子どもが親を嫌うのは同居親の洗脳のせいだ、裁判官と弁護士が結託してシェルタービジネスの片棒を担いでいる、FPICは裁判官の天下り先だ、男女共同参画センターが家族を壊している、シンママ利権だ、あーだこーだ…。こんな主張をしてくる人が増えてきて、なんじゃこりゃと思ったのです。そしたら、
「片親疎外症候群」について、誤解している人がいるといけないので言っておきますが、「子どもが親を嫌うはずがないのに嫌っていることが病気だ」という理屈です。別居により健康を取り戻した子どもに対してすら、「片親疎外症候群だ!」と言ってきます。
私はいわゆる人権派と呼ばれる事件をやってきましたが、共同親権の導入について慎重な意見を述べているのは、DV事件や虐待事件に取り組んできた弁護士です。いわゆる人権派と兼ねている人もいるけどメインではありません。ところで、ビジネスの人で、共同親権に反対している人って誰かいますか? twitter.com/masaki_kito/st…
原則を単独親権とする選択制で、積極的かつ真摯な合意のある場合に限定して共同親権を選択できるとする場合でも、やってみてうまくなった時に離脱しやすい制度にする必要があるし、対立したときに備えて優先すべき親を設定しておくなら、現行制度と大差なくて、改正が不必要だと思います。
ただ、最初に戻りますけど、父母双方に親権を与える制度については、仮にDVや虐待と呼べることがなかったとしても、共同決定を義務づけることが子どものためになる場合がほとんど想定できないんですよね。対立する父母に共同が強要されることが不適切だし、対立していないなら共同の強要が不必要。
これは、もう、本当に真剣に反対していかないと、本格的に子どもたちを危険にさらします。DVと虐待に関わる事件を担当してきたからこそ、今の、日本で離婚後共同親権を導入することの危険性に危機感をもっており、警鐘を鳴らしています。いや、もう、本当にありえない。
原則を単独親権とする選択制でも、裁判所命令ができる制度なら意思に反して共同が強要されることになり、命令されなければ共同できない関係性で共同が強制されてもさらなる対立をうむでしょう。その場合に、DVや虐待事案がエラーで入ったらそれこそ悲劇。
親権を求める人が、「片親疎外症候群」なる理論で、監護親の洗脳だと言って、子どもの意見を軽視している様子をみると、その警戒心はますます高まります。積極的かつ真摯な合意で共同親権を合意できる両親は、親権が無くても会えるし、相談しあえる関係なので、親権を与える実質的意味はありません。
しかし、現在の日本での共同親権推進運動は、DV・虐待事案を切り分ける線引きをするどころか、「DVは夫婦の問題で親子とは関係ない」、「どんな親も親は親」、「身体的暴力だけがDV」、面前DVを軽視し、別居や離婚でDVが終わるという認識で、挙げ句の果てに、子連れ別居を厳罰化しようとしています。
別居親と子どもとの関係が悪い要因として、子に有害なDV・虐待案件があるという場合は決して少なくありません。DV・虐待事案を間違いなく切り分ける線引きを、共同親権を推進する方々が明確にすべきであって、そこを明確に切り分ける手段が編み出せないなら、共同親権の導入なんてあり得ません。→
うちは、事実婚で、親権がない夫と18年間子育てをしてきて全く困ったことがなく、良好な関係なら、親権なんていらないんですよね。親権が欲しいという主張を生じる背景に、子どもとの関係性が悪いという場合があるので、親権で何かを強要したいのか?という警戒心を抱いています。
判決が出た後も嘘がばらまかれるんだね。 twitter.com/mpiZk0zHT5bdJZ…
きょうだいの場合、個人別に考える傾向があり、性虐待は、ぱっと見は仲が良いように見えるし、幼少のきょうだいに説明することも難しいため、会える子は会ったらいいという説得を受けます。でも、どうなんだろう内緒にして面会させて、後にそのことを知ったら同居親に対して不信感をうむのではないか。
性虐待を受けていても幼少期には何がされているのか理解できず父親を嫌うとも限りませんし、中学生くらいだと、自分のせいで家族の仲が悪くなるかも知れないなどと被害深刻を躊躇することがあり、子どもの拒否感が強い場合ばかりでもありません。
グレーは白という扱いがされているように思います。例えば、子どもが「父親が布団に入ってきてお尻をさわるのが嫌だ」と発言した場合、調査官は、「一緒に寝るのが嫌だ」というふうにマイルドに書いたりすることがあります。他方で、小児科の先生は、子どもに睡眠障害などがでているのとあわせ考え、
一生懸命申告できたことが、「布団に入ってきてお尻を触る」である可能性があり、より重篤な被害体験があったかもしれないと慎重に考えます。こういう場合、傾向としては、現在の家裁は、面会交流は子どものためになると考えていますから、あやふやな証拠で面会交流を拒むのは難しいです。
姉への性虐待があった場合、妹の面会交流はするべきだと思う?弟の場合はどう?妹や弟がお父さんと会いたいって言ってる場合は?性虐待じゃなくて、教育虐待の場合は?母親への性的DVがあった場合は??私はね、そんなのは全部止めた方がいいと思ってる。親子の絆、家族の絆ってなんなんだろうね。
同居中にワンオペ育児を強いて俺ほど稼いでからものを言えと威張りくさってたのに別居後は週の半分子育てがしたいと。それを拒むと男性差別だとか男女共同参画に反するとかバカなのか。よく考えてほしい。これは家族の事件。離婚後の子育ての共同が上手くいくかどうかはメンバーへの思いやりなんだよ。
このアカウントをフォローしてくださってる方はご理解いただいていると思いますが、小さなことの積み重ねに見えても、DVという関係は深刻な被害を引き起こすという事実を言っています。私は、DV厳罰化を望んでいるわけでもなく、逃げる自由を閉ざさないで下さいと言ってるだけ。
社会に広まった誤解を解いて、正しく伝えたいと思うことには2つあります。1つは現行法制度や共同親権とは何かという、知識に関するものです。これは多くの方が指摘しているところであり、知ろうと思えば分かることだから、今後、マスコミも含めて、是正されていくだろうと思うところです。→
いじめに遭ったと聞いて殴る蹴るを真っ先に思い浮かべる人はいないし、パワハラに遭ったと聞いて殴る蹴るを思い浮かべる人はいない。DVは家庭で起こるもので、もっとも安全で安心でなければならないのに、殴る蹴るがDVだと思われていて、精神的暴力が軽く扱われている。でも、ハラスメントの本質は、
DV被害者の事件をやってきて思うのは、この国には、一定数の高圧的な男性が存在しており、ある時は恫喝、ある時は嘲笑という手段で、子どもの面前であろうとも母親を軽んじていて、そういう日々の積み重ねは深刻な被害をうんでいます。 twitter.com/KSakanako/stat…
私が反対しているのは、協力関係にない父母の共同の強制です。尊重しあえる関係性の離婚後の父母の共同養育は素敵だと思ってます。それをモデルケースにするべきでないと言ってるだけで。
共同親権に反対してる理由は、協力関係にない父母に共同決定を義務付けることが、子どもにとって一理もないからで、DVや虐待のない事案においても反対です。現行でも、意見を聞きたければ聞くことができます(←当たり前すぎる…)。DVや虐待がある場合には、被害が継続するという深刻な害があります。
「共同親権は虐待を抑制する」っていうけど、「共同親権」って、進路とか医療行為などの重要事項を決定を離婚後も二人揃わないとやれないって制度ですよ。関係ないです。面会交流のことを言いたいのなら、現行法で民法766条があり、家裁は原則実施論です。