教養の定義はロバート・フロストの「気分を害さず、また自信も失わずに、あらゆることに耳を傾ける能力のことである」というのが1番しっくりくるんだよな。そしてこの定義に従えば「教養のない人間は不快だ!馬鹿だ!黙るべきだ!」等とTwitterで言ってる人間は、その時点で教養がない事になるというな
Twitterは陰キャを中心とするプラットフォームで、TikTokは陽キャを中心とするプラットフォームなので、両者が合併すればワンチャンで陰と陽を自在に操る陰陽師が生まれる可能性がある気がするな。 #TwitterとTikTok合併許すな
自分が不幸・不遇である事に慣れ過ぎた個体は「救い」ではなく「共感」を求めるようになるんだよな。幸せを望むのに疲弊したり、幸せを思い描けなくなったり、逆に幸せな自分に気持ちの悪さや罪悪感を覚えるようになった結果、救いよりも共に地獄に居てくれる人間を求めるようになるというな。
陰キャの人間でも明るく社交的に振舞うタイプはいるんだけど、その手のタイプは「嫌われるのが怖過ぎて必死で陽キャの言動パターンを分析してエミュレートしてる」だけなので、内心は常に「間違えてないか?」という不安でいっぱいだし、交流終わった後は完全にMPが尽きて何も考えられなくなるというな
ADHDがタスクを無難に遂行するには、「思い切り心身に力を入れて衝動性/不注意を抑え込む」よりも「短時間思い切り身体を動かして衝動性/不注意を発散させる」のがお勧めな。研究でも、ADHDは急性運動によりタスク遂行の混乱/疲労/抑鬱感が軽減される事が示唆されていたりする ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/26741120
「自己肯定感を上げる為に部屋を掃除/身嗜みを整える/褒められよう」みたいなやつ、確かにそれで短期的にはメンタル良くなるんだけど、それは段々と「自分は☓☓でなければならない」という強迫観念に変わって理想通りに出来ない自分に病み、逆にメンタル悪化するケースもあるので注意が必要というな。
80年代「鬼畜ブームが深刻。ロリポルノも粗製乱造」 90年代「イジメ自慢とかの露悪が持て囃される病んだ時代」 00年代「今の最悪なインターネットの源流!91年生まれは大反省会しろ!」 10年代「異常者アピールやメンヘラ芸等のチキンレースがTwitterで大流行」 結論:人間はいつの時代も変わらない
モラハラやパワハラや虐待加害者は往々にして自分の事は「被害者」だと思っているんだよな。自分が怒鳴ったり殴ったりしてる自覚自体はあるけど、本人的には「私にこんな事をさせるほど貴方は酷いことをした。本当は私だってこんな事はしたくない」であり、それすらも相手の責任と認識してるというな。
オタクへのヘイトスピーチして使われがちな髪型が変/ボサボサ問題、自分も後天的な問題…髪を整えなかったり寝癖を直したりしないせい…だと思っていたけど、ASDには形態学的に「髪の房が間違った方向に生える」特徴が確認されており、どうも先天的な問題が大きいらしい…。 ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/P…
@rei10830349 これに対して「モテる人間はイジメをやってもモテるという話では?」と疑問があるだろうけど、別研究で自己評価や周囲評価や好感度の影響を考慮しても性的成功の予測因子になると結論されているんだよな。良い悪いは別にしてイジメはそれ自体が異性を惹き付ける journals.sagepub.com/doi/full/10.11…
自己肯定感低いメンヘラに「自分を信じろ!」と言っても、メンヘラは律儀に自分を信じようとするものの、過去を振り返っては信じられる根拠どころか不安要素ばかり思い出し、あげくの果てに「自分を信じられない私は駄目なんだ」という方向で更に自分を信じられなくなってしまうので注意が必要というな
陰キャの人間、往々にして様々な抑圧経験によって自尊心が摩耗してるので怒ったり悲しんだりが出来なくなるんだよな。「自分は誰にも尊重されない」と過去のアレコレで学習しているため、怒りや悲しみを覚えても「余計に馬鹿にされるだけ」と抑えられ半自動的に「曖昧に笑って誤魔化す」が出るというな
陰キャの人間、往々にしてイジメや毒親によって「嫌なことに反対しても結局はねじ伏せられるぞ」が骨身に染みてる為、侮蔑的な事を言われても怒れずに曖昧な笑みで誤魔化すことが癖になってしまっているけど傷付いていないわけではないので、1人になると何回も思い出しては悔しさを反芻してるというな
拙著ですが本日発売しました。よろしければ手に取って下さい!陰キャ・オタク・元非モテ・発達障害会社員の私の半生や、そのような社会不適合人間の生き辛さの緩和や展望について書いてます。 amazon.co.jp/dp/4040646029/…
発達障害人間は往々にして「叱責に弱いにも関わらず叱責されやすい」という難儀な性質を抱えているんだよな。それ故に就労してもまず第1に「失敗したらどうしよう?」「怒られたらどうしよう?」という恐怖ばかりが先に立ち、普通人間のように遣り甲斐や目標を見つける余裕がないというな。
「察して欲しい」オーラを出すと、逆に察して貰えなくなるジレンマがあって、察しの良い人間ほど「この人間は☓☓だ」と察するし、人間関係にも恵まれてるしで「手間暇かけて付き合う意味…」となってしまうんだよな。結果、周囲から察しの良い人間は去り、察しの悪い人間ばかり残るようになるというな
メンヘラはモテる説、実は進化心理学的には実証されててるんだよな。例えばスペインでの研究によればナルシシズム/反社会/境界/ヒステリーといった性格特性の高い個人(クラスターB)は性的パートナーが通常の3.5倍多く、通常の39%増しで子供の数が多い事が判明したという…。 sciencedirect.com/science/articl…
喋るタイプのコミュ障、往々にして沈黙に耐えられないが故に1回目の会話ではテンション高めでよく喋るけど、終わった後は「自分五月蝿いし余計な事を…」と脳内大反省会で羞恥に悶えてるし、2回目は「あれ?君、めっちゃ大人しいけどキャラ違くない?」と周囲を戸惑わせるほど喋らなくなるというな。
親ガチャという言葉、酷い親への呪詛という意味よりも「生まれた時の所得や遺伝に人生が大きくバインドされる」という意味合いの方が強いけど、その意味の先にあるものは不平等・再分配・格差是正の議論への発展なので、否定派はひたすら前者の性質ばかり取り沙汰するようになる霊感があるというな。
発達障害人間は会話が苦手なのに、国語や文章読解がよく出来るのは「ASDは現実の人間とのやり取りではなくフィクションから言語を学んでいる」的な話。つまり発達障害人間にとってはフィクションこそネイティブ言語であり、現実の会話は非ネイティブ言語っぽい… president.jp/articles/amp/3…
「タスクの前準備がダルくて動けず先延ばししてしまう」人間は、ある別のタスクが終わった時に「前準備で面倒に感じる箇所を、予め少しやっておく/やりやすい状態にしておく」のがオススメな。動いてる=動ける時に動いておくことで、「未来の動けない自分」の負担を少しだけ軽減させてあげるというな
メンヘラ特有の「優しくされると逆に落ち着かない」現象は認知不協和で説明出来るんだよな。つまり「自分は蔑まれる人間である」という自己認知と現実が1致せず気持ち悪くなってしまい、更に認知が強固だと「敢えて自分から嫌われにいく」ことで現実の方を自己認知に合わせようとしてしまうというな。
自己肯定感はありのままの自分を受け入れられる事なので、実は「自己肯定感が低いから高めなきゃ!」と思うと逆に自己肯定感が下がっていく循環構造があるんだよな。それ故に自己肯定感なるものは1度自分がそれを持ち合わせてない事に気付いてしまうと、更に自己肯定感が失われてく地獄があるというな
オタク、電車男ブームで「脱オタして彼女作るぞ!」と頑張って徒労に終わり、オタサーの姫等のオタクにすり寄る女性に期待を抱いて痛い目を見て、ギャル等に幻想を見い出した末に、最終的に「(2次/3次問わず)推しに見返りを求めず愛するぞ」に着地したの、オタクとして正しく原点回帰した感があるな
「自分を犠牲にしなくて良い」 「都合の良い時だけ来るヤツは、きっと甘言で惑わすだろうけど自分を明け渡す必要はない」 「自分の心も体も、自分のものなのだから」的な論理、実は典型的な児童虐待親の思考だったりするんだよな。自分を犠牲にする気がないので子供が可愛くなくなったら…するというな