病気で寝たきりの私。『病気だけと向き合い、闘い続ける闘病』を手放して、 『病気と真正面から向き合わない闘病。闘病中でも、自分の夢を叶えていくし、病気に支配されない自由な心を持つこと。』 …こういった考え方に、気持ちを切り替えてから、 ほんの少しだけ生きやすくなったように思います。
病気で寝たきりの私、もし生まれてからずっと寝たきりだったら『こういうものか』と思ってたかもしれない。 元気だった時があったから『あの頃に戻れてからやりたいことをしよう』そんな思いの時期が長かった。 『元に戻ることに注ぐ力』よりも『今やりたいことに注ぐ力』が大切だと気づいて今がある。
難病寝たきりの私が、病気から学んだこと 出来るだけ『死にたいと思う時間を少なくすること』 …それが生きるということ。 出来るだけ『生きたいと思える時間を多くすること』 …それも生きるということ。
病気で寝たきりの私、元気だった頃バイオリンを弾いてみたい夢があった。 あの時元気だったのにやらなかったことに後悔して、 寝たきりになってから独学で始めた。 『やりたいと思った時』が『やりたいと思った中で一番早い』ことを忘れないでいたい。
知らない=幸せなことってあるよね。 私が病気で寝たきりになった当初、治ると思ってたから生きてこれた。その時点で何年経ってもずっと寝たきりの今を知ってたら絶望して死んでたと思う。知らないことが希望になることもあるんだね、人生は。 知ってることが今を支えて、知らないことが未来を創る。
健康な時には気がつかなかったのに 病気で寝たきりになった今、 普通に生活できることがどれほど幸せだったのかと気付く。 幸せは本当はすぐ隣にある。 失って初めてあれが幸せだったのだと気付く。 この世には、手に入れる幸せと、失って気づく幸せがある。
今まで生きてきて 「やらなければよかったのに挑戦した後悔」より 「できるのに挑戦しなかった後悔」の方が断然多い。 そういう人生だったから、今は真逆の人生を生きている。 寝たきりになってから気づいた。少し遅い。だけど、やりたかったことやり潰していい人生だったなと言える最期にしたい。
辛いことを辛く書くのは簡単で 辛いことを面白く書くのはちょっと楽しくて 辛いことから見出した微かな光を書くのはちょっと照れくさいけど、この光が誰かに届くといいなと思って 今日も少しだけ筆をとる 今日も読んでくれてありがとうございます。 おやすみなさい。
病気で寝たきりになって気づいたこと。 死んでもいいと思えるほどの苦しみや哀しみはいくらでも転がっているのに、 生きる意味は誰も教えてくれない。 それを捜し求める旅に出かけること。 …それが人生だと思う。 生きるって難しいけれど、 そこから見つけ出した光はどんな時も美しく輝いている。
私は事故で寝たきりなる前に『明日できていたはず』のことを 実にたくさん置いてきた。 明日が来ないことを知った。 人間が人間の形でこの世に存在できる時間は限られている。 だから、人間でいられる間は出来るだけ後悔が少なくなるように 『この瞬間を生きる』 自分にとっても人にとっても。
『仮にあと数ヶ月で死ぬとしたら、最期に何がしたいか?』 …そんな質問に 『好物を食べる』『世界一周旅行』『会いたい人に会う』 とか思ってたけど、実際病気になると 吐き気で食べれない、 衰弱して移動もできないので、 『今やりたいと思っている事』は 『今できる事』だったと 今だから言える。
病気で寝たきりになってはじめの頃は、 過去を取り戻そうと必死だった。 それが叶わなかったから、 過去を取り戻すのではなくて、 今を創り出す。 …そんな風に少しずつ、 ほんの少しずつ自分から近づいていった。
鬱絶頂の時「死にたい。生きるの辛すぎる」って大泣きしながら話したら「死にたいって言うたびに100円な。死にたい貯金するから。貯まったら美味しいもの食べよ。元気出そ。」と、お賽銭箱作り出す母、それはそれでいいねん。いいねん。死ぬ気失せさせるセンス面白すぎて笑ってる。明るくていいねん。
病気で寝たきりの私にとって、 命があるから『やりたいこと』ができるんじゃなくて、 『やりたいこと』があるから生きていけるなんだよね。 今の重い病状では生きてていいことなど無いから、 少しでも『生きていたいと思える何か』を創って そうやって今日も生きている。生き抜いてゆく。
治りたいという気持ちとは裏腹に どんどん弱っていく『この体』とは裏腹に、 出来るはずがないと思っていたことが どんどんできるようになっていく『この心』は、 『適応とか順応』ではなくて、『開拓』がしっくりくる。 新たな生き方を開拓して『今を生きれる状態にする』…そんな感覚だ。
難病寝たきり書道家・星野希望です。 作品をベッド上から届けています。 今日の書 『人と人との助け合い』
事故で難病寝たきりになった私、病気が治ってからピアノを弾こうと思っていたが3年経っても治らなかった。…で諦めてどうしたか。 『ピアノを弾くのを諦めた』のではなくて『病気が治って座れるようになってから弾く』…そっちを諦めた。その瞬間未来が切り開けた。何を諦めるかの選択が何よりも大切
激頭痛の時は「頭痛さえマシになればいい」と思い 少し和らげば「食べ物が通ればいい」と思い もう少し和らげば「音楽が聞ければいい」と思い さらに和らげば「ピアノが弾ければいい」と思い その上和らげば「曲が世界中に羽ばたけばいい」と思う。 その時その時の「一歩先」の希望が私を支える。
病気で寝たきりの私にとって、 命があるから『やりたいこと』ができるんじゃなくて、 『やりたいこと』があるから生きていけるなんだよね。 今の重い病状では生きてていいことなど無いから、 少しでも『生きていたいと思える何か』を創って そうやって今日も生きている。生き抜いてゆく。
生きる意味を“自分”のために託すのはしんどいけど、 生きる意味を“誰か”のために託すと、 不思議と生きる力が湧いてくることってあるよね。 誰かの喜びに心を寄せたい。 誰かの悲しみに心を寄せたい。 そして誰かのありがとうに心を救われ、 また生きようと立ち上がる時に、決まって優しい風が吹く。
今まで生きてきて「やらなければよかったのに挑戦した後悔」より 「できるのに挑戦しなかった後悔」の方が断然多い。 そういう人生だったから、今は真逆の人生を生きている。 寝たきりになってから気づいた。少し遅い。 だけど、やりたかったことやり潰していい人生だったなと言える最期にしたい。
寝たきり書道家・星野希望です。 作品をベッド上から届けています。 今日の書 『幸せが訪れますように』
寝たきりになった私の後悔。『いつかやろう、今じゃなくてもいい』と思えることほど『今』やっておけばよかった。 『いつかやろう』と言える時点で、『いつでもやろうと思えばできる条件が整っているということ』だったから。 出来なくなって『いつかやろう』が恋しい言葉になった。『今』やろう。
寝たきり書道家・星野希望です。 作品をベッド上から届けています。 今日の書 『WBC日本勝利🇯🇵』 #WBC #侍ジャパン