難病寝たきりなのにそんな化粧して衣装着れないだろう!と怒ってくる人いるんだけど、 『病気だからおしゃれしちゃいけない。病人らしく…』みたいな思い込みがいけないのであって、 おしゃれと病気は全く関係ないってこともっと広がってほしい。 『おしゃれな病人最高〜!』が普通になりますように。
難病寝たきりになった私、病気が治ってからピアノを弾こうと思っていたが、3年経っても治らなかった。…で諦めてどうしたか。 『ピアノを弾くのを諦めた』のではなくて『病気が治って座れるようになってから弾く』…そっちを諦めた。その瞬間未来が切り開けていった。何を諦めるかの選択が何よりも大切
#うちの母のここがスゴイ #母の日 私、難病 #脳脊髄液減少症 で何年も寝たきり生活ですが、母のおかげで出来るはずのなかった夢を叶え続けています。 私が「ウェディングドレス着たい!」と言えば着付けてくれて、泣いて喜んでくれました。1つ夢が叶いました! あなたの娘に生まれて私は幸せです。
伝えたい事 私『君、大人になった頃には病気で寝たきりやで』 5歳の私『嘘やん…。(絶句)…じゃぁピアノ弾いてへんの?』 私『弾いてるで。座って弾いてる君より断然上手いわ』 5歳の私『嘘やん…。(絶句)』 私『将来作曲家ピアニストになるから、ちゃんと練習しときや』 5歳の私『わかった👋』
難病寝たきりになった私、病気が治ってからピアノを弾こうと思っていたが、3年経っても治らなかった。…で諦めてどうしたか。 『ピアノを弾くのを諦めた』のではなくて『病気が治って座れるようになってから弾く』…そっちを諦めた。その瞬間未来が切り開けていった。何を諦めるかの選択が何よりも大切
もうすぐ寝たきり5周年になる。 お祝いをしようと思う。 よく頑張って死なずに生きてきたこと。 当時、小学生だった子供たちが高校生になり 中学生だった子供たちが社会人や大学生になってゆく。 とんでもない時間をベッドの上で過ごしているけど、 それなりに私は未来を切り拓いて歩んでいる。
ひかり/星野希望 たくさんの方々の心に「ひかり」が灯りますようにと思いを込めて作曲しました。 今世界が大変な時ですが、この曲のようにもう一度ひかり輝く明るい世界が戻ることを祈っています。 フル▶︎ youtu.be/jmh8o0afQ4M #脳脊髄液減少症 という病気のため寝て演奏します。
難病寝たきりの私が看護師をしていたとき、先の長くない患者さんは口を揃えてこういった。 「好物を食べておけばよかった。もう受け付けない。」「〇〇と行きたかった場所に行っておけばよかった」「会っておけばよかった」この時、皆求めていたのは夢のような世界でなく、『当たり前の日常』だった。
『仮にあと数ヶ月で死ぬとしたら、最期に何がしたいか?』 …そんな質問に 『好物を食べる』『世界一周旅行』『会いたい人に会う』 とか思ってたけど、実際病気になると 吐き気で食べれない、 衰弱して移動もできないので、 『今やりたいと思っている事』は 『今できる事』だったと 今だから言える。
事故で寝たきりになって、もう座ることも出来なくなって、一生ピアノは弾けないと諦めていたし、死にたい以外の感情なくなったけど、親がこれ作ってくれてピアニストになることができた。もう少しだけ頑張る!
事故で寝たきりになり、明日は突然絶たれると知ってから『明日は必ずしも来ない』心構えで生きてきた。ありがとうはすぐに伝える。恩返しは来ないかもしれない未来に賭けるような話じゃなくて、この瞬間『今』できることで返していくことが私にとっての『生きる』なのだ。 『また今度』の今度は『今』
私は事故で寝たきりなる前に『明日できていたはず』のことを 実にたくさん置いてきた。 明日が来ないことを知った。 人間が人間の形でこの世に存在できる時間は限られている。 だから、人間でいられる間は出来るだけ後悔が少なくなるように 『この瞬間を生きる』 自分にとっても人にとっても。
一昔前では叶わなかった夢が叶う時代になった。 病気で寝たきりだけど、 ネットの発展のお陰で逆に 『ベッド上に皆さんを招き入れる』といった、 新しい形の音楽家になる夢を叶えてきた。 こういう夢が叶う時代のもとに生まれたから 『ベッド上から世界へ!』羽ばたく音楽家に私はなる。必ずなる。
難病寝たきりの私は『死』に救われた。 病気の苦しみから逃れるために『死』を決意し、 『死ぬ前にやりたかったことをやってから死ぬ』ことにした。 やりたかったことをやっていくうちになんと夢ができてしまった。 『死』が『死』を遠ざけた。 …そんな私は今、ピアニストをしている。生きている。
寝たきりの私は動けない。けれど、 無いものをねだったり羨んだりするのではなく、自分の得意なことや自分がすでに持っているものを最大限に活かせる生き方がしたい。 それが誰かの支えになれればそれほどの嬉しいことはこの世には存在しないと思う。 私は作曲家・ピアニストとして生きてゆく。
難病寝たきりなのにそんな化粧して衣装着れないだろう!と怒ってくる人いるんだけど、 『病気だからおしゃれしちゃいけない。病人らしく…』みたいな思い込みがいけないのであって、 おしゃれと病気は全く関係ないってこともっと広がってほしい。 『おしゃれな病人最高〜!』が普通になりますように。
私は事故で寝たきりなる前に『明日できていたはず』のことを 実にたくさん置いてきた。 明日が来ないことを知った。 人間が人間の形でこの世に存在できる時間は限られている。 だから、人間でいられる間は出来るだけ後悔が少なくなるように 『この瞬間を生きる』 自分にとっても人にとっても。
昨年の「長崎平和宣言」での長崎市長の言葉。 広島が「最初の被爆地」という事実によって永遠に歴史に記されるとすれば、長崎が「最後の被爆地」として歴史に刻まれ続けるかどうかは、 私たちがつくっていく未来によって決まります。 #長崎原爆の日
難病寝たきりの私が看護師をしていたとき、先の長くない患者さんは口を揃えてこういった。 「好物を食べておけばよかった。もう受け付けない。」「〇〇と行きたかった場所に行っておけばよかった」「会っておけばよかった」この時、皆求めていたのは夢のような世界でなく、『当たり前の日常』だった。
『Twitterなどしてる場合ではないでしょ?早く治療して病気治してください。』などよく言われるんですけど、 度重なる手術や治療を受けても治らなかった。 毎日吐き気で食べれず点滴して、延命するだけの日々。 世の中に存在する『すべての病気』が『治療すれば治る病気』じゃないことを知って欲しい。
『Twitterなどしてる場合ではないでしょ?早く治療して病気治してください。』などよく言われるんですけど、 度重なる手術や治療を受けても治らなかった。 毎日吐き気で食べれず点滴して、延命するだけの日々。 世の中に存在する『すべての病気』が『治療すれば治る病気』じゃないことを知って欲しい。
難病寝たきりの私、健康だった頃バイオリンを弾いてみたい夢があった。だけどその時は「時間がない」とか「お金がかかる」とかいろいろ理由をつけてやらなかった。 あの時元気だったのにやらなかったことに後悔して、寝たきりになってから通販で買って我流で開始。楽しい。いつか座って弾いてみたい。
事故で寝たきりになった当初、あれだけ死にたいと思っていたのに、何年も経った今も生きている。 死にたい気持ちやその重さは全く変わってない。 変わったのは『死にたい気持ちをかき消すほどの 生きててよかったと思える楽しいことを見つける事』だった。
寝たきりの私、『病気だったら何もせず寝とけば?』ってよく言われる。 何年治療や手術しても治らず、同じように時間が過ぎていくならば、 全力で好きなことや楽しいことだけを見つめて生きていこうと決めた。 苦しみや哀しみが入る余地がない様に。 そして寝たきりのままピアニストになる夢を叶えた。