上げて良い大学に行って良い企業に入って自分の身と家庭を第一に守るのだ」と日本中で子どもたちが親から言われ続けていた時代だった。
その裏にはこういう含意があったのだ。
「自分の身を第一に守れ。なぜなら…
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「お前たちは自分の身を守れ。なぜなら、社会はあなたを守らないから。(なぜなら、私たち親がそういう社会であることを選択してそういう社会を作ってしまったから)」
親たちは、言葉にしなかったけど、自分たちが何を選択してどういう社会を作ったのかを、意識下でわかっていたのだと、今はわかる。
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社会を「群れ」と考えたなら、弱い個体から順に死んでいく。無心に労働することで群れ全体にお金と食べ物が好循環するならば死ぬ個体も少なくなるだろう。それでも死ぬ個体はゼロではないけど目をつぶり、ウチの子どもは死なない大多数の一人であってくれ。
これが戦後日本の大雑把な社会デザイン。
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「戦後日本」はご承知のとおり80年代くらいまでは上手く行ったように見えてて、そりゃそうだ、人口増えまくり労働しまくりお金回りまくりの上昇カーブオンリーだったもの。
人口が減って、年寄りが若者を食い潰すようになった現在の惨状は誰だって予想できた。
そして「政治」のことを再考しなきゃと、
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「政治」のことを再考しなきゃという局面になった時に古い物置きから持ち出されてきた家訓が「政治的なことは言うな、考えるな」だった。
私たちはもう「政治」とは何かを忘れて「政治的なこと」という字面だけを使っている。
政治? 難しいこたないよ。
ごく大雑把に、「政治」とは何かといえば、
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「政治」とは、「集めた税金の使いかたを決めること」。
ほとんどそれ以上でもそれ以下でもない。
(もう少しだけ格好良く言うなら「富の再分配」ね)
だから政治のこと考える、口を出す、というのは、
「おい、それ俺の金やねんけど、わかってる?どう使うん?」
ということに尽きる。
だから逆に、
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逆に、政治の話をするな考えるな、と言われるのは、
「お前、自分が預けてる金のことを気にしてあれこれ言うのやめろ」
と言われているに等しい。
その間に集まった金は強くなる。
1万円は百個の百円ではない。掛け算で強くなる。
自由と命と生活を、誰だかわからん相手に委ねちゃってることになる。
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「政治的な話をするな(政治的な話はダサい)」「自分のことだけしてろ」と言ってくる手合いには気をつけろ。
「政治的な話をするな」というメッセージこそが、そのメッセージを発してくる者こそが、もっとも政治的なメッセージで、もっとも政治的な手合いなんだ。
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だから、そのうえで、
「政治的なことは言わないようにしてますー」
という態度はつまり、
「自分は、自分の生活や生命の安全のコントロール権を放棄してまーす」
と表明していることになります。
それは、まあ、適当な表現を探すなら、「馬鹿」とか「阿呆」とか「盆暗」とかですよね。
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「いくらなんでも、こんな重大な局面で、国が自分たち(国民)を裏切ったり騙したりするわけがない」…って、11年前、福島原発が爆発した時に、それまで普段はひときわ理性的で分別があるように言葉を発していた人たちも、揃って口にしましたね。 twitter.com/zoe_e14/status…
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これは時給(パート?アルバイト?)の最低賃金規定かと思うんだけど、月給と称して雇用しておいて残業手当を付けていないなどとなるとさらに酷いのではないだろうか?
近年リアルで知っているそういうケースを思い出して計算してみたら、時給換算で350円〜400円とか、あります、ありました。 twitter.com/shiikazuo/stat…
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日本映画って、どうしてこんなに頻繁に、人物が金切り声で絶叫するんですかね?
予告編からしてそうで、そこで観る気がかなり削がれるんだけど、作っている人たちはどう考えているのだろう。
絶叫が何回以上ないと脚本が通らない、とかの規則でもあるのだろうか。
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ひとつ思い至ったのは、カメラを手にする側が、激情した被写体を収めないと「人間のドラマを描け(たつもりになれ)ない」心性があるのでは?と。
ドラマは人の感情の相互作用の論理的な組み合わせで出来上がるものだけど、その訓練不足が、「激して叫ぶ人を撮ればドラマ」、の短絡を招くのでは?
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わかりやすい盛り上がりを(無理にでも)設定しないとドラマを描けているように見えない、あるいは見てもらえない。
これフィクションのドラマだけじゃなく、ノンフィクション、ドキュメンタリーにも蔓延ってる。「やらせ」とも通じると思うんだけど、自分も何度かTV媒体に付き合って辟易しました。
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現実には、短い取材中にそうそうあり得ないハプニングやピンチや盛り上がりや葛藤や解決や大団円を、カメラを持った側が求めてくるんですよね。あるいはあとで編集やナレーションで捏造する。
ハナシ飛んじゃうな。いいや。
去年庵野さんのエヴァ制作のNHK?のドキュメントとかあったじゃん、
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カメラ持った取材者が、何か面白いことないかと庵野さんだけ追い続けるのにシビレを切らせた庵野さんが取材スタッフ呼び寄せて
「僕だけ撮っても何も面白くないですよ、もっと僕の周囲、スタジオ全部、色々見てください」
と諭すんだけど、みんなピンと来ないままで、平板なまま番組は終わっちゃった。
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アニメ繋がりだとジブリ(宮崎監督)関連の最近のドキュメンタリーも酷いの多くて、ポニョの時の「あの宮崎さん、今日は絵は描かないんですか?」とか尋ねて監督に怒られちゃってたりとか。
『もののけ姫』のメイキングやいくつかのドキュメントは出色なんだけど、ボンクラなノンフィクションは多い。
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強引な仮説というか持論なんですけど、ペンやカメラを持った取材者が、「強い人」「名のある人」に切り込んで行って取材者なりの真実を持って帰ってくる、という技術や社会的な許容が実はもう絶滅しかけているのではないだろうか。
(故に政府の広報に成り下り、提灯記事しか書けない、とも言いたい)
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もうひとつ思い至るのは、ガメ氏 @gamayauber01 が最近日本の市井の人々のドキュメンタリーみて、生活の貧困とそのリアルっぷりに感じいったと書いていて印象深かった。牽強付会なのだけど、取材者はまだ「自分より弱い対象者」に対しては静かにそれを写し取る余地があるのではないかと思いました。
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思い違いされやすいけど、ドキュメンタリーやノンフィクションは「誰にでも間違いのない事実」を提供するものではなく(そんなものあり得ない)、取材者の「私にはこう見えた」という視座が示されるべきもの(いわんや創作ドラマにおいておや)。
けど変な「正しさ」みたいのがそれを阻むんだろうね。
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「私にはこう見える」が「私」の数だけ存在するべきなんだけど、その多様性や孤独への畏れに耐えきれないのか、「世界はだいたいこんなもんです」というずいぶん大雑把なハナシで括られて、日本の(日本以外の様子は知らん)ジャーナリズムもストーリーテリングも一本調子になっているように見えます。
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おい。ふざけんな。
原発事故、国の責任認めず 最高裁が初判断: 日本経済新聞 nikkei.com/article/DGXZQO…
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一色登希彦「国の存亡に、あと40年」 togetter.com/li/374504
ちょうど10年前に、イナカに住み始めて「あと40年で日本のイナカ全部消滅じゃん!」とビックリして書いた連投。
10年で予想通りに人口は減り続け(サンプル18626人→14612人)、「あと30年で日本のイナカ全部消滅」します、本当です。
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この話のキモは、あと数十年で日本の人口が8000万人にまで減るのは確実なんだけど、それは日本全土で平均的に人口が三分の二に減るとかではなく、人口過疎地から順番に三分の一の共同体/自治体が滅亡するということです。
あと30年で、都市を下支えし続けてる「イナカ」が全滅する、ということです。 twitter.com/ishikitokihiko…
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10年前には日本の社会は「あと40年で滅亡」だったので、現在は「あと30年で滅亡」まで来たです。
自治体の統計を雑に読んで予見したことだったのですが、事態はドンピシャでその通りに進んでいます。