「漫画表現がなくなったからスカートめくりがなくなった」については、因果関係はそこまではっきりしないと思います。ただ、少なくともPTAが大きく声を上げて「こんなものは許されない」という活動をしなければ、「スカートめくり」はその後も当分は「無邪気な子供のいたずら」にとどまったでしょう。
これについて、「漫画表現のせいで現実のスカートめくりが発生した」のはほぼ事実です。これは発端になった漫画を描いた永井豪先生も自分で認めてらっしゃいます。その後「まいっちんぐマチコ先生」でさらに大流行となり、女児被害者が多発、PTAが猛抗議し、連載差し止めになる等大騒ぎになりました。 twitter.com/yodobasiend/st…
生理含め妊娠出産産後、女は子供を産むために、「自分自身のこと」はかなり犠牲にしなければならない。これは生物としてやむを得ないこと。でもそれを「だから男は女に配慮しなければならない」と公平のための意識として捉えるか、「だから女は男に勝てない」と差別の根拠として捉えるかは、個人の問題 twitter.com/koichi_kawakam…
何でもそうなんですけど、「え?そんなことで傷つくの?大げさでは?」って思う場合には、自分がそういうことで悩んだことがない恵まれた立場というだけのことなんですよね。個人の性格や環境にもよるとは思いますが。
あと、力量のある作家さんは、女性や少数派を差別したり傷つける表現をわざわざ選ばなくても、面白い作品を描くことができると思います。 敢えてどうしてもその表現を使わないといけないなら、個人的には使っても良いと思います。ただ反応への覚悟は必要だと思います。
当時の作品までも、現在の価値観に基づいて全否定はしませんし、注釈や説明付きで当時の姿を残すことも大事だと思います。(でないと当時差別があったことすらなかったことにされてしまいますし) しかし、その価値観の変遷自体が「良くないこと」とは思いませんね。
私も子供の頃はそういう作品を悪気なく面白がり、笑っていた子供でした。今になって当時をLGBTの人がどういう思いで過ごしていたか、ネット等を通して知りました。やはり「そっちの社会の方が良い」とは決して言えないですね。
私の好きな漫画家さんも昭和の作品には、LGBTの人を笑いものにし、気持ち悪いと描いているものがあります。 その作家さんの作品を読めば、差別や蔑視を良しとするような人柄でないのは明白ですが、「良識のある良い人が、悪気なく普通に差別表現をする社会」だったわけですね。
私の好きな昭和の作品にも、同性愛差別、身障者差別があります。「おぞましき」「醜い」など描かれています。私は今もその作品が好きですが、これらの表現が堂々と許されない世の中になったのは良かったと思っています。 twitter.com/zkurishi/statu…
こういうの「酔ってカバン開けたまま寝てる人がいても、財布盗んだら犯罪だよね」というのはわかる人が大半だと思うので、やはり「性行為は窃盗と違ってそもそも悪いことではない」という認知の歪み的なものがあるんだと思う。 twitter.com/sodium/status/…
散々言われてますが、性被害と容姿関係ないです。若い女性なら誰でもOKという人も、女性なら何でもOKという人も、むしろ容姿が劣る女性の方が、自分が劣等感を抱きにくいので狙いやすいという人もいます…。 twitter.com/shinjukusokai/…
「合意がない」場合は強姦です。 寝てる人、酔ってる人は正しい合意がとれないため、そういう状況の人を襲うと、例え相手がむにゃむにゃ合意したように見てたとしても「準強制性交等罪」に問われる可能性があります。 なので寝ぼけてる人・酔ってる人とは、例え合意ありと思ってもしない方が良いかと。 twitter.com/lkw8wc30wcqssk…
これは「ポロリする人はちゃんと合意してるタレントだから問題ない」という話ではないんよね。世間一般での性被害に対するハードルを低め、被害を矮小化し、被害者を黙らせ、加害者を助長させ、無意識・悪意のない「普通に良い人の加害者」を増やすことになる。
男女関係なく「下ネタは楽しまないといけない」「文句を言ったり騒いだり真剣に怒るのは空気が読めない・ノリや冗談が理解できない奴」という空気感ができ、自分も被害を被害だと自覚できないまま傷を深め、人が被害を訴えると平気でセカンドレイプをし、被害者を傷つけ黙らせることになる。
「自尊心の低下」は当然あるんだけど、テレビでこういうことさせると、女児にも「こういうのは『面白い・人が喜ぶ・楽しいこと』と考えないんといけないんだ」という価値観が無意識に刷り込まれることがある。少なくとも私はそうだった。それの何が問題かと言うと、 twitter.com/ren7mi3/status…
だいたいそういう人は、女性に限らず「弱者」全般に冷たく、生活保護とかにも異様に厳しい人が多い。 「自分のパイを不当に奪う存在」として敵視してる。そして「そいつらに群がる人間には何か裏の魂胆がある」という偏見もあり、すぐに「弱者ビジネス」などに結びつくんだと思う。
根本に「女性はズルい」があるように思うな。彼らは女性=弱者という構図に納得がいってない。 性的魅力で男を利用して被害者面をする、専業主婦という楽「そう」な道がある、女だから守れと言いつつ女だから差別するなと言う…等 なのに「弱者としての権利」を振りかざされるとイラっとくるのかなと。 twitter.com/ringo_ginn/sta…
オタクにも男にも限らないのだけど、「物静か」と「口下手や無関心」、「優しい」と「気弱や保身的」、「知的」と「偏った知識量が多いだけ」は、両立はすることがあるけど、似て非なるものでもあるから、注意が必要。 twitter.com/kasumi_girl/st…
人類が弱肉強食の「強者だけが生き残れば良い」社会を是とできなかったのは、結局は「切り捨てた弱者はおとなしく奴隷でいてくれたり死んでくれたりしない」「弱者も集まり力を持てば強者を脅かす」というのがはっきりわかったからだと思う。 twitter.com/ShinShinohara/…
別に「想像上の恐怖」で冤罪を恐れても良いと思うが、痴漢被害に対してのカウンターとして使う人が多すぎる。冤罪予防はそれはそれで重要なことだが、痴漢被害に対する何の免罪符にもならないし、痴漢被害の話をしているときには直接の関係もない。別個に対処すべき問題だと思う。 twitter.com/honnoinosisi55…
「性的権力」とやらが本当にあるとしても、それを使いこなす女性はかなり希少。なぜなら女性は身体的弱者なので、よほど巧妙に使わない限り、自らが性被害に遭うだけで終わるから。それこそ女スパイみたいな特別訓練でも受けてない限り無理だと思うし、「力」ではあっても「権力」ではないような。
私が自民党の改憲案に反対なのは、憲法に「戦争しない」と書けば戦争がなくなると思っているからではなく、改憲内容が9条のみでなく全体において「国民主権」から「政府主権」に寄せていっていき、「政府の決定に国民は逆らえない」ようにしていっているからです。
そういうのを見ていると、「女が男に甘えることは許さないし、女も男を助けるべきだが、女は必ず男の下でなければならない」という意識が透けて見えるな…って感じることはある。
「もし女が強者になりたいというなら、男の助けを期待などと甘えたことをぬかさず、自分達だけで強くなるべきであり、そうして弱者男性を救え」ということらしい。 女性の収入が低いのは社会的な構造の問題も大きいので、男性が動かないと無理よ。今の構造の大半男性が作ってるんだから。
もうその頃にはその話はどうでもよくなっているらしい。いわゆる「弱者男性」を「強者女性」が救う世の中にしたいなら、強者女性と強者男性が少なくとも同比率くらいは存在しないと不可能だと思うのだが、「強者女性を生み出すために社会全体で努力」は絶対したくないらしい。