悲しみは「受けいれる」「乗り越える」ものと思われがちだけど、 無理に乗り越えなくてもいい。 そんなに強くなる必要もないし 受けいれられない自分がダメだとか思わなくていい。 …そういうもの。 「寄り添って一緒に歩むもの」だと私は思ってる。 そうして今日も生きることができている。
本当は病気が治ってから色々なことがしたかったし、治療で治せるものなら心の底から治って欲しかった。寝たきりピアニストで活動を始めようと決めた当初「この複雑な心境を抱えながら前に進めるのか?」…そんな思いもあったけど、続けてこれたのは聴いてくださる皆さんがいたからです。ありがとう☺️
生きる意味を“自分”のために託すのはしんどいけど、 生きる意味を“誰か”のために託すと、 不思議と生きる力が湧いてくることってあるよね。 誰かの喜びに心を寄せたい。 誰かの悲しみに心を寄せたい。 そして誰かのありがとうに心を救われ、 また生きようと立ち上がる時に、決まって優しい風が吹く。
病気で寝たきりの私にとって、 命があるから『やりたいこと』ができるんじゃなくて、 『やりたいこと』があるから生きていけるなんだよね。 今の重い病状では生きてていいことなど無いから、 少しでも『生きていたいと思える何か』を創って そうやって今日も生きている。生き抜いてゆく。
『生きてるだけでいい。』そんなとても優しい言葉がある。 こんなに優しい言葉なのに、私には少し悲しくて苦しかった。 『生きているだけでは嫌だ。寝たきりの体でも私にはやりたいことだって夢だってたくさんあるのに。』 だから私は『生きたいと思えること』を自分で創っていくことにした。
難病寝たきりになった当初は、この病状で生き続けるなんて考えることもできなかったけど、 今は沢山の人に支えられて、誰かの『ありがとう』の言葉に自分が生き続ける意味を見出し、それなりに生きている。 こんな生き方も一つだと思わせてくれたのは『ありがとう』の言葉だった。今日もありがとう。
難病寝たきりになったから 私には『イス』が必要無くなった。 座れなくなったから。 難病寝たきりになったけど 私には『ピアノ』が必要になった。 ピアニストになったから。
病気で寝たきりになって多くの事ができなくなった。 寝たきりになってからできるようになった事の多くは、 『できる内容』を『できる方法』ですることだった。 寝たままでピアノを弾けば良い。 起き上がれるようになったから、元のできる状態を取り戻したわけではないけど、確実に出来るようになった。
病気で寝たきりになって気づいたこと。 死んでもいいと思えるほどの苦しみや哀しみはいくらでも転がっているのに、 生きる意味は誰も教えてくれない。 それを捜し求める旅に出かけること。 …それが人生だと思う。 生きるって難しいけれど、 そこから見つけ出した光はどんな時も美しく輝いている。
病気で寝たきりピアニストの私は思う。 『何もしていない。症状がきつくて耐えていただけの日』と、 『ピアノを弾けた日』があったとする。 客観的に見ると『ピアノを弾いている方』が頑張ってるように見える。 でも実際は『何もできずに耐えている日の方』が頑張っているようだ。
病気で寝たきりピアニストの私、『全然元気そう』『本当に病気?』『嘘つき』などよく言われる。 嘘つきと思われるくらい元気そうに見えてることは表現者として嬉しいことでもあるんですが、 しんどそうに見えない様に、舞台裏では、もの凄いエネルギーを使っています。
難病で寝たきりになって最初の3年間は『病気が治ってから〇〇しよう』と思っていた。病気が治ると信じて疑わなかった。結局治らなかった。最初の3年間を無駄にした。『〇〇するには〇〇できるようになってから』そういう言葉が昔から言われているけど、できない状態から叶えられる夢の方がはるかに多い
『花は咲く🌸』 たくさんの想いを込めて…🎹😢🙏 #東日本大震災から11年 #花は咲く ※寝て演奏しているのは #脳脊髄液減少症 という病気のためです。
メリークリスマス🎄✨ 素敵なクリスマスをお過ごしください٩( 'ω' )و #MerryChristmas
5年前事故で寝たきりになった当初は、「もし事故に合わなければ〇〇だったのに。」あったはずの未来を失ったことに落胆していた。 5年たった今、寝たきりには変わりないけど、5年前にあったはずの未来が時間の経過で全て過去になったことに気づいた。0からまた新たに未来を創り上げていこう。
本当は病気が治ってから色々なことがしたかったし、治療で治せるものなら心の底から治って欲しかった。寝たきりピアニストで活動を始めようと決めた当初「この複雑な心境を抱えながら前に進めるのか?」…そんな思いもあったけど、続けてこれたのは聴いてくださる皆さんがいたからです。ありがとう☺️
病気で寝たきりの私、毎日生き地獄の症状の重さで、 『何かができる時間』は私の人生のごくわずか。 『何かができる時間がほんの少しあることのありがたさ』は 今、この瞬間も身に染みて実感している。 『何かができただけでこの上ない幸せを 感じることが出来ること』が、 『私の幸せ』
病気で寝たきりの私にとって、 命があるから『やりたいこと』ができるんじゃなくて、 『やりたいこと』があるから生きていけるなんだよね。 今の重い病状では生きてていいことなど無いから、 少しでも『生きていたいと思える何か』を創って そうやって今日も生きている。生き抜いてゆく。
難病寝たきりの私が、 仮にあと50年生きたとしても 健康な時に1日でできていたことが3ヵ月かかるので、 私の1年はたった4日 50年で、200日≒0.5年。実質余命7ヶ月。 命の時間は平等じゃないよ。 だから私は『命=使える時間』だと常思ってる。 遺された時間を『大切に思うこと』に使おう。
ある時気付いた。同じ数の夢を叶えたいと思った時に、今の状態から叶えられる夢の方が、いつ治るかわからない病気が治るのを待ってから叶えられる夢の数よりも多いことは確かなことだと。 時は待ってくれないから、不完全でも、みすぼらしくても、寝たきりを馬鹿にされても、私は歩みを止めません。
病気で寝たきりの私、あまりに現状が苦しいから 『今この瞬間を生きる』スタイルで気力振り絞って生きてきた。 たまに現実を感じて絶望するけれど、また夢の世界を創りだすことで前に進める。 夢は無くてもいいけどあるといざというときの心の支えになるから 私は夢をどんな時も心の片隅に置いている。
寝たきり書道家・星野希望です。 作品をベッド上から届けています。 今日の書 『幸せを運ぶ、幸運。』
難病寝たきりの私ですが、 ネットの発展のお陰で、 『ベッド上に皆さんを招き入れる』といった 新しい形の音楽家になる夢を叶えてきた。 こういう夢が叶う時代のもとに生まれたことに感謝して、 支えてくれるみなさんに『今日もありがとう』 『ベッド上から世界へ!』…が私の音楽家としての夢です。
『事故で寝たきりになるとは怖いね。』と言われることがあるけど、 私は手術が成功して元の生活に戻れることを何よりも望んでいた、 かつては。 度重なる手術に身を捧げたが叶わなかった。 本当は悔しい。戻りたかった。 元に戻れないなら、自分を奮い立たせて『叶う夢』を叶えていくことにした。